原発稼働ゼロ 泊3号機停止で42年ぶり
 国内の原子力発電所50基中、唯一運転している北海道電力の泊原発3号機(北海道泊村、91万2千キロワット)が、法律で定められた定期検査に入るため、5日深夜に発電を停止した。政府は関西電力大飯原発3、4号機の再稼働への同意を福井県などに要請しているが、めどは立っていない。泊3号機の停止で、国内で稼働する原発は、42年ぶりにゼロとなった。

 北海道電は、5日夕から制御棒を挿入して泊3号機の出力を低下させ、午後11時ごろ発電を停止した。原子炉内の核燃料157本のうち40本前後を新品に交換するなど、検査期間は71日間を予定。ただ、再稼働にはストレステスト(耐性検査)や地元了解が必要になるため、停止期間は「未定」としている。

 泊3機は、平成21年12月に運転を開始した国内最新鋭の原発で、事故を起こした福島第1原発とは別の加圧水型(PWR)原子炉を採用している。

 東日本大震災発生時は第1回定検中で調整運転をしていたが、その後営業運転に移行。北海道電は、4月下旬に2回目の定検入りを予定していた他の火力発電がトラブルで停止し、電力の安定供給のため、5月5日まで運転延長を決めた経緯がある。

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 電気事業連合会によると、国内の原発稼働がゼロとなるのは、日本原子力発電の2基(東海原発、敦賀原発1号機)体制だった当時、2基が同時停止した昭和45年4月30日~5月4日以来だという。(産経news 2012.5.4)

 電力危機到来か 大飯再稼働見通せず 今夏の電力需給は綱渡り
 北海道電力の泊原発3号機(北海道泊村)が5日中に定期検査入りし、国内の商用原発すべてが停止する「原発ゼロ」が現実のものとなる。頼みの綱だった関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働も見通せず、深刻な電力不足が懸念される関電管内では計画停電が現実味を帯びる。長期化すれば、全国的な“電力危機”に発展する可能性も否定できない。

 「ゼロの可能性もある」枝野経産相は3日のテレビ番組収録でこう語り、関電の大飯原発が再稼働できず、今夏を原発ゼロで乗り切らなければならない可能性を示し、関電管内で「計画停電の計画をたてる必要がある」とした。

 枝野経産相が大飯原発の安全性と再稼働の必要性を判断した先月13日の時点では「7月までに理解をいただければありがたい」としていたが、早くも原発ゼロの長期化を事実上認めざる得ない状況に追い込まれた格好だ。大飯原発の再稼働が遅れれば、他原発の再稼働のスケジュールもすべて後ずれする。

 原発ゼロのまま猛暑になった場合、政府の需給検証委員会は日本全体で0.4%の電力不足になると試算している。電力会社は気温上昇などに備えて最低3%の供給力の余裕を持つべきだとされることを考えれば、事態は深刻だ。

 なかでも原発依存度が高い関電管内での電力不足は16.3%に達する。同委員会では連休明けに、節電などでどれだけ供給不足を補えるか結論を出すが、焼け石に水程度。関電管内では、企業など大口顧客向けの電力使用制限令発動とともに、地域や時間を決めて順番に電気を止める計画停電の検討は必至の情勢だ。

 そうなれば影響は甚大。企業としては、土日出勤などで苦労した昨年同様の節電は無理という声が強い。「日本に工場を持つ外資系企業からも、関西の電力不足で競争相手に負けると訴えられた」(米倉弘昌経団連会長)と影響は広がる。

 関電だけではない。今夏は北海道電力が3.1%、九州電力も3.7%電力が不足する見通し。政府は今夏、比較的需給に余裕のある東京電力などからの電力融通を徹底する考えだが、融通できる電力は限られている。火力発電所でトラブルが起これば、供給力は一気に低下し、全国的な電力不足につながりかねない。

 危機回避へ向けては、大飯原発の早期再稼働が頼みの綱だが、見通しは暗い。先月26日におおい町で開かれた住民説明会では「再稼働判断は拙速だ」とする意見が続出。再稼働に前向きだった時岡忍町長も「説明不足なのだと思う」と表明せざるを得なくなった。

 さらに大飯原発から30キロ圏内に入る京都府や滋賀県も再稼働の慎重な判断を訴え、原子力規制庁の早期発足などを要求。大阪市の橋下徹市長も「政府の手続きに納得していない」と猛反発しており、事態を打開できるめどは立っていない。(産経news 2012.5.5)

 「原発ゼロ続けば日本は衰退」 産業空洞化の懸念
 北海道電力泊原子力発電所(北海道泊村)3号機の定期検査入りで現実となる「原発ゼロ」が長期化すれば、日本経済には大きなダメージが加わる。火力発電への依存度増加は3兆円超の国富を海外に流出させ、電気料金の値上げが企業活動の足を引っ張ることは確実だ。企業の間では「生産拠点を海外に移すしかない」との声も強まっており、電力不足は産業空洞化という取り返しのつかない結果につながりかねない。

 「原発ゼロが続けば日本は衰退の道をたどる」。経済産業省幹部は電力不足の悪影響を真剣に懸念する。

 東日本大震災前、原発は発電電力量の3割近くを占めていた。その原発の停止が続き、電力各社は火力発電への傾斜を強めている。原発ゼロが1年間続けば、石油や液化天然ガス(LNG)などの燃料費は平成22年度よりも3.1兆円増えると試算される。日本の国内総生産(GDP)の約0.6%にあたる国富が国外に流出するかたちだ。

 燃料費の増加は国内の電気料金値上げに直結する。東電はすでに企業向けで平均17%の値上げを発表済み。家庭向けでも10%の値上げを行う方向だ。SMBC日興証券の試算では東電管内の企業の経常利益は約3900億円減り、家計の消費にも約3千億円のマイナス影響がある。

 東電以外の電力各社にとっても、燃料費が経営の重荷である事情は同じ。「いずれにしても値上げに踏み切らざるを得なくなる」(政府関係者)との見方が大半だ。

 しかもこれだけのダメージを受けても、日本企業は電力を十分に使えるわけではない。代替電源として期待される再生可能エネルギーは普及が見通せず、火力発電の新設には10年程度の時間がかかる。原発再稼働がなければ、慢性的な電力不足が続く。

 企業は今後も自家発電設備の運転などの対応を迫られ、収益は圧迫される。ある大手メーカー首脳は「政府が原発再稼働へ国民を説得できないなら、製造拠点の海外移転を真剣に検討せざるを得ない」と話す。

 政府が今夏に策定する長期のエネルギー政策について、日本商工会議所の岡村正会頭は、「当初計画より比率が下がっても原発は基幹電源として残る。原発ゼロがベストという解にはならない」と強調。原発ゼロが長引けば長引くほどダメージは着実に日本経済をむしばんでいく。(産経news 2012.5.4)

 日本の原発の歴史
 1945年(昭和20年)8月15日の第二次世界大戦終戦後、日本では連合国から原子力に関する研究が全面的に禁止された。しかし、1952年(昭和27年)4月にサンフランシスコ講和条約が発効したため、原子力に関する研究は解禁されることとなった。

 日本における原子力発電は、1954年(昭和29年)3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。この時の予算2億3500万円は、ウラン235にちなんだものであった。

 1955年(昭和30年)12月19日に原子力基本法が成立し、原子力利用の大綱が定められた。この時に定められた方針が「民主・自主・公開」の「原子力三原則」であった。そして基本法成立を受けて1956年(昭和31年)1月1日に原子力委員会が設置された。初代の委員長は読売新聞社社主でもあった正力松太郎である。正力は翌1957年(昭和32年)4月29日に原子力平和利用懇談会を立ち上げ、さらに同年5月19日に発足した科学技術庁の初代長官となり、原子力の日本への導入に大きな影響力を発揮した。このことから正力は、日本の「原子力の父」とも呼ばれている。この時原子力委員であった日本人初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹氏は、抗議のため委員を辞任した。

 1956年(昭和31年)6月に日本原子力研究所(現・独立行政法人日本原子力研究開発機構)が特殊法人として設立され、研究所が茨城県那珂郡東海村に設置された。これ以降東海村は日本の原子力研究の中心地となっていく。
 1957年(昭和32年)11月1日には、電気事業連合会加盟の9電力会社および電源開発の出資により日本原子力発電株式会社が設立された。日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年(昭和38年)10月26日で、東海村に建設された動力試験炉であるJPDRが初発電を行った。これを記念して毎年10月26日は原子力の日となっている。

 日本に初めて設立された商用原子力発電所は同じく東海村に建設された東海発電所であり、運営主体は日本原子力発電である。原子炉の種類は世界最初に実用化されたイギリス製の黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉であった。しかし経済性等の問題によりガス冷却炉はこれ1基にとどまり、後に導入される商用発電炉はすべて軽水炉であった。

 1974年(昭和49年)には電源三法(電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺地域整備法)が成立し、原発をつくるごとに交付金が出てくる仕組みができる。(Wikipedia)

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