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 和の心でまとめたい
 国際宇宙ステーション(ISS)の指揮を日本人が執ることになった。2月17日、日本人として初めてISSのコマンダー(船長)に就任が決まった宇宙飛行士の若田光一さん(47)は会見で「“和の心”を大切にしてチームをまとめたい」と笑顔を見せた。誰からも好かれる厚い人望と抜群の技術、宇宙飛行士としての豊富な経験を評価されての抜てき。若田さんは2013年末に打ち上げ、約4ヶ月半のISS長期滞在を行う。

STS-119_Day_10_crew

 若田さんは「92年に飛行士候補に選ばれてから19年間、先輩の築いた業績を一歩でも前に進めようと努力してきた。あっという間だった」と振り返り、「過去3回も毎回、これが最後と思って臨んできた。今回も、学んできたことを全部出し切るつもりで臨みたい」と笑顔で語った。

 コマンダーの資質として「適切な状況判断とチームワーク、中でもコミュニケーションの要となることが非常に重要」と説明。2009年の長期滞在時は、ロシア人のコマンダーが「どんなに仕事が忙しくても、1日3度の食事には全員で集まろう」と言い続けたのが心に残っているという。若田さんは「ISSはジャンボ旅客機の1.5倍の広さ。実験でまる一日、他の飛行士と顔を合わせないこともある。それだけに、家族だんらんのように食事をする機会は大切です」と話した。

 日本人の飛行機会が限られる中、2度目の長期滞在に選ばれたこと自体が予想外だったという。それもコマンダーという重責を負っての任務だ。ロボットアームの操作技術は、米航空宇宙局(NASA)で教官を務めたこともあるほどの水準。米露以外の飛行士の中では豊富な経験を生かし、「指揮官として顔が見えるアピールをすると同時に、日本の宇宙開発を新たな段階に進めたい」と熱く語った。(毎日新聞 2011年2月17日)

 「ニーモ」(NEEMO)
 実は、若田さんがコマンダー(船長)に選ばれたのはこれが最初ではない。宇宙ステーションでの共同生活を想定した、NASAの極限環境ミッション「ニーモ」(NASA Extreme Environment Mission Operation:NEEMO)でも経験している。

 「ニーモ」は、米国フロリダ州キー・ラーゴ沖の海底20Mに設置された海底研究室「アクエリアス」で行われる水中訓練。若田さんはここで、他の宇宙飛行士5名と1週間にわたって共同生活を経験した。

 アクエリアスは米国海洋大気庁NOAAの施設で大きさは直径約4m、長さ約14m。国際宇宙ステーションのロシアサービスモジュールと同じ程度だ。ここに複数のメンバーが約1週間滞在し、様々なミッションを行う。下界と隔離された閉鎖環境で限られた水や食料で暮らし、室内にカメラが設置され、管制室からモニターされるという、いわば宇宙ステーションにいる宇宙飛行士達と同じような状況を作り出し、ストレスのかかる環境でチームワークや自己管理能力を高めることを目的としている。

 同じメンバーで数ヵ月もの長期間にわたって、閉鎖空間で過ごす国際宇宙ステーションでは、「チームワーク」がミッションの正否を大きく左右する重要な要素となるため、NASAでは、夏や冬の山中で重い荷物を背負ってチームで縦走するなどの訓練を行っているが、それを発展させたのがこのNEEMO訓練で、2001年から行われている。

 その10回目の訓練が2006年7月22~28日の約1週間にわたって行われ、若田光一宇宙飛行士が6人のチームのコマンダー(リーダー)として参加した。日本人の参加は初めてだった。

 若田飛行士達はNASAが開発中の月・火星探査で着る次世代宇宙服のための試験やローバーを使った探査実験を行った。「アクエリアス」から船外活動を行って、宇宙服の重心位置がどこにあると作業がしやすいかをチェックしたり、珊瑚礁を月の岩に見立ててローバーを使って探査実験を行うなどの試験を行った。若田飛行士は、2008年度に国際宇宙ステーションに長期滞在し、この訓練の成果が生かされた。

 3回の宇宙飛行を経験
 若田さんは2009年のISS長期滞在をふくめて、これまで3回宇宙飛行を経験している。2013年で4回目の宇宙飛行、それもコマンダーとして参加する。若田さんは、埼玉県大宮市(現さいたま市北区)出身。埼玉県立浦和高等学校卒業した。

 1989年3月 九州大学大学院を修了、日本航空に入社する。1992年4月 旧・NASDAによりミッションスペシャリスト候補に選出された。スペースシャトル就役当初、NASAはスペースシャトル自体の運用を行うミッションスペシャリスト(MS)資格を外国人に認めておらず、日本人宇宙飛行士は日本の搭載機材のみを操作するペイロードスペシャリスト(PS)に限定されていた。しかし、宇宙開発事業団(NASDA)と宇宙科学研究所(ISAS)が共同開発した宇宙実験・観測フリーフライヤー(SFU)をスペースシャトルで回収することになり、NASAも外国人にミッションスペシャリストの門戸を開放したため、日本人ミッションスペシャリストを養成して自ら回収操作を行うことが計画された。

 1996年1月 スペースシャトル・エンデバー号による「STS-72」ミッションに日本人初のMSとして参加。宇宙空間に浮遊するSFUの回収を行うためには、スペースシャトルに搭載されているロボットアームの繊細な操作が必要であったが、若田はこの技術を修得し、このミッションでSFU回収に成功した。

 さらに、国際宇宙ステーション(ISS)建設においても、ロボットアーム操作の腕を買われることになる。2000年10月 スペースシャトル・ディスカバリー号により2度目の宇宙へ。国際宇宙ステーション(ISS)組立ミッション「STS-92」にミッションスペシャリストとして参加。このSTS-92ミッションは、宇宙ステーションの各モジュールをドッキングするために多用される共通結合機構(CBM)を初めて宇宙で使用するという、その後の計画の成否を握る重要ミッションであった。NASAはこの重要な任務に若田を起用し、ドッキングを成功させた。

 ISS長期滞在のコマンダー
 2003年のコロンビア号空中分解事故以降は、ロボットアームで船体の損傷をチェックするセンサ付き検査用延長ブーム(OBSS)の開発に関わった。また、2004年に九州大学大学院工学研究科で博士号(工学)を取得した。

 2006年7月22日~28日、米国海洋大気圏局(NOAA)の海底研究施設「アクエリアス」における第10回NASA極限環境ミッション運用(NEEMO)のコマンダーを担当。  

 2009年3月16日、STS-119ミッションにて、日本人宇宙飛行士としては初のISS長期滞在ミッションを開始し、同年7月、日本初の有人宇宙施設「きぼう」の最後の構成部分となる船外実験施設を取り付けた。これにより「きぼう」は開発から20年を経て完成した。同年7月31日、STS-127によって4カ月半に及ぶ宇宙長期滞在から帰還した。日本人初のISS長期滞在の功績が評価され鳩山由紀夫内閣から内閣総理大臣顕彰を授与される。

 2010年3月、NASAのISS運用部長に就任。日本人がNASAの管理職に就くのは初めてとなる。同年4月、JAXAの宇宙飛行士グループ長に就任。

 2011年2月、第38次/第39次ISS長期滞在ミッションへの参加が発表される。第39次長期滞在では日本人初のISSコマンダーを務めることになった。通算の宇宙滞在期間159日10時間46分は、2010年5月15日午後8時6分(JST)に野口聡一が更新するまで日本人最長記録だった。(Wikipedia)


参考HP NASA 
NEEMO10 JAXA 若田光一宇宙飛行士国際宇宙ステーション(ISS)長期滞在の決定  

宇宙で過ごした137日 僕の「きぼう」滞在記
若田 光一,朝日新聞取材班
朝日新聞出版
宇宙飛行士の若田さんと学ぶ おもしろ宇宙実験
クリエーター情報なし
日経ナショナルジオグラフィック社

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