カリブ海の深海生物調査
 カリブ海(Caribbean Sea)は、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域である。南はベネズエラ、コロンビア、パナマに、西はコスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、ベリーズ、そしてメキシコのユカタン半島に、北はキューバ、イスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国、ジャマイカ、プエルトリコといった大アンティル諸島に、東は小アンティル諸島に接している。

 カリブ海の総面積は、約275万4000平方キロメートル(106万3000平方マイル)。最も深いのは、キューバとジャマイカの間にあるケイマン海溝で、水深7684メートル(2万5220フィート)である。 カリブ海全域を「カリブ地方」と呼ぶ。カリブ海は多島海で、この海域に浮かぶ数多くの島々を総称して「カリブ諸島」あるいは「カリブ海諸島」と呼ぶ。 「カリブ」の名称は、コロンブスの北米大陸到達をさかのぼること約100年の昔より小アンティル諸島から南アメリカにかけて先住していたカリブ族の名に由来する。

 そのカリブ海、バハマ沖で最近、深海生物の調査が行われ、深海発光生物の秘められた生態が明らかになった。

 研究チームは有人潜水艇「ジョンソン・シー・リンク(Johnson-Sea-Link)」に乗り込み、ナマコ、イソギンチャク、竹サンゴ(bamboo coral)、ヤドカリなど、深度1000メートルの世界に生息するさまざまな発光生物を収集。特に海底に住む生物がどのような生物発光を行うのか、実験室でさまざまな調査が行われた。


Caribbean_Sea

 研究チームの一員でアメリカ、フロリダ州にあるノバサウスイースタン大学海洋学センターの海洋生物学者タマラ・フランク(Tamara Frank)氏は、「深海生物は、生物発光の色を識別して食べ物を選んでいることが判明した」と話す。

 「さまざまな色の光を見て、“これは好き”、“これはいらない”といった判断を下している可能性がある」。


 深海生物は生物発光の色で選別?
 例えばコシオリエビの一種は、研究チームが潜水艇の中から観察する中、緑に光るイソギンチャクに座り、「時々、長いはさみで何かをつかみ取っては口に運んでいた」とフランク氏は説明する。「イソギンチャクを食べているようには見えなかった。イソギンチャクに付いた別のものを食べていたのだろう」。

 研究チームの一員ソンケ・ジョンソン(Sonke Johnson)氏は、かすかな青い光に気付いた。光を放っていたのは通りすがりのプランクトンで、流されて次々とイソギンチャクにぶつかってくる。青い光や紫外線に敏感なコシオリエビは、緑のイソギンチャクをちゃっかり利用して、おいしそうな青いプランクトンを見分けているのではないかと、チームは推測している。

 このコシオリエビの仲間は、長さ2.5センチの体部にかなり大きな眼を持ち、深海の生物発光を感知する能力があるという。

 また、体長40センチほどに成長する甲殻類の一種、ダイオウグソクムシの複眼は弱い光への感度が極めて高い。輝板(タペータム)という後部の反射層に光が反射して、正面から見ると眼が輝いて見える。

 深海生物は、一般的な海中生物とは異なり、典型的な青色ではなく緑色に発光することもわかった。「海底まで下りると、海流の動きや有機堆積物(デトリタス)の影響で、青は見えにくくなるのだろう。緑の方が遠くまで届く」とフランク氏は話す。

 引き上げた深海生物の視覚を研究する際には、暗い場所で保管しなければならない。「海面の光のレベルでは失明してしまう」。

 深海生物の調査におけるもうひとつの難題は、海面との温度差だ。特に熱帯地方の場合、引き上げた生物が高い水温に耐えられない可能性がある。「死ぬ原因は水圧だと思っている人が大半だが、実は水圧の変化にはある程度対応できる。深海は摂氏4度から7度の世界だ。28度の海面に来れば、油で揚げられたような熱さだろう」。

 深海底に絞った生物発光の研究は数少ない。この特徴が深度1000メートルではもともと珍しいのか、バハマ沖に特有の状況なのかは解明されていない。「他の地域でも調査を実施して、今回の成果が当てはまるかどうか確認する必要がある」。

 しかし、フロリダ・アトランティック大学のハーバーブランチ海洋研究所(Harbor Branch Oceanographic Institute)では、予算削減のため、調査で使った潜水艇の母船を売却してしまったという。「潜水艇ジョンソン・シー・リンク(Johnson-Sea-Link)が使えなくなったのは、本当に残念だ」とフランク氏は話している。

 今回の研究結果は、「Journal of Experimental Biology」誌オンライン版に9月5日付けで発表された。(National Geographic News October 11, 2012)


 カリブの海賊とその歴史
 ところで、カリブといえば、“カリブの海賊”が有名だが、海賊はどのように誕生し、どうして消えていったのだろう?

 時代は、スペイン統治時代のメキシコ。1492年にコロンブスがアメリカ大陸到達後、16世紀初頭の1519年にスペイン人エルナン・コルテス (Hernán Cortés) がメキシコに上陸した。コルテスら征服者達は、アステカの内紛や、神話の伝承を有利に利用して戦闘を行った末に、テノチティトランを征服し、1521年に皇帝クアウテモックを処刑してアステカ帝国を滅ぼした。

 アステカを滅ぼした後、スペイン人達はこの地に「ヌエバ・エスパーニャ副王領(新スペイン)」を創設し、ペルー副王領と並ぶインディアス植民地の中心として、滅ぼされたテノチティトランの上にメキシコシティが築かれた。その後300年、スペイン人の統治が続くことになる。

 1545年、スペイン人達は、南米で巨大なポトシ(Potosi)銀山を発見した。つづいて、1546年メキシコでサカテカス(Zacatecas)銀山を、1558年グアナフアト(Guanajuato)銀山を発見する。

 スペインは、メキシコとリマに造幣所を作り、大量の金銀貨をヨーロッパに運んだ。当初のコインは、板状の金銀に刻印したもので、「コブコイン(cob coin)」と呼ばれた。「コブ」は、スペイン語の「Cabo de Barra(棒の切れ端)」を略したものである。1750年ころまでこの形態のコインがく。

 さらに、東洋にこの銀貨を運び、絹を持ち帰る「ガレオン船団」が運航された。このカリブ海には、金銀貨と東洋の絹を運ぶ「財宝船団」が頻繁に運航されるようになった。

 16世紀後半のヨーロッパ大陸は、新大陸からもたらされた大量の金銀により、貨幣価値が3分の1以下になったという。(これは『価格革命』と呼ばれている。)


 カリブの海賊全盛期
 海賊達はこの「財宝船団」をねらって誕生する。1600年ごろ、カリブ海に海賊たちが出没。彼らの多くは、フランスやイギリスの荒くれや失業者たちだった。彼らは、この地方の原住民の日干し肉(buccaning)を航海食として利用したことに由来して、「バッカニーア(英Buccaneer,西Bucanero)」と呼ばれた。

 1620年代になると、海賊たちは、カリブ海に自分たちの基地を建設した。「ジャマイカ島」とハイチの北にあった「トルトゥーガ島」がその中心だ。フランスやイギリスの政府は、これらの海賊を取り締まるどころか、他国の商船を攻撃することを推奨した。

 1660年代、イギリス人海賊のヘンリー・モーガンやフランス人海賊のフランシス・ロロノアが大暴れしました。モーガンはイギリス政府が懐柔しジャマイカの副総督となりました。 ロロノアは、最も残酷なバッカニーアとして知られているが、現地人ともめごとを起こし殺された。

 1700年からの25年間が、カリブの海賊の”全盛期”だった。常に1000人以上の海賊たちが”活躍”していた。 しかし、このころからイギリス政府は、海賊を取り締まる方向に転換。

 1701年、ウィリアム・キッドが捕らえられ、ロンドンで処刑された。ポーの「黄金虫」は、このキッドの隠した財宝がモデルになっている。

 1718年、エドワード・ティーチがイギリス軍と戦って戦死。 彼は「黒髭」とあだ名され、東京ディズニーランドにあるアトラクション「カリブの海賊」のQラインには、彼の肖像画が飾られている。

 1720年、女海賊で有名なアン・ボニーが捕えられた。 彼女は妊娠していたため、処刑は免れたという。

 1722年、バーソロミュー・ロバーツが、イギリス軍と戦い戦死した。彼はブラック・バートとも呼ばれ、「大海賊時代」最後にして最大の海賊とされている。そのうち、200年以上盛んだった銀山の産出量もだんだん減少。1778年、スペインは定期的な財宝船団を廃止した。


参考HP Wikipedia:海賊の全盛時代 コインの散歩道:カリブの海賊 National Geographic news:カリブ海で深海の発光生物


パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉 DVD+ブルーレイセット [Blu-ray]
クリエーター情報なし
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
海賊の歴史―カリブ海、地中海から、アジアの海まで (「知の再発見」双書)
クリエーター情報なし
創元社

ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ ←One Click please