津波石でわかる過去の大地震
 津波石というものがある。津波石は、津波によって岸に打ち上げられた大岩だ。

 津波は大きなエネルギーを有しており、その押し波は高い水圧で海中の巨石などを運び、高い波によって陸地の内部にまで打ち上げる。

 特に、亜熱帯・熱帯地方の沿岸部では、サンゴ礁が石化してサンゴ石灰岩が形成され、潮汐による浸食を受けてキノコ状の岩礁になったり、岩塊となって海中に点在しているものが多数ある。これらは、比較的もろく比重も小さいため、津波によって一部が分離し、陸に打ち上げられやすい。

 この津波石の年代を調べることで、八重山列島では、過去2400年間に約150~400年の間隔で大津波が襲来したとみられることがわかった。


 調べたのは東京大学大学院新領域創成科学研究科の大学院生、荒岡大輔さんや東京大学大気海洋研究所の横山祐典准教授、川幡穂高教授、東北大学災害科学国際研究所の後藤和久准教授ら。研究論文は米国地質学会誌『Geology』に掲載された。

 以下はサイエンスポータル記事「サンゴ化石で津波再来推定」から引用する。


 サンゴ化石で津波再来推定
 日本の西端域に位置する南琉球列島(宮古・八重山列島)では、過去2400年間に約150-400年の間隔で大津波が襲来したとみられることが、海岸に打ち上げられたサンゴ化石を調査した東京大学大学院新領域創成科学研究科の大学院生、荒岡大輔さんや東京大学大気海洋研究所の横山祐典准教授、川幡穂高教授、東北大学災害科学国際研究所の後藤和久准教授らの共同研究で分かった。

 南琉球列島の島々の海岸では、以前から「津波石」と呼ばれる、津波で打ち上げられたサンゴ化石の岩が多数見つかっている。高波で運ばれた岩には他に「台風石」もあるが、台風石は波打ち際の近くに範囲が限られ、津波石はそれよりもかなり陸側に分布していることで区別される。

 研究グループは、同じサンゴ由来の津波石のうちでも、高波で打ちあがった際に表面の成長が止まるハマサンゴの津波石に着目し、炭素の放射性同位体を利用した年代測定を行った。南琉球列島の宮古島と来間島、下地島、多良間島、水納島、石垣島の6島から計100個以上の“ハマサンゴ津波石”を採取し、分布密度を解析した結果、西暦1771年と1625年、さらに1400年ごろ…というように、過去2400年間に約150年から400年までの間隔で8回以上の津波が発生していることが分かった。

 1771年の津波は、石垣島東岸にある「バリ石」と呼ばれる直径9メートルほどの津波石の分析で判明したもので、古文書に記載されている「明和津波」とみられる。明和津波は1771年(明和8年)旧暦3月10日に発生した「八重山地震」(推定マグニチュード7.4-8.0)に伴うもので、津波の波高は最大約30メートルに達し、島民ら1,200人以上が犠牲になったという。1625年(寛永2年)およびそれ以前の津波については不明だ。

 今回の研究により、南琉球列島地域における大よその津波の再来周期が見積もられた。将来の津波災害予測や防災計画などに有益な情報を提供するものだという。


 沖縄県の津波石
 沖縄県の先島諸島の海岸や内陸には津波石が多く残っており、1771年(明和8年)に起きた八重山地震の津波(明和の大津波)によって海岸に運ばれたり、陸に打ち上げられたと伝えられているものも多い。

 宮古諸島の下地島には、「帯岩」と呼ばれる巨岩が残り、信仰の対象となっている。また、伊良部島から下地島にかけての佐和田の浜にも、遠浅の浜に巨岩が点在し独特の景観を作りだしている。宮古島の東平安名岬でも、岬の台地上や付近の海岸に多数の大岩が点在している。

 石垣島大浜の崎原公園には「津波大石」(つなみうふいし)と呼ばれる長径12.8m、短径10.4m、高さ5.9mの大石がある。研究の結果、この石は八重山地震ではなく、約2000年前の津波によって打ち上げられたものと考えられている。この例のように、先島諸島の津波石は、実際には明和の大津波ではなく、それ以前の津波によって打ち上げられたものも多いと見られる。

 石垣島の東海岸にある津波石群について、2012年11月16日に、「石垣島東海岸の津波石群」として天然記念物への指定が答申され、2013年3月27日に告示された。対象となる津波石は、上記の「津波大石」、大浜の「高こるせ石」、伊野田の「あまたりや潮荒」(あまたりやすうあれ)、平久保半島安良にある「安良大かね」(やすらうふかね)の計4つである。このうち「津波大石」以外の3つは明和の大津波によって移動したとの記録がある。また、「安良大かね」は、サンゴ石灰岩ではなく流紋岩で、鉄分を多く含んでおり赤く見える。


 岩手県の津波石
 津波石が打ち上げられるのは亜熱帯や熱帯ばかりではない。岩手県田野畑村の羅賀地区の海岸から約360mの地点には、1896年の明治三陸地震の津波で運ばれた2つの津波石がある[7]。また、岩手県大船渡市三陸町吉浜の海岸から約200mの地点には、1933年の昭和三陸地震の津波で運ばれた幅3.7m、奥行き3.1m、高さ2.1m、重さ約30tの石があり、「津波記念石」、「昭和八年三月三日ノ津波ニ際シ打上ゲラレタルモノ」等の文字が刻まれている。

 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の津波でも、岩手県宮古市田老地区の摂待川河口から約470mの地点に、幅約6m、奥行き及び高さ各約4m、重さ推定140tの巨石が運ばれた例がある。(Wikipedia:津波石


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