15世紀後半アステカの人骨を大量に発見
 メキシコシティは古代、中世、現代と、3つの文化が共存している世界でも珍しい多次元都市だ。先月「テパネカ王国」の遺跡が発見されたことを紹介したが、別の場所から、今度はこの王国を滅ぼした「アステカ帝国」の人骨が大量に発見された。以下はNational Geographic News8月30日記事の引用である。

 メキシコ首都メキシコシティの地下5メートルで、アステカ時代の子どもから大人までさまざまな年齢の多数の人骨が発掘された。その数は1789片に及び、1体は完全な状態で出土、若い女性とみられている。

 墓地が建設された1480年代、一帯は古代国家アステカの首都テノチティトランの中心地で、地上にはテンプロ・マヨール(大神殿)がそびえていた。テノチティトランを1325年に築いたアステカ族は、メキシコ中央部で繁栄したが、1521年にスペイン人に征服され滅亡している。


Templo-mayor

 現場付近では複数の人骨が埋められた墓地がいくつか発見されているが、これほど幅広い年齢層に渡る出土は初めてだ。現在、テンプロ・マヨールの遺跡とそれに隣接する博物館に続くアプローチを新たに建設中で、その工事の最中に出土した。

 積み重なった10個の頭蓋骨も発見され、3個が子ども、7個が大人と見られている。考古学者チームは多様な骨の中から複数の肋骨と大腿骨も特定。当初は別の場所に埋葬された遺体が後に掘り起こされ、一人の女性の周囲に撒かれたようだ。

 全体の人数とそれぞれの性別、年齢、最初の埋葬時期を特定するため、自然人類学者チームが調査を進めている。

 生贄の痕跡と神聖な木
 考古学者チームが遺骨を調べたところ、椎骨と胸骨の一部に切りつけられたような痕跡が見つかった。神への供物として生贄にされた可能性を示している。当時は、生きたまま石器のナイフで心臓を取り出し、神に捧げる儀式が頻繁に行われた。16世紀のスペインの記録には、喉を切ったり、矢で撃ち殺す様子や、絞殺、焼殺も記されている。

 雨乞いや豊穣を願う神事には、敵軍の兵士や見た目が高潔で健康な一般市民が選ばれた。中には、身分の高い女性や若者、幼児、アルビノ、小人、司祭、売春婦、奴隷が人身御供となった。王の死後は、その生まれ変わりまでお供をするため、使用人の心臓が神に捧げられた。

 大量の人骨から約35メートル離れた地点では、割れたオーク(ナラの一種)の幹が埋められていた。周囲には漆喰(しっくい)で固めた火山岩が円形に並んでいる。

 16世紀のスペイン人が残した記録によれば、テノチティトランの中心部には神聖な木々が存在した。今回のオークはその1本の可能性があるという。アステカの宗教では、木の枝が空を支え、根は地下世界につながっていると信じられていた。

 多数の木の杭は、建造物の基礎のようだ。テノチティトランはテスココ湖を干拓した島に築かれており、土壌の水分が多かった。木杭で補強しなければ、重い石造の儀式壇や神殿は沈み込んでいただろうという。(A.R. Williams for National Geographic News August 30, 2012)

 テンプロ・マヨールとアステカ族の宇宙観
 メキシコシティー、ソカロのカテドラルの裏側に、大きなアステカ時代の遺跡がある。「Templo Mayor(テンプロ・マヨール)」、大きな(偉大な)寺院という意味。遺跡の周りには簡単な、外からも遺跡の様子がうかがえる。入り口の所で入場料を払い中へ入る。遺跡には見学用の通路が渡されていて、順番に見学するようになっていた。

 テンプロ・マヨールは、1978年の水道工事中に、8tもある石碑を出土したことから本格的な調査が始まった。この石碑は、アステカ神話の中でも重要な位置をしめる、月の神「コヨルシャウキ」 のもの。この調査から、遺跡はアステカ帝国の都テノチティトランの中央神殿であることがわかった。このテンプロ・マヨールには78ほどの建物が建てられていた事が調査でわかっているす。 今現在、カテドラルや国立宮殿などが建っている場所の地下にも遺跡が埋没している。

 テンプロ・マヨールは、アステカ族の持っていた宇宙観の基礎の中心にあった。そしてその場所は宇宙の水平面が出会い、交わる場所であった。水平面とは、天空の水平面、地下部分の水平面、人がすんでいる地面の水平面だ。 テンプロ・マヨールは、宇宙の4つの方向に分けられている。宇宙には4つのドアがあり、それぞれの基本方向を方向付けている。そして、この場所ではアステカの中心的儀式である、人身犠牲がおこなわれていた。

 アステカ族にとって、人身犠牲は大変な重要性をもっていた。いけにえは生が死に続くための方法であった。これは1年を通して食物が枯れてしまう乾期と、雨が大地の果実をよみがえらせる生の時期が、絶え間ないサイクルとして存在する自然界に起こっているのと同じだという考え方。人身犠牲を通じて、もっとも価値があるとみなされた血と命そのものが捧げることにより、死を通じて生を生じさせる手段だったという。

 このテンプロ・マヨールは征服した部族が前の部族の建物跡にかぶせるように建物を建てていったらしく、建物が何層にもなってできているという。 途中、大きな羽の生えた蛇や、実際に人身犠牲が行われていたというチャック・モールの石像、カエルの祭壇、など神話の世界さながらの石像群が次々と現れてきた。 また、一面ドクロの彫刻が施された祭壇などもあり、見た瞬間少しびっくりさせられる。

 テンプロ・マヨールからは多種多様な供物が発掘されましたが、それらは遺跡横に建てられた博物館に展示されている。 国立人類学博物館もそうだが、建物はとてもおしゃれな雰囲気で、入ってすぐのフロアーにテンプロ・マヨールを中心とするテノチティトランの神殿コンプレックスの模型が展示されていて、当時の姿が思い浮かぶ。

 建物は8つの展示室に分かれていて、それぞれがテーマを持っていて、アステカ人のテンプロ・マヨ-ルの構造がわかりやすいように、象徴的に再現されている。そのため、2つの神殿を持つ本物の大神殿と位置が同じになるよう、 博物館の北側の展示室には太陽と深い関係のある戦の神ウィツィロポチトリがまつられており、南側には雨の神 トラロックがひかえていた。この中でも神話の世界、そしてアステカの時代に思いをはせていた。(SolyLuna)

 メキシコの古代・中世・現代
 メキシコの古代文明というと、メキシコの南東部に“マヤの予言(2012年12月)”で有名な「マヤ文明」がある。マヤ文明の始まりはA.D.300~900年頃、16世紀、スペイン人の侵入を迎え、1697年スペイン領に併合されるまで続く。生け贄の儀式でも有名だ。

 今のメキシコシティのある中部には、14世紀後半、テスココ湖の西岸にあるアスカポツァルコを首都とする「テパネカ王国」にテソソモクという英傑があらわれ、その傭兵部隊だった「アステカ族」は、テソソモク没後、テスココ、トラコパンとともに三都市同盟を築き、テスココの名君ネサワルコヨトルの死後は、完全にリーダーシップを握って15世紀前半「アステカ帝国」を形成した。

 16世紀初頭の1519年のスペイン人エルナン・コルテス (Hernán Cortés) の到着し、1521年に「アステカ王国」は滅亡。スペイン人の支配による「ヌエバ・エスパーニャ(新しいスペイン)」と呼ばれる植民地が誕生する。メキシコの植民地時代の始まりだ。その後のことはWikipediaなどに詳しい。(メキシコの歴史参照)

 「アステカ王国」は、まだ記憶に新しい、しかし、その前の「テパネカ王国」については、考古学的な研究がほとんど進んでいない。アリゾナ州立大学(ASU)の人類学者マイケル・スミス氏は、2つの理由を指摘する。彼らは「メシーカ(Mexica)」という部族を圧政的に支配していたが、後にメシーカが「アステカ帝国」に発展、テパネカ王国を滅ぼした。「その後アステカは、意図的に歴史からテパネカに関する記述を削除した」という…。
メキシコでは、スペインによる支配は300年続いたが、18世紀を迎えるとアメリカ独立戦争やフランス革命、ナポレオン戦争に影響され、土着のクリオーリョ(スペイン入植者の子孫)たちの間に独立の気運が高まった。

 スペイン王家がナポレオンに滅ぼされると、1810年9月15日に、スペイン打倒を叫ぶメキシコ独立革命が始まり、長い戦いの火蓋が切られた。1821年9月15日に独立闘争の指導者アグスティン・デ・イトゥルビデがメキシコシティに入城し独立を宣言する。

 このころ、アメリカ合衆国はテキサスに対する野心を隠さず、1936年米国人入植者による、アラモの戦いなどのよって「テキサス共和国」が独立。メキシコ政府は認めなかったが、1845年にアメリカ合衆国がテキサス共和国を併合した。
 1846年5月にアメリカ合衆国はメキシコに宣戦を布告し、米墨戦争が勃発した。サンタ・アナ率いるメキシコ軍は1847年9月にメヒコ市を攻略されて敗北し、1848年2月にグアダルーペ・イダルゴ条約が締結されて戦争はメキシコの完敗に終わった。メキシコはテキサスのみならずカリフォルニアなどリオ・ブラーボ以北の領土(いわゆるメキシコ割譲地)をアメリカ合衆国に割譲し、実に国土の3分の1を喪失した。

 その後1876年には、フランス干渉戦争の英雄ポルフィリオ・ディアスが独裁体制を敷き、この非民主的な政体は1910年以降のメキシコ革命をもたらした。革命軍は政府軍を敗北させ、1917年に革命憲法が発布されたことで革命は終息したが、20年以上の長年に渡る内戦を残した。革命が終わると、1934年に成立したラサロ・カルデナス政権は国有化事業や土地改革を行い、国内の経済構造は安定した。
 与党の制度的革命党 (PRI) が第二次世界大戦を挟み、冷戦が終結した20世紀の終わりまで与党として政治を支配したが、蔓延する汚職や停滞する経済の責任を問われて総選挙で敗退した。しかし現在も強力な政党として大きな影響力を維持し現在にいたっている。

 また、20世紀に入って以降は石油や銀の産出とその輸出が大きな富をもたらしたものの、その後の近代工業化の過程で莫大な対外負債を抱え、20世紀中盤に工業化には成功したものの、慢性的なインフレと富の一部富裕層への集中が、現代に至るまで国民を苦しめる結果となった…。

参考HP National Geographic news:アステカの生け贄人骨を大量に発見 アイラブサイエンス:メキシコシティの地下に遺跡を発見 SolyLuna:旅行記メキシコ編その14テンプロ・マヨール

アステカ王国―文明の死と再生 (「知の再発見」双書)
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