ナチスと仏像の出会い
 まさにあっと驚く新事実だ。かつてチベットでナチスが発見した大昔の仏像が、隕石を彫刻したものだったことが判明したのだ。なぜ、隕石が仏像に? なぜ、ナチスがチベットに? 謎が謎を呼ぶ今回のニュースの真相を探ってみた。

 1938年、チベットに向かったナチスの調査隊がこの仏像を発見し、ドイツに持ち帰った。おそらくはナチスのシンボルである鉤十字と逆方向の卍模様が刻まれている点に興味を持ったとみられる。その後、この“アイアンマン”はミュンヘンで個人が所蔵していたが、2007年に調査が許可された。

 それ以来、シュトゥットガルト大学惑星科学研究所のエルマー・ブフナー(Elmar Buchner)氏が、11世紀にチベットで作成されたと考えられているこの仏像の分析にあたってきた。ブフナー氏によれば、仏像はおよそ1万5000年前にモンゴルとシベリアの間のいずれのかの地点に落下した隕石から彫られたものだという。


Hakenkreuz

 分析においては、仏像から採取した鉱物サンプルの成分と構造が手がかりの1つとなり、これがアタキサイトと呼ばれる隕石の一種であることが判明した。ブフナー氏はBBCの取材に対し、「この素材はニッケル、そしてコバルトを多く含んでいる。アタキサイトはすべての隕石の0.1%以下、鉄隕石の中でも1%以下しか存在しない。最も珍しい種類の隕石と言えるだろう」と語っている。

 この仏像が、作成した彫刻家にとって大切なものだったことは間違いないが、現在の価値はどれほどだろうか? 隕石から彫られた人物像として確認されたものとしては唯一であるという希少性からして、2万ドルの値がついてもおかしくないと、ブフナー氏はみている。ただし同氏は声明の中でこう述べている。「我々の制作年代に関する推測が正しく、(彫像が)約1000年前のものであれば、金額に換算できない価値を持つ可能性がある」。

「Buddha from space(宇宙から来たブッダ)」と題されたこの新しい研究の論文は、学術誌「Meteoritics and Planetary Science」の9月号に掲載されている。(Catherine Zuckerman for National Geographic News September 28, 2012)


 なぜ隕石なのか?
 今回、発見された仏像、隕石から造ったものだそうだが、隕石とは何だろう? 隕石は金属鉄(Fe)とケイ酸塩鉱物の比率で大きく3つに分類される。 すなわち鉄とニッケルを多く含む「鉄隕石」と、鉄とニッケルを含まない、ケイ酸塩鉱物から成る「石質隕石」。その中間の「石鉄隕石」である。これらは、小惑星が分化したものと考えられ、金属核が起源のものが「鉄隕石」。これに対し、マントルが「石鉄隕石」、地殻が「石質隕石」となる。

 さらに「鉄隕石」であるが、ニッケルの含有量によって、ヘキサヘドライトhexahedrite(Ni4~6%)、オクタヘドライトoctahedrite(Ni6~14%)、およびアタキサイトataxite(Ni14%以上)に細区分される。今回のものは、アタキサイトであった。風化に強いため、古い鉄隕石は比較的よい状態で見つかる。発見された中で最大のホバ隕石を始め、最大級の隕石はいずれも鉄隕石である。

 オクタヘドライトには、数百万年の時間スケールでの冷却によって生じるウィドマンシュテッテン構造が特徴的な模様として現れる。これはFe-Ni合金の正八面体型結晶構造が出現したものでオクタヘドライトと呼ばれるものの特長である。平均して8.59%程度のニッケル、0.63%程度のコバルト、数ppmの金、白金、イリジウムなどの貴金属も含まれる。また少量のリンおよび炭素などの非金属元素も含まれる。

 金属の精錬技術を持たなかった時代あるいは地域の人々は、隕鉄を貴重な金属として、道具に使っていた。天からもたらされた物質であることが知られると、宗教な意味づけが加わり、珍重されることもあった。稀に、刃物に加工されることがあるが、通常の鋼材と違って焼き入れが難しいため、刃物には向かないとされる。また、日本式の「鍛錬」は困難である。現代では、もっぱら隕石としての博物学的な価値があるのみである。

 今回の仏像、天から降ってきた貴重な金属を、信仰心の篤い昔の人が畏敬の念を感じて仏像にしたことが想像される。それを遥か西方の住人だったナチスの調査隊が発見したのも面白い。おまけにナチスの「ハーケンクロイツ」と吉祥である「まんじ」が偶然一致していた。ナチズムと仏教は正反対のものだ。なぜこんなことがおきたのだろう?


 アーリア人至上主義
 調べてみると、ナチスはアーリア人種こそが世界を支配するに値する人種と信じ、その中でも容姿端麗で知能が高く、運動神経の優れた者が最もアーリア人種的であるとされた。探検隊はアーリア人発祥の地である中央アジアを調査していた。

 悪名高いハインリヒ・ヒムラーは、このアーリア人的な特徴を持った人間に対し自由恋愛を推奨し積極的に交配を行わせた。このアーリア系人種との間に生まれた子供を育て上げる組織はレーベンスボルン(生命の泉)と呼ばれ、増殖計画によって作られた子供は親元からすぐに引き離された。また頭脳の優れた超人こそが大衆を支配すべきだと信じられ、超人を生み出すために数々の人体実験を行った。逆にユダヤ人の血は最も劣った病原菌とみなされていた。これらの思想が断種法やホロコーストに繋がったのである。

 「断種法」は1933年に成立。ナチスは精神病やアルコール依存症患者を含む遺伝的な欠陥を持っていると見なし40万人以上の個人を強制的に処分した。1940年になるとT4 安楽死プログラムによって何千人もの障害を持つ病弱な人々が殺害された。それは「ドイツの支配者民族としての清浄を維持する」Herrenvolk とナチスの宣伝で記述された。T4作戦は表向きには1941年に中止命令が発せられたが、これらの政策は後のホロコーストに結びついた。

 ナチズムの思想において人種とは、肉体の外観だけではなく、言葉や習慣、心情にいたるまでの精神的性向も「遺伝」するものであった。ゆえに人種は決して平等ではなく、中でも白色人種は「生まれながらの絶対的な支配者としての感情」があり、「他のすべての世界を支配する権利」を与えられていることは自明であった。

 その白色人種が構成するヨーロッパの各民族は、北方人種、地中海人種、ディナール人種、東方アルプス人種などの各人種が混血してできあがったものである。その各人種のうち、最も優れた精神的・肉体的性向を遺伝するのは「北方人種」であり、ドイツ民族にはその北方人種の構成要素が最も多いとされていた。

 すなわちドイツ民族とは、最も優れた人種の精神を受け継いだ「種と運命の同質性に立脚する」民族共同体である。このため「世界支配への参加の権利をドイツ民族より以上に有する民族は存在しない」、すなわち支配人種(Übermensch)と定義された。

 この民族思想は必ずしも純血主義とイコールではない。一定のドイツ的な人種と混血することで、その人々を「ドイツ化」することは可能であった。ヒトラーは1942年5月12日の談話で、人種的に優れたドイツ人部隊を劣等なゲルマン民族地に駐屯させると(部隊とその地の女性の間で私生児が生まれることにより)、その地の民族の血を「若返らせる」ことができると述べている。一方で劣等人種の血が優勢にならないように、その流入を防ぐことも必要であるとされた。


 生命の泉(レーベンスボルン計画)
 こうした背景には、ドイツが敗戦した、第一次世界大戦以降の状況が関係している。ドイツでは1920年の894,928人から、1932年の512,793人へと、ドイツの出生率は激しく落ち込んだ。男性の戦死によって、200万人以上の女性が夫ないし夫となるべき男性を失ったためと考えられる。また、当時、戦後の世界大恐慌による生活苦などのための堕胎が流行し、60万から80万(1937)もあり、出生率を越える、と見積られた。

 そこで、1934年3月、ナチス福祉局(NSV)は、母子援助制度を創設し、経済支援を行った。ドイツ児童手当制度(Das Deutsche Institut für Jugendhilfe e.V.)は、父親が養育費を払えない子供たちの世話に当たった。

 「生命の泉」計画は主としてドイツ国内で実施された。しかしヒトラーは「金髪」「碧眼」「長身」といった身体的特徴を持つ「北方人種」を「より純粋な」アーリア人と考え、ドイツ人のアーリア化を促進する目的で、ドイツ人ナチ党員男性に対してノルウェー女性との性交渉を積極的に奨励した(他のナチスドイツ占領地域では、このような行為は禁じられた)。このため、ノルウェーでは Lebensborn の用語が、ノルウェー人の母親とドイツ人の父親の間に生まれた子供について記述する場合に使用される。

 1940年から1945年までの間にレーベンスボルン計画によってノルウェー国内10カ所に設けられた産院で出生した子供は約8000人、施設外の約4000人も含め約12000人の子供が駐留ドイツ兵とノルウェー人女性との間に生まれたとされる。

 ドイツ降伏後に当時のノルウェー政府が「対敵協力者」の処分を行い、ノルウェー人女性約14000人を逮捕、そのうち約5000人が18ヶ月間強制収容所に入れられた。特にドイツ兵と結婚した女性についてはノルウェー国籍を剥奪された。出生した子供については恣意的な『知能鑑定』が行われ「子供たちの半数が知的障害の可能性が高い」と断定した。

 ドイツ兵との間の子供についてはフランスで約8万人、オランダでも1万人以上との推定があるが、このように政府が「公式に迫害」したのはノルウェー政府だけであった。2002年にはノルウェー国会で公式の謝罪と補償を政府に促す決議が全会一致で採択され、2004年7月には迫害の度合いにより2万ノルウェー・クローネから20万ノルウェークローネの補償がなされることが決定した。

 スウェーデンのポップグループABBAのメンバーだったアンニ=フリッド・リングスタッド(Anni-Frid Lyngstad)は、ドイツ人ナチ党員の父とノルウェー人の母の間に生まれた子である。彼女はノルウェーに生まれたが、ナチス・ドイツ敗北後、ナチ残党への追及を避けるため母と共にスウェーデンへ逃れ、そこで成長した。実の父は存命だったが、死んだものと聞かされて育てられたという。(Wikipedia)


参考HP Wikipedia:ナチス・ドイツ National Geogrphic news:チベットでナチス発見の仏像、実は隕石だった

ナチズム―ドイツ保守主義の一系譜 (中公新書 (154))
クリエーター情報なし
中央公論社
ナチズム―地獄と神々の黄昏
クリエーター情報なし
水声社

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