6歳未満脳死:富山大病院 臓器提供の経緯などを説明
 改正臓器移植法に基づき初めて6歳未満で脳死と判定された男児からの臓器摘出手術が6月15日、富山大病院(富山市)で行われた。臓器の移植手術は計3病院で実施。このうち心臓は大阪大病院(大阪府吹田市)で拡張型心筋症の10歳未満の女児に移植され、手術は無事終了した。富山大病院は記者会見で今回の脳死臓器提供の経緯などを説明、「慎重の上に慎重を重ねた」などと説明した。 

 男児からの臓器摘出手術は午後0時6分に始まり、約3時間半かけて終了した。会見した富山大病院の井上博病院長によると、男児は今月初旬、事故で心肺停止に陥った後、低酸素性脳症となった。高度な対応が必要として地元の病院から転送されてきたという。

 今月7日、病院側が「重篤な脳障害があり、回復を見込んだ治療は難しい」と伝えた際、家族から臓器提供の申し出があったという。虐待の有無については、院内の児童安全保護委員会で疑いがないことを判断したうえで、マニュアルに沿い警察と児童相談所にも確認したという。井上病院長は「(救命は)できる限りのことはした。虐待の所見は何もなかった」と話した。

 一方、大阪大病院で心臓移植を受けた女児の術後の状態は良好という。女児は2年前に発症し、年々病状が悪化していたという。

 この他、腎臓が富山県立中央病院(富山市)で60代女性に、肝臓が国立成育医療研究センター(東京都世田谷区)で10歳未満の女児に移植。肝臓移植は12時間以上かかり、すべての移植手術が終了したのは16日だった。(毎日新聞 2012年06月15日)

 子供の臓器の大人への移植 医学的な問題は?
 このニュースを見て驚いたのは6歳児という年齢。もちろん自分で判断できる年齢ではなく、家族が承認したので、法的には何ら問題はない。

 改正臓器移植法に基づき、初めて6歳未満で脳死と判定された男児からの臓器移植が行われた。心臓の提供を受けたのは10才の女児。腎臓の提供を受けたのは、60代の女性。確かに臓器を必要とする患者がいらっしゃるのは事実。しかし、子供の臓器を大人に移植することに医学的な問題はないのだろうか。

 腎臓移植に詳しい戸田中央総合病院の東間紘名誉院長は「ヒトの腎臓は生まれた時からほぼ完成しており、幼児の腎臓でも、大人の体内で十分機能する」という。ただ、大きさが小さいため腎臓一つでは大人の血液量をろ過しきれず、左右両方が提供されることがあるという。

 一方、18歳未満の脳死者から提供された心臓は、レシピエント(移植を受ける患者)を選ぶ際、18歳未満を優先するよう、厚生労働省の「選択基準」が10年に改正された。より生存率が高いという国際学会の調査に基づいている。肝臓についても、18歳未満の提供者の場合は18歳未満のレシピエントが有利になるよう基準が定められている。

 どの臓器が誰に提供されるかは、日本臓器移植ネットワーク(本部・東京都港区)のコンピューターがこれらの「選択基準」に基づいて、全国の登録者の中から優先順位の高い患者を選び出すという。(毎日新聞 2012年06月15日)

 6月19日には、富山県アイバンクが、富山大病院(富山市)で6歳未満として初めて脳死判定を受けた男児から提供された眼球について、関東地方の病院で同日午前、男児の右目の角膜を患者に移植し、無事に終了したと発表した。15日の摘出手術の後、県アイバンクが提供先を調整し、患者を決定した。これで男児からの移植手術が全て終わった。 (毎日新聞 2012年06月19日)

 臓器移植ネット:家族に意思を確認 最終的な希望患者選定
 それにしても、何か違和感の残る今回の6歳児の臓器提供。臓器提供を提案した組織や6歳児の家族はどんな気持ちでいるのだろう?

 今回の脳死臓器提供をあっせんした「日本臓器移植ネットワーク」(東京都港区)は、角膜以外の臓器移植をあっせんできる国内唯一の組織だ。厚生省(当時)の指導により1995年に結成された「日本腎臓移植ネットワーク」が、97年の臓器移植法施行に合わせて改組された。

 患者が脳死状態になった場合、所属する移植コーディネーターらが病院に派遣され、患者の家族に臓器提供について説明をした上で、提供の意思などを確認する。

 一方、移植を受けることを希望する患者(レシピエント)の登録も行う。提供者の脳死が確定すると、提供する臓器ごとにレシピエントが選ばれる。例えば心臓なら血液型や、提供者との体重差などの条件で候補者を絞り込み、病状や待機期間などから優先順位を決め、最終的なレシピエントを選ぶ。

 移植ネットによると5月31日現在、登録患者数は▽心臓214人▽肺177人▽肝臓406人▽腎臓1万2399人▽膵臓200人▽小腸3人。また5月1日現在の心臓の登録患者数は212人おり、年代別では0〜9歳が10人、15歳未満が15人いる。(毎日新聞 2012年06月14日)

 確かに全国には臓器を必要とする大勢の人達がいる。その要望に応えることは必要だ。

 6歳未満脳死判定:「息子を誇りに」両親がコメント
 一方、当事者である本人は、死亡してしまった以上意思の確認はとれない。では、同意した家族、両親は正しい判断をしたといえるのだろうか?

 日本臓器移植ネットワークは6月14日、富山大病院に入院していた6歳未満の男児が脳死と判定され、家族の同意で臓器が提供されることになったと発表した。男児の両親が日本臓器移植ネットワークを通じて発表したコメントは次の通り(原文のまま)。

 「息子は、私たち家族が精いっぱい愛情を注いで育ててきました。
 元気な息子のわんぱくにふり回されながらも、楽しい時間を家族みんなで過ごしてきました。
 本日、息子は私たちのもとから遠くへ飛び立って行きました。
 このことは私たちにとって大変悲しいことではありますが、大きな希望を残してくれました。
 息子が誰かのからだの一部となって、長く生きてくれるのではないかと。
 そして、このようなことを成しとげる息子を誇りに思っています。
 私たちのとった行動が皆様に正しく理解され、息子のことを長く記憶にとどめていただけるなら幸いです。
 そして、どうか皆様、私たち家族が普段通りの生活を送れるよう、そっと見守っていただきたくお願い申し上げます。」
(毎日新聞 2012年06月14日) 

 “亡き息子が、困っている人のお役に立つ”一見、感動的なコメントであるし、良心的でもあると思う。しかし、6歳児本人の意志が確認できないというのが、どうしても違和感を残す。6歳児の体が、家族の“物”になってしまっている感じも受ける。

 6月18日付けの読売新聞の社説では、今回の幼児の臓器提供は、社会的意義が大きいというコメントを述べているが、それだけの問題ではないと思う。

 幼児の臓器提供 国内での移植を増やす契機に
 富山県で6歳未満の男児が脳死と判定され、心臓などが、他の人に移植された。2010年施行の改正臓器移植法で15歳未満の子供からの臓器提供が可能となったが、幼児から提供されたのは今回が初めてだ。

 かわいい盛りのわが子を失った両親にとって、脳死の事実を受け入れ、臓器の提供を承諾することは、計り知れぬほど重く、つらい決断だっただろう。男児の心臓と肝臓は10歳未満の女の子と60才の女性2人にそれぞれ移植され、別の命が救われた。幼児間の臓器移植が実現したことは、日本の移植医療の着実な前進と言えよう。

 改正前の旧移植法は、本人が書面で提供意思を示していなければ臓器移植を認めなかった。有効な意思表示ができるのは民法で15歳以上とされ、幼い子供からの臓器提供は禁じられてきた。

 2年前の法改正によって、欧米などと同様に、本人が提供拒否の意思を示していない限り、年齢にかかわらず家族の判断で臓器提供が可能になった。ところが、改正法の施行後も、幼児からの脳死移植はなかなか行われなかった。背景には、幼児の脳死判定の難しさがある。

 大人より一段と厳格な脳死判定を行い、親からの虐待の有無なども慎重に見極めねばならない。厚生労働省などは今回、脳死判定の厳しい条件をクリアし、確認作業を重ねた上で臓器移植が行われたとしている。

 子供の脳死移植に対する信頼を培うためには、事後の厳密な検証作業が欠かせない。男児が入院していた病院で行われた脳死判定に関わる議論の内容などについて、詳細な情報公開が必要だ。

 これまで、国内では幼児の臓器提供がなかったため、移植を待つ子供たちは、海外に渡航して移植を受けるしか方法がなかった。多額の費用をかけて、臓器提供してもらう現状には、海外から厳しい視線が注がれている。今回の臓器提供を国内での移植を増やす契機としたい。

 そのためには、移植医療の態勢の充実が欠かせない。間違いなく脳死判定のできる医療機関を増やし、心のケアにあたる移植コーディネーターなども、拡充しなければならない。

 〈息子が誰かのからだの一部となって、長く生きてくれるのではないか〉。臓器提供した男児の両親のコメントだ。命のリレーを広げる礎としたい言葉である。(2012年6月18日 読売新聞)

 正しい宗教的価値感の確立・共有が必要
 臓器移植法の改正点は2つ。1つは改正前、臓器提供にはドナーカードによる意思表示が必要であったが、改正後は、本人の同意がなくても、家族の同意があれば臓器提供できることになった。

 また、改正前、15最未満の子供の臓器提供は禁止されていたが、改正後は年齢制限はなく、生まれて間もない乳幼児も臓器提供が可能になった。

 ただし生後12週〜6歳未満の子の場合、第1回法的脳死判定から、最低24時間あけて第2回法的脳死判定を行うことになった。その後、コーディネーターにより臓器提供を受ける患者への連絡、家族へ最終の意思確認後、臓器摘出となる。

 医師により「脳死」と判定されれば、家族の同意で臓器移植が可能になった。つまり、生きている人から臓器は取れないので、法律上は「脳死」を人の「死」と認めたことになる。そして、その判定をするのが医師である事も問題だ。

 これには当然、反対の意見を持つ人達も多い。例えば植物状態で寝たきりの患者を持つ家庭では、家族を「死人」とは認めたくないであろう。医師の間でも意見が分かれている。脳死とされた人でも、体の一部分が動いていたり、温かかったりする。「あいまいな判定で、生きることを断念させられることは絶対にあってはいけない」と話す医師もいる。

 改正により臓器移植の可能性が増えて良かったように思える。しかし、医師による「脳死」の判定が、何をもって「脳死」とするかはっきりしていないこと、また「脳死」=「人の死」であることは、科学的に証明されていないこと(法律で決められたに過ぎない)、そして、他人の臓器である以上どうしても拒否反応は避けられないということなどの問題がある。

 もともと、死後の世界は宗教の分野であったが、我が国の宗教は終戦後、表舞台から姿を消してしまったため、公教育でも正しい宗教教育が行われず、家庭に信仰がなければ、何を持って死とするかが、わからない状態が続いている。

 「死後の世界も、正しく生きる」という、”宗教的価値観”がなければ、「今、自分がよければ何をしてもよい」という、“犯罪的心理”も発生する可能性がある。「宗教の不在」こそが、我が国の大きな問題であると思う。

参考HP アイラブサイエンス:臓器移植法改正後初!脳死・家族承諾による臓器移植

まだ、間に合うのなら。 改正臓器移植法について考える
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