大群発見、ベリーズのマナティー調査
 マナティーは、カイギュウ目(海牛目)マナティ科に属する海棲哺乳類である。アフリカ大陸、北アメリカ大陸東部、南アメリカ大陸北部、などに棲息。最大種はアメリカマナティーで最大体長390cm。最大体重1500kgと本科のみならず現生のカイギュウ目最大種。最小種はアマゾンマナティーで体長250-300cm。体重350-500kgで現生のカイギュウ目最小種。

 中央アメリカのベリーズは、“カリブ海の宝石”と呼ばれる美しい海とサンゴ礁に囲まれている。ベリーズ沿岸には、マングローブ林が広がっており、絶滅の危機に瀕するアンティルマナティーの主要生息地として知られている。今回、最新の航空調査で、史上最大規模の507が確認された。

 「300頭前後と予測していたが、実際には507頭が確認できた。過去の最高記録は350頭弱だったので、この結果には非常に喜んでいる」と、ベリーズ沿岸域管理局(CZMAI:Coastal Zone Management Authority and Institute)のニコール・アウィル・ゴメス(Nicole Auil Gomez)氏は語る。


Dugong_Marsa_Alam

 「国民の大部分は、沿岸地域とその資源の重要性を十分認識している。住宅や食料、輸送、観光、雇用等々、全てが生活に直結しているからだ。もちろん娯楽もね」と語る。「マナティーは我が国を象徴するような動物だ。誰もが誇りにしており、今後も身近にいてほしいと願っている」とゴメス氏。

 このプロジェクトは、この地域でマナティー研究に取り組んでいる「海洋協会(Oceanic Society)」と、200人のパイロットが中心になって北中米の自然保護を支援するボランティア組織「LightHawk」が主導した。マナティーは動きが遅く、呼吸する際に定期的に浮上するので、航空調査で観測しやすい。しかし、発見された個体はごく一部と考えられており、もっと多く生息していると期待されている。調査チームによると、10%は子どもだったという。

 非営利の海洋生物保護団体「海洋協会(Oceanic Society)」の代表を務めるビアギット・ウイニング(Birgit Winning)氏は、「今回の調査では、数だけでなく、自然環境との関わりも明らかにできた」と話す。「子育てなどで極めて重要な役割を果たす、集団生息地が判明した。船舶交通量の増大に伴う衝突事故や環境の悪化など、さまざまな脅威から特別に保護する必要がある」と述べた。(National Geographic news)

 中央アメリカ、ベリーズの沖合約40キロにあるターネフ環礁。西半球で最大、最も生物多様性にあふれたサンゴ礁である。マナティーが多数観測され、絶滅の危機に瀕するアンティルマナティーが頻繁に訪れる唯一の海域として知られている。

 ターネフ環礁には、アンティルマナティーが好むマングローブや海草が自然のまま広がっている。ただし、お気に入りの理由はちょっとした謎となっている。アンティルマナティーは通常、海岸湧泉など淡水域を訪れるが、この環礁には淡水源が存在しないのだ。マナティは、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストに絶滅危惧IB類(絶滅危機)として記載されている。(National Geographic NewsAugust 27, 2012)

 海牛目の動物たちとは?
 その名の通り、牛のように大きな体で、水中でゆっくりと移動し、性格も大人しい。海の中で主に海草を食べる哺乳類である。その肉や乳も牛のように美味しく、このため、過去に乱獲され、絶滅したり、絶滅の危機に瀕している。海牛目で有名なものは、ジュゴン、マナティー、ステラーカイギュウの3属がいる。ステラーカイギュウ属は乱獲によって1768年以降姿を消した。

 ジュゴン属の生息域は、暖流域・海生(浅海のみ)、マナティ-属は暖流域・水生(淡水域・汽水域・浅海に生息)であり、ステラーカイギュウ属は海生ながら海牛目で唯一寒流域に適応しており、棲み分けがされていた。

 現世現代におけるジュゴン属の生息分布は、インド近海、太平洋南西部、アラビア半島東部近海、アフリカ東部近海。そして、日本は沖縄本島近海にごく僅かが生息している(北限のジュゴン)。マナティ-属は、カリブ海とその関連水域、アマゾン川、中央アフリカ西部と南アフリカの淡水域。ステラーカイギュウ属は、ベーリング海峡周辺にのみ分布していた(現世以前には北太平洋の全域で繁栄)。

 食性について、ジュゴン属は海草(アマモとウミヒルモ)を主食とする(ほぼ偏食)。しかし、ジュゴン属の一部はホヤなどの底生無脊椎動物も食べていることが報告されている。アマモやウミヒルモといった海草は陸生の草が水中に進出したものですが、暖かい水域にしか生息しない。このため、これを主食とするジュゴン属が冷たい水域に棲むことはない。

 マナティー属は水草も海草も満遍なく食べる。飼育下では野菜、牧草、配合飼料なども食べる。ジュゴン属と同じくマナティー属も暖かい水域にしか棲まないが、こちらは、得られる水草の量の問題で寒冷帯の淡水域には入る込めなかったのではないだろうか。

 絶滅したステラーカイギュウ属は、地球が寒冷化した中新世時代に分布を狭めた海草に変えて、分布を拡げていたコンブを主食として進化したもの。海牛目が陸生だった頃からの草食いという食性を海藻食いに変え、コンブを主食とすることで寒流域への進出を果たした。

 形態的特徴で言えば、ジュゴン属がクジラ様の三角形の尾鰭を持っているのに対して、マナティー属のそれは角の丸いヘラ(しゃもじ)状。 ステラーカイギュウ属のそれはジュゴン属に似ていた。 ジュゴン属は海底の草を食べるので、口は下向きにつく。対して、マナティー属は海面に浮いている水草を主食とするので、その口の付き方は前者ほど下向きではない。 ジュゴン属は全長約3.0m、体重約450kg。マナティー属は全長約2.8~3.0m、体重約450~550kgですが、大きい個体では約900kg~1,200kgにもなり、最大記録では約3.6m、約1,775kgといいものがある。しかし、ステラーカイギュウ属は更に大きく、体長は7.0mを超え(最大記録約8.5mとも)、体重は約5,000~12,000kgあったとされる。

 ステラーカイギュウの悲劇
 
ステラーカイギュウ (Hydrodamalis gigas) は、絶滅した海棲哺乳類の一種。しばしばステラー海牛とも表記される。ジュゴン目(海牛目)ジュゴン科に属する。かつて北太平洋のベーリング海に生息していた大型のカイギュウである。1768年かそれ以降に絶滅。

 ステラーカイギュウは、寒冷適応型のカイギュウ類(ステラーカイギュウ亜科)の、最後の生き残りだった。このカイギュウ類の系統は、ジュゴンのような、暖かい海で主にアマモなどの海草を食べて暮らすカイギュウ類から派生したが、より寒冷な海に育つコンブなどの海藻類を食べ、体を大きくして大量の脂肪を蓄えることで、寒冷な気候に適応していた。ステラーカイギュウ以外の種は、有史以前に絶滅している。

 デンマーク出身の探検家ヴィトゥス・ベーリングが率いるロシア帝国の第2次カムチャツカ探検隊は、1741年11月のはじめに遭難した。アラスカ探検の帰途、カムチャツカ半島のペトロハバロフスク港を目指して、アリューシャン列島づたいに西行していた探検船セント・ピョートル号が、嵐に遭遇し、カムチャツカ半島の東の沖500キロメートルに位置する現コマンドル諸島の無人島(現ベーリング島)で座礁した。

 乗員たちの多くは壊血病にかかっており、飢えと寒さの中、半数以上が死亡した。指揮官のベーリング自身も12月に他界したが、残された人々は、座礁したセント・ピョートル号の船体から新しいボートを建造し、翌1742年8月に島を脱出した。その指揮に当たったのが、ドイツ人の医師で博物学者でもあったゲオルク・ヴィルヘルム・シュテラー(ステラー)である。10ヶ月に及ぶ航海の末にペトロパブロフスク港にたどり着いた彼らは、英雄として迎えられた。

 シュテラーは、探検中に見られたラッコやオットセイなどの毛皮獣のほかに、メガネウという鳥(絶滅種)と、遭難先の無人島(ベーリング島)で発見された巨大なカイギュウについても報告した。そのカイギュウは、長さ7.5メートル、胴回りが6.2メートルもあり、島の周辺に2,000頭ほどが生息すると推定された。

 シュテラーの航海日誌(ジャーナル)には、次のように記されている。「その島の海岸全域、特に川が海に注ぎ、あらゆる種類の海草が繁茂している場所には、われわれロシア人が『モールスカヤ・カローヴァ』(ロシア語: морская корова; “海の牛”)と呼ぶカイギュウが、1年の各期を通じて、大挙して姿を現す」。

 そのカイギュウ1頭から、3トンあまりの肉と脂肪を手に入れることができた。そしてその肉は、子牛に似た味と食感をもっていた。言うまでもなく、遭難中のシュテラーたちにとって、このカイギュウたちは有用な食料源となった。美味であるばかりではなく、比較的長い時間保存することができたため、その肉は彼らが島を脱出する際、たいへん助けとなった。皮は靴やベルト、ボートを波から守るカバーに利用され、ミルクは直接飲まれたほか、バターにも加工された。脂肪は甘いアーモンド・オイルのような味がし、ランプの明かりにも使われた。彼らが生還できたのは、このカイギュウの生息域でそれを有用に利用できたからであった。(Wikipedia)

 ステーラーカイギュウの乱獲と絶滅
 ステラーカイギュウと名づけられたこの海獣の話はすぐに広まり、その肉や脂肪、毛皮を求めて、カムチャツカの毛皮商人やハンターたちが、数多くコマンドル諸島へと向かい、乱獲が始まった。約10年後の1751年になって、シュテラーはこの航海で得たラッコやアシカなどを含む数々の発見に関する観察記を発行している。アラスカでは見かけなかったこの動物についても、彼は体の特徴や生態などを詳しく記録している。

 ハンターたちにとって好都合なことに、カイギュウたちは動作が鈍く、人間に対する警戒心ももち合わせていなかった。有効な防御の方法ももたず、ひたすら海底にうずくまるだけだった。このような動物を銛やライフルで殺すことは容易だったが、何トンにもなる巨体を陸まで運ぶことは難しいため、ハンターたちはカイギュウをモリなどで傷つけておいて、海上に放置した。出血多量により死亡したカイギュウの死体が岸に打ち上げられるのを待ったのだが、波によって岸まで運ばれる死体はそれほど多くはなく、殺されたカイギュウたちのうち、5頭に4頭はそのまま海の藻屑となった。

 ステラーカイギュウには、仲間が殺されると、それを助けようとするように集まってくる習性があった。特に、メスが傷つけられたり殺されたりすると、オスが何頭も寄ってきて取り囲み、突き刺さった銛やからみついたロープをはずそうとした。そのような習性も、ハンターたちに利用されることになった。

 1768年、シュテラーの昔の仲間であったイワン・ポポフという者(マーチンの説もあり)が島へ渡り、「まだダイカイギュウが2、3頭残っていたので、殺した」と報告しているが、これがステラーカイギュウの最後の記録となった。ステラーカイギュウは、発見後わずか27年で姿を消したことになる。 その後もステラーカイギュウではないかと思われる海獣の捕獲や目撃が何度か報告されている。最も新しい報告例では、1962年7月のベーリング海でソ連の科学者によって6頭の見慣れぬ巨大な海獣が観察されているが、それがステラーカイギュウなのか他の海獣類を見間違えたのかは不明。(Wikipedia)

参考HP Wikipedia:ステラーカイギュウ National Geographic news:大群発見!ベリーズのマナティ調査 Yahoo!知恵袋:マナティとジュゴンの違いとは?

ジュゴンの海と沖縄―基地の島が問い続けるもの
クリエーター情報なし
高文研
マナティー―人間と遊ぶゆかいな仲間
クリエーター情報なし
二見書房

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