100年来の真珠養殖技術を解明
 独立行政法人・水産総合研究センター(横浜市西区)と麻布大学、三重県水産研究所の研究チームは、100年以上前に日本で開発されたアコヤガイの真珠養殖技術について、初めてその仕組みを遺伝学的に解明した。今後は、良質な真珠を作る遺伝子を見つけ、それを生産するアコヤガイの飼育管理の改善につなげたいという。

 真珠生産の手順は、貝殻を形成する外套膜(がいとうまく)の一部をアコヤガイ(供与貝)から切り取り、貝殻などで作られた球形の核(真珠核)と一緒に他のアコヤガイ(母貝)の生殖巣内に移植する。この組織片は真珠核の表面を包み込んだ「真珠袋」となり、真珠核の表面に真珠層を形成する。この母貝を海で半年から1年以上飼育し、真珠袋に真珠層を作らせ続けて、大きな真珠を得る。

 こうした真珠の養殖技術は1907年(明治40年)までに、三重県で御木本幸吉(1858-1954年)らが開発し、その後実用化されて現在に至っているが、移植した外套膜が母貝の体内で、実際に存在しながら真珠を形成しているのか、これまで確認されていなかった。


 研究チームは、アコヤガイのDNA(デオキシリボ核酸)を調べ、真珠層形成に関与する2つの遺伝子の塩基配列がアコヤガイの個体によって異なることをつきとめた。さらに供与貝の外套膜、真珠袋、母貝の外套膜で働いている遺伝子を調べたところ、移植してから18カ月目までの真珠袋では、供与貝と同じ遺伝子がそのまま働いていることが分かった。

 その結果、真珠層を形成するのは供与貝由来の真珠袋であり、母貝は栄養や酸素、真珠層の材料となる物質などを真珠袋に与え、不要な老廃物は排除するなど、真珠袋の細胞が生き続けられる環境を提供する役割を担うと考えられるという。(サイエンスポータル 2013年3月19日)


 真珠養殖技術を初めて科学的に証明
 真珠層を作る組織を核とともに別の貝に入れて真珠を作る技術は日本で開発されましたが、その原理は科学的に証明されていませんでした。
真珠形成に関わる遺伝子を調べることで、別の貝の組織が移植先の貝で生き続け,真珠の形成に大きく関わっていることを初めて科学的に証明しました。

 「アコヤガイの真珠層を作る組織を切り出し、別のアコヤガイに核とともに移植し,核の周りに真珠袋を形成させて真珠を作らせること」は,100 年以上前に日本で開発された極めて画期的な技術で,現在も広く普及しています。しかし,実際に切り出した貝の組織が,移植先の貝に存在し続け,宝石である真珠の形成に大きく関わっているかどうかは,確かめることが難しく謎のままでした。

 今回、水産総合研究センターと麻布大学、三重県水産研究所の研究チームは、真珠の形成に関与する遺伝子を調べ、組織を移植してから18 ヶ月目までは、移植した組織の遺伝子が働いていることを確認しました。これにより、これまで100 年来実証されることがなかったその原理を初めて証明することができました。

 この結果は、移植した貝の外套膜の組織が存在し続けて真珠を作ることを示しています。今後は、良質な真珠を作る遺伝子を見つけて利用することで、真珠層が厚く、色や光沢の良い高品質な真珠を生産可能なアコヤガイの開発につながると大いに期待されます。

この成果は学術雑誌『Aquaculture 』, Volumes 384-387,56-65 に掲載されています。(http://dx.doi.org/10.1016/j.aquaculture.2012.12.019)。


 アコヤガイとは?
 アコヤガイ(阿古屋貝、学名 Pinctada fucata martensii)は、ウグイスガイ目 ウグイスガイ科に分類される二枚貝の一種。真珠養殖に利用される「真珠母貝」の一つで、「真珠貝」という別名もよく知られている。

 殻長10cmほど。貝殻は平たい半円形で、中央部は厚いが縁は層状になっており、薄く剥がれる。貝殻の外側は緑黒色か緑白色だが、内側は強い真珠光沢がある。

 太平洋とインド洋の熱帯・亜熱帯の海に広く分布し、日本でも房総半島以南に分布する。干潮線帯から水深20mくらいまでの岩礁に生息し、青い光沢のある足糸を出して、岩石に自分の体を固定して生活する。

 貝殻の内側に異物が混入すると異物に対し真珠層を巻くので、真珠の養殖に使用されている。 真珠の核は、別の貝の貝殻を真円状に加工したものを核としている。貝柱は曲玉形をしており食用にされ、真珠を取り出す際に別に採取する。食材としては串焼き、天ぷら、茶碗蒸しなどに使用されるが、古くは日干ししていた。

 1990年代後半に感染症が拡大したため日本のアコヤガイ養殖は打撃を受け、中国産のアコヤガイが導入された。中国産は病気には強いが真珠の品質が劣るため、交雑が問題となっている。

 日本の主な産地としては、愛媛県の宇和海、長崎県の大村湾、三重県の英虞湾などで養殖されている。ほかにも、西日本各地の透明度の高い内湾でアコヤガイを利用した真珠養殖が行われている。阿古屋は現在の愛知県阿久比町の古い地名で、この辺りで採れた真珠を阿古屋珠(あこやだま)と呼んだことから、真珠のことも阿古屋と呼ぶようになった。

 2012年2月8日、沖縄科学技術大学院大学、ミキモト、東京大学などの研究チームがアコヤガイのゲノム全解読に成功したと発表した。アコヤガイのDNAは約11億塩基対でヒトの約3分の1あり、特定された遺伝子は約2万3300個。今回のゲノム全解読は、軟体動物としては初めての例となる。今回のゲノム解読により、真珠形成のメカニズムの解明や、国産アコヤガイを識別して真珠の質の維持と向上を図ることができると期待されている。(Wikipedia)


 真珠の養殖について
 1893年に御木本幸吉氏が三重県、英虞湾(あごわん)神明浦でアコヤ貝の半円真珠の養殖に成功し、1905年英虞湾の多徳島で真円真珠の養殖に成功した。 真円真珠の養殖成功まで、その道のりは大変なものであった。数回の転職、行商の仕事をしながら知った真珠の価値。アコヤガイの養殖から真珠の養殖への転身。赤潮などによる大量のアコヤガイの死、度重なる失敗、度重なる借金。ついに半円真珠の養殖成功の喜びもつかの間。心労からであろう、最愛の妻の死。

 養殖真珠の歴史は古く、13世紀の中国などで既に行われていた。しかし、量産することは難しかった。御木本氏は、ついに何人もの人が挑戦して見つからなかった、真円真珠の養殖に成功する。 この情熱はすばらしいものであるが、御木本幸吉氏は本当にラッキーだった。身内の多くが協力してくれたのも大きかった。しかし、多額の借金をしてまでするべきことではない。普通の人には真似できないことだが、この情熱は見習いたい。誰でも何か人に役立つことに情熱を持つべきだと思う。御木本氏の情熱はとどまることを知らず、世界中に養殖真珠を広げようとする。ヨーロッパで偽物扱いされた時は、裁判を起こし勝訴している。

 御木本氏は研究の結果、身の一番外側にある外套膜(がいとうまく)の外側部分から出る分泌液が、真珠を作り出していることを突きとめる。そして「核」をあらかじめその膜で包み、貝の身の中で育てることにより、大粒の真円真珠の量産を可能にした。この方法は「全巻式」と呼ばれる真珠生成の方法。なお、現在では、核の全面を外套膜で包むのではなく、核の一部に外套膜の小さな小片(ピース)をつける「ピース式」という方法が一般的である。

 養殖真珠は100%完全な真珠ができるわけではない。成功する割合はわずか5%。丸く美しい真珠は「花珠」と呼ばれ、養殖した真珠のうち、5%しか得られない。人工採苗のときから4年ほどの年月をかけて真珠は誕生する。まず、核入れ手術のあとの養殖期間中に50%ちかい貝が死んでしまう。4年後浜揚げのときには、17%は不良真珠、25%良質真珠となるが、花珠という最上級の物は5%しか得られない。 (出典:NHKその時歴史が動いた)


参考HP Wikipedia:アコヤガイ 水産総合研究センター:真珠100年の謎を解明!養殖技術を科学的に証明


真珠の博物誌
クリエーター情報なし
研成社

花珠真珠に匹敵!花珠貝パールネックレス・イヤリングセット8.0mm42cm
クリエーター情報なし
私の宝石箱

ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ ←One Click please