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 1944年地震の断層見つけた 紀伊半島沖  
 紀伊半島沖の熊野灘にある海底断層が、1944年の東南海地震時に活動したことを海洋研究開発機構や東京大、高知大のグループが突き止めた。過去の地震の仕組み解明や、将来予測につながる可能性がある。米地質学会誌10月号に発表した。

 熊野灘は、繰り返し発生した東南海地震の震源域で、プレート境界から枝分かれした「分岐断層」が多数ある。このため、どの断層がいつ活動したか、歴史記録や陸上の観測網で突き止めるのは難しかった。グループは、地球深部探査船「ちきゅう」で分岐断層を掘削。柱状に掘り出した地層をX線CTで調べた。

 地震発生時の強い揺れで、泥の層が破砕してできた「マッドブレッチャ」と呼ばれる層を5層見つけた。いちばん上の層の年代が1950年前後とわかり、1944年の東南海地震で活動したことがわかった。

 分岐断層の位置や傾きで、断層の動きに伴って発生する津波の高さが変わる。「今後さらに詳しく調べて、地震の繰り返し間隔や将来の被害の予測に役立てたい」と同機構の坂口有人技術研究主任は話す。(asahi.com 2011.10.3)

Mud brecciation

 マッドブレッチャ(泥層の破壊) 
 過去の巨大地震の海底地震断層とその活動履歴の推定は、古文書や陸上に残された痕跡から類推するのが一般的だ。しかしながら、地震対策等を効果的に推進していくためには、海底地震断層を特定し、確度の高い活動履歴に基づいて対策を策定していくことが重要である。このため、過去の巨大地震についての位置と時間を正確に記録している痕跡の確認が課題となっている。

 本研究では、強い地震動によって海底表層が破砕される(ブレッチャ化)ことに着目して(図1)、その検出に取り組んだ。マッドブレッチャ(泥層の破砕)は、目視確認が困難なためX線CTによる識別・確認を試みた。

 本成果は、統合国際深海掘削計画(IODP)第316次航海・南海トラフ地震発生帯掘削計画ステージ1において採取した巨大分岐断層のコアについて、X線CTによる三次元組織分析を行い、巨大分岐断層の上盤側の表層部である海底面から80cmまでの間に、明瞭に識別される5層のマッドブレッチャが存在することを発見した。

 一方、断層の下盤側のコアにはマッドブレッチャはほとんど含まれていなかった。南海トラフに卓越する逆断層型の地震では、断層の上盤側が強く揺さぶられ、被害が上盤側に偏ることが知られており(例えば2008年6月14日に発生した宮城・岩手内陸地震、1999年9月21日発生した台湾中部地震など)、マッドブレッチャが巨大分岐断層の上盤側にだけ分布しているという事実は、巨大分岐断層が地震動の原因であったことを意味している。

 さらに、今回発見された5層のマッドブレッチャについて、鉛210(半減期22.3年)と炭素14(半減期5730年)による放射年代測定を行った結果、最も直近のマッドブレッチャの年代は、1950年(±20)であり、1944年の東南海地震と一致することが判明した。

 また、それより下位の古いマッドブレッチャの年代は、約3500~1万年前であり、歴史記録に記された地震と一致するものはありませんでした。これは、当該巨大分岐断層では約100~150年間隔と言われている南海地震の周期よりも、より長い周期の大きな地震活動のみが記録されている可能性を示唆している。 (JAMSTEC:平成23年4月28日) 

 「緊急津波速報」開発へ
 海底で地震や津波を直接観測し、即時に津波の規模や到達時刻を予測する「緊急津波速報」の開発に、文部科学省が乗り出す。

 今年度第3次補正予算案や来年度予算の概算要求に計約320億円を盛り込んだ。今後も大地震や津波発生のおそれがある東北地方太平洋沖を中心に、新たに観測網を整備する。

 現在の津波警報は、地震の規模や震源をもとに、気象庁が地震発生から3分以内に発表している。主に陸上の観測網を利用しているため精度に限界があり、マグニチュード(M)8以上の場合は、即時に正確な地震の規模を求められず、津波の予測も不正確になってしまう。

 M9の東日本大震災では、最初の警報で津波の高さを実際より低く予測したため、逃げ遅れにつながったと指摘されている。また、明治三陸地震(1896年)のように、揺れは小さいが津波は大きい「津波地震」への対応も難しい。(2011年10月1日  読売新聞)

 緊急津波速報は、地震の到達時刻や震度を予測する緊急地震速報システムの「津波版」。北海道・十勝沖から千葉・房総沖にかけて、日本海溝周辺の海底に観測装置を組み込んだケーブルを敷き、揺れや水圧の変化から波の高さなどを予測する。システム開発段階から、実際に津波の警報や注意報を出す気象庁と連携する。(2011/09/21 共同通信) 

 1944.12.7 東南海地震
 東南海地震は、紀伊半島沖から遠州灘にかけての海域(南海トラフの東側)で周期的に発生する海溝型地震。規模は毎回 M 8.0 前後に達する巨大地震で、約100年から150年周期で発生している。東南海大地震(とうなんかいだいじしん)とも呼称される。

 最新のものは、1944年(昭和19年)12月7日に、紀伊半島南東沖を震源として発生したものであり、元来「東南海地震」はこの昭和東南海地震を指す名称であった。

 1944年(昭和19年)12月7日に午後1時36分から、紀伊半島東部の熊野灘、三重県尾鷲市沖約 20 km (北緯33度8分、東経136度6分)を中心とする震源で発生した巨大地震。「昭和東南海地震」または「1944年東南海地震」と呼ばれることがある。また当初は遠州灘地震と呼ばれていたが、東海地域の軍需工場が壊滅的な打撃を受けたことを隠すため、「東南海地震」に変更したとする説がある。

 1945年前後にかけて4年連続で1000名を超える死者を出した4大地震(鳥取地震、三河地震、南海地震)の一つである。一般に死者・行方不明者数は1223名を数えたとされる。東南海地震震源域で発生した前回の巨大地震である安政東海地震から90年ぶりでの発生となっている。

 当時、日本は太平洋戦争の最中で、軍需工場の被害状況などの情報が日本の国民や敵国に漏れることを恐れた軍部は情報を統制した。また翌8日が真珠湾攻撃3周年(大詔奉戴日)ということもあり、戦意高揚に繋がる報道以外の情報はより一層統制された(12月8日の各紙の1面トップはいずれも昭和天皇の大きな肖像写真および戦意高揚の文章で占められている)。

 地震についての情報は、(1面ではない)紙面の最下部のほうにわずか数行程度、申し訳程度に記載されただけで、しかも「被害は大したことはない」「すぐに復旧できる」といった主旨のこと、つまり実態とは大きくかけ離れた虚偽の内容が書かれたにとどまる。

 また、被害を受けた各地の住民は、被害について話さないように、とする戦時統制に基づく通達が行政側からまわった。例えば学徒動員され、半田市の中島飛行機の工場で働いていた少女は、同世代の友人が崩れ落ちてきた屋根の下敷きになって死亡するのを目撃し自身も死にかけたが、そうした出来事・被害状況を「決して人に話さないように。話すことはスパイ行為に等しい」などと、教師から指示されたという。(Wikipedia)

参考HP Wikipedia 東南海地震 ・ JAMSTC 東南海地震津波断層特定

隠された大震災―太平洋戦争史秘録
クリエーター情報なし
東北大学出版会
巨大地震―地域別・震源、規模、被害予測 (ニュートンムック Newton別冊)
クリエーター情報なし
ニュートンプレス

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