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 海王星「1周年」、残された謎
 太陽系の第8惑星・海王星が1846年9月23日に発見されて以来、地球は太陽を約165周した。一方、地球の30倍遠い軌道をゆっくりと回る海王星は、今月12日にようやく発見から1周を達成した。太陽から平均45億キロ離れた海王星の公転周期は約165年。1846年の初観測から初めて公転軌道を1周し、長い1年が終わった。

 海王星(Neptune)は、太陽系の太陽に近い方から8番目の惑星である。太陽系惑星の中では最も太陽から遠い位置を公転している。名称のNeptuneは、ローマ神話における海神ネプトゥヌスにちなむ。

 1989年には、NASAのボイジャー2号が北極から5000キロ付近まで最接近した。だが、1世紀半以上の研究を経ても、太陽から最も遠い惑星である海王星には多くの謎が残ったままだ。

Neptune

 例えば、大気上にさまざまな変化が観測されているが、その原動力として必要な熱をどうやって調達しているのかは解明されていない。

 アリゾナ大学の天文学者エリック・カルコシュカ(Erich Karkoschka)氏は、「地球のわずか0.1%の太陽光しか届かないのに、嵐が発生し、時間とともに外観が変化している」と話す。

 1970、80年代の海王星は現在よりもかなり暗かった。ボイジャー2号やハッブル宇宙望遠鏡によって、巨大暴風雨に相当する大暗斑(だいあんはん)も観測されている。

 「これほど太陽光の少ない惑星に活動的な大気がある理由を解明できれば、地球や500個以上の太陽系外惑星の大気についても、さらに理解が進むだろう」とカルコシュカ氏は述べる。

  また、海王星には磁場が存在する。天王星と同様に磁場の中心は惑星の中心から大幅にずれており、46.8゜自転軸から傾いているのも謎の1つだ。

 海王星の発見
 天王星が発見されたのは、1781年。ニュートンが見つけた万有引力の法則に基づいて惑星の軌道を計算する「天体力学」の手法が、1800年前後に完成した。ところが、天王星の観測データが蓄積するにつれて、この理論から予想される位置と実際の位置がずれていることが分かってきた。1820年代には、天王星の外に未知の惑星があり、引力で軌道に影響を与えているという考えが登場したが、軌道を計算する者は現れていなかった。

 最初に挑戦したのは大学を卒業したばかりの若手研究者、イギリスのジョン・アダムズである。彼は1843年から計算を始めており、翌年には王室天文官のジョージ・エアリーに確認を依頼する手紙を送っている。不幸にも両者の間での連絡がうまくいかず、なかなか観測が始まらなかったが、その間も計算を続けたアダムズは海王星の位置を約1度の誤差で言い当てていた。

 一方、これとは独立にフランスの天文学者ユルバン・ルヴェリエも計算に取り組んでおり、1846年に新惑星の予測位置をまとめた。この動きを知ったイギリス側はようやく捜索を始めたものの失敗に終わっている。ルヴェリエは8月に計算結果をフランス科学アカデミーで公表し、すぐにドイツのベルリン天文台のヨハン・ガレに観測依頼を送った。9月23日に手紙を受け取ったガレは、その晩に新惑星を発見したのである。

 アダムズとルヴェリエの明暗を分けた要因については様々な議論があるが、ここではその一つとして「星図の有無」を挙げておきたい。アダムズが予測した方向を観測したイギリスの天文台には、望遠鏡があってもそれに見合う星図がなく、何日かおきに観測して動く星を探すしかなかった。観測者は明らかに海王星と特定できる星を記録に残しているのだが、追観測をする前に悪天候に阻まれて発見の栄誉を逃したのだ。これに対してドイツのガレは、彼の学生ハインリヒ・ダレストからの提案を受けて星図を用い、望遠鏡の視野に入った星と比べるだけで、一晩で発見を成し遂げている。海王星の発見はよく「天体力学の勝利」や「理論の勝利」と言われるが、観測の蓄積と記録の勝利でもあったのだ。

 惑星の名前はルヴェリエの提案に基づき Neptune(ローマ神話の海の神ネプチューンにちなむ)とされ、中国と日本でもこれを意訳した「海王星」が使われている。発見の経緯を巡り英仏の天文学者の間では火花が飛ぶこともあったが、アダムズ自身は誰を責めることもなく研究活動を続け、やがて天文学者として大成した。現在、彼はルヴェリエやガレとともに海王星の発見者として認められている。(アストロアーツ)

 衛星の発見 
 1846年10月10日、新惑星の発見からわずか17日後に、イギリスのウィリアム・ラッセルが衛星を発見した。ラッセルは衛星の名前を提案しておらず、フランスのフラマリオンが1880年ごろに提案した「トリトン」が正式名となった。トリトンはギリシャ神話に登場する海の神でポセイドン(ローマ神話のネプチューンに相当)の息子である。ただ、それさえも使われることは少なく、実に100年以上、「海王星の衛星」だけで通じた。

 海王星が見つかってからも新惑星を探そうという試みは続き、1930年2月18日にアメリカのクライド・トンボーによって冥王星が見つかった。天体力学による計算で見つかった海王星とは違って、何枚もの写真の中から力業で見つけたという側面が強い。その大きさは海王星の軌道にはっきりした影響を与えるほどは大きくなく、軌道もいびつであったため、第9惑星ではあるがイレギュラーな存在と見なされた。

 オランダ系アメリカ人のジェラルド・カイパーは、1949年5月1日に海王星の第2衛星ネレイドを発見した。トリトンから実に103年ぶりの新衛星だ。極端な楕円軌道を描いているため、外から飛来して海王星に捕獲された可能性が指摘されている。ところで、第1衛星のトリトンも海王星の自転と逆行する不思議な軌道を描いていて、やはり捕獲された天体だと思われる。これらの起源とされるのがエッジワース・カイパー・ベルトだ。その名前はネレイドの発見者でもあるカイパーとアイルランドの天文学者ケネス・エッジワースにちなむ。

 2人の天文学者は彗星の軌道を研究した結果、1950年前後に相次いで「冥王星の外側」に無数の小天体が分布していると発表した。現在の知識に基づけば、これは正確には「海王星の外側」とするべきなのだが、いずれにせよ、海王星と冥王星の存在以外はよく分かっていなかった太陽系の外縁に天文学者が挑戦し始めたのがこの時期である。

 冥王星の軌道は楕円を描くため、248年の公転中に20年間だけ海王星軌道の内側に入り込む時期がある。最近ではそれが1979年から1999年であった。このとき海王星はつかの間だけ太陽系の最遠天体に返り咲くこととなったが、この20年間で太陽系のイメージが大きく変わることになる。

 エッジワース・カイパー・ベルト
 1992年、アメリカのデビッド・ジューイットとジェーン・ルーが見つけた1992 QB1は、冥王星のさらに外側を回る直径百数十kmの天体である。この時点で海王星は冥王星とともに「最果ての天体」ではなくなったことになるが、1992 QB1の発見が持つ意味はそれにとどまらない。理論上の存在だったエッジワース・カイパー・ベルトの天体が現実に観測できる時代に突入したのだ。

 その後、年を追うごとに海王星の外に小天体が見つかり、1999年には冥王星もエッジワース・カイパー・ベルトの一員に過ぎないのではないかという見方が強まっていた。なお、これらの天体の総称として「海王星以遠天体」がよく使われたが、現在では「太陽系外縁天体」と呼ぶのが正式である。

 ところで、太陽系外縁天体の中には公転周期が海王星と簡単な整数比になっているものが多く、何らかの相互作用があったことが示唆される。これを説明できる仮説として2000年代半ばから「海王星マイグレーション(移動)理論」が研究者の間で一定の支持を集めている。それによれば、海王星は天王星とともに木星や土星に近い位置で誕生したが、後に弾き出されて現在の位置まで移動したという。このときもっと内側まで広がっていた小天体たちは、海王星にエッジワース・カイパー・ベルトの領域へ押しやられたらしい。 


参考HP アストロアーツ 
発見から1周年海王星の歴史を振り返る
National Geographic news
海王星発見からようやく1周年

太陽系惑星の謎を解く
クリエーター情報なし
シーアンドアール研究所
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ジェネオン エンタテインメント

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