1944年、第二次世界大戦末期
 1944年というと、第二次世界大戦もいよいよ大詰め。6月にはノルマンディー上陸作戦。7月にはヒトラー暗殺未遂事件、サイパン島では日本軍玉砕。11月にはそのサイパン島から東京初空襲があった。12月には東南海地震発生。軍需工場に大被害があり、日本の敗北が早まった。

 こんな年に、第44回ノーベル物理学賞は贈られた。どんな研究だろうか?受賞したのはアメリカの物理学者イジドール・イザーク・ラービ。受賞理由は「共鳴法による原子核の磁気モーメントの測定法の発見」である。

 これは、世界で最初の核磁気共鳴(nuclear magnetic resonance, NMR)現象に関する研究である。この原理を利用して、生体内の内部の情報を画像にする。核磁気共鳴画像法(magnetic resonance imaging, MRI)が開発されている。


 レントゲンでは、平面的にしか得られない体内の映像を、核磁気共鳴(NMR)現象を利用する、核磁気共鳴画像法(MRI)では、三次元的にとらえることができるようになった。断層画像という点ではX線CTと一見よく似た画像が得られるが、CTとは全く異なる物質の物理的性質に着目した撮影法だ。

 2003年にはMRIの医学におけるその重要性と応用性が認められ、"核磁気共鳴画像法に関する発見"に対して、ポール・ラウターバーとピーター・マンスフィールドにノーベル生理学・医学賞が与えられている。

 第二次世界大戦末期という時代に、すでに核磁気共鳴(nuclear magnetic resonance, NMR)現象という、現代でも最先端を行く科学技術の原理が発見されていることに驚かされる。

 時代は戦争であろうと、平和であろうと、絶えず変わっていく。万人が一人一人、世の中をよくする方向で考えたならば、戦争など起こるはずがないのだが・・・。


 核磁気共鳴とは何か?
 物理学者イジドール・イザーク・ラービとその弟子たちが見つけた核磁気共鳴は、人体を構成している水素原子を感知し、人体の内部を撮影する磁気共鳴画像(MRI)装置の開発につながった。核磁気共鳴とはなんだろうか?

 核磁気共鳴(NMR、Nuclear Magnetic Resonance) は外部静磁場に置かれた原子核が固有の周波数の電磁波と相互作用する現象である。

 原子番号と質量数がともに偶数でない原子核は0でない核スピン量子数 I と磁気双極子モーメントを持ち、その原子は小さな磁石と見なすことができる。磁石に対して磁場をかけると磁石は磁場ベクトルの周りを一定の周波数で歳差運動する。

 原子核も同様に磁気双極子モーメントが歳差運動を行なう。この原子核の磁気双極子モーメントの歳差運動の周波数はラーモア周波数 (Larmor frequency) と呼ばれる。この原子核に対してラーモア周波数と同じ周波数で回転する回転磁場をかけると磁場と原子核の間に共鳴が起こる。この共鳴現象が核磁気共鳴(Nuclear Magnetic Resonance、略してNMR)と呼ばれる。

 磁場中に置かれた原子核はゼーマン効果によって磁場の強度に比例する、一定のエネルギー差を持った 2I + 1 個のエネルギー状態をとる。このエネルギー差はちょうど周波数がラーモア周波数の光子の持つエネルギーと一致する。そのため、共鳴時において電磁波の吸収あるいは放出が起こり、これにより共鳴現象を検知することができる。


 核磁気共鳴(NMR)の応用
 核磁気共鳴分光法: 核磁気共鳴は発見当初は原子核の内部構造を研究するための実験的手段と考えられていた。しかし、後に原子核のラーモア周波数がその原子の化学結合状態などによってわずかながらも変化すること(化学シフト)が発見された。これにより核磁気共鳴を物質の分析、同定の手段として用いることが考案された。このように核磁気共鳴によるスペクトルを得る分光法を核磁気共鳴分光法 (Nuclear Magnetic Resonance Spectroscopy) と呼ぶ。核磁気共鳴分光法のことも単に NMR と略称する。

 核磁気共鳴画像法 (MRI): 核磁気共鳴において共鳴の緩和時間はその原子核の属する分子の運動状態を反映する。生体を構成している主な分子は水であるが、水分子の運動はその水分子が体液内のものか臓器内のものかによって異なる。よってこれを利用して体内の臓器の形状を知ることが可能である。これをコンピューター断層撮影法に応用した方法が核磁気共鳴画像法 (MRI) である。

 量子コンピュータ: 量子コンピュータの実現方法の一つとして、核磁気共鳴を用いるものが提案されている。量子ビットには原子核スピンを用いる。


 核磁気共鳴(NMR)の歴史
 1936年 コルネリウス・ゴルテルがミョウバンとフッ化リチウムの結晶を用いてNMR信号の検出を試みるが失敗。
 1938年 イシドール・ラビが塩化リチウムの分子線を用いてNMR信号を検出することに成功。(1944年ノーベル物理学賞受賞)
 1942年 コルネリウス・ゴルテルが論文中で初めてNuclear Magnetic Resonanceの言葉を使用した。
 1946年 エドワード・パーセルがパラフィン、フェリックス・ブロッホが硝酸鉄(III)水溶液を用いて凝縮系のNMR信号を検出することに成功。(1952年ノーベル物理学賞受賞)
 1950年 硝酸アンモニウムの窒素のNMR信号が2つの周波数を持つこと、すなわち化学シフトが発見される。すぐに水素やフッ素でも化学シフトが発見された。また、六フッ化アンチモン酸ナトリウムのアンチモンのNMR信号が分裂していることも発見された。これはスピン結合の発見である。これらはNMR分光法の端緒となった。
 1950年 アーウィン・ハーンがスピンエコー法を発見。
 1953年 アーノルド・オーバーハウザーがオーバーハウザー効果を理論的に予測。すぐに効果の実在が確認され、NMR分光法の感度向上や立体配置の決定に利用されるようになった。
 1954年 久保亮五、冨田和久らにより線形応答理論に基づいたフーリエ変換NMRの基礎理論が提唱された。
 1956年 ウェストン・アンダーソンが多量子遷移の観測に成功。
 1957年 フッ化カルシウムを用いてフーリエ変換NMRがはじめて測定された。
 1958年 レイモンド・アンドリューがマジック角回転法を提唱。高分解能固体NMRの測定が可能となった。
 1962年 スヴェン・ハートマンとアーウィン・ハーンがハートマン・ハーン効果を発見。
 1965年 高速フーリエ変換(FFT)のアルゴリズムが実用化される。
 1966年 リヒャルト・エルンスト、レイモンド・アンドリューによりフーリエ変換NMR分光法が確立する。(1991年にエルンストはノーベル化学賞受賞)
 1971年 ジーン・ジェーナーが講演で2次元NMRのアイデアを提案する。
 1976年 リヒャルト・エルンストが2次元NMRを測定する。
 1983年 フランク・ヴァンデヴェンら、オーレ・ソレンセンらのグループにより直積演算子法が導入された。
 1997年 クルト・ヴュートリッヒによりTROSYが提唱された。高分子の高分解能測定が可能となった。(2002年ノーベル化学賞受賞)


 イジドール・イザーク・ラービ
 イジドール・イザーク・ラービ(Isidor Isaac Rabi, 1898年7月29日~1988年1月11日)はアメリカ合衆国の物理学者。

 オーストリア領ガリチアのリマヌフ(Rymanów)生まれ。1899年に両親と共にアメリカへ移住し、コーネル大学で学んだ。

 コロンビア大学で1927年に博士号を得た後、ラービは、2年間ヨーロッパに留学、N・H・D・ボーアやW・パウリ、O・スターン、W・K・ハイゼンベルグら、ノーベル賞受賞者達と研究を行う。錚々たるメンバーだ。

 1929年にコロンビア大学に戻り、1937年に教授職についた。原子線や分子線を使って原子核の磁気モーメントや原子の微細構造を調べる実験をおこなった。高周波磁場の周波数を変えて原子線の偏行を調べ、共鳴周波数を求めることによって、原子核の核磁気モーメントを精度よく求める原子線磁気共鳴法を開発した。

 1940年にはマサチューセッツ工科大学の放射線研究所の副所長となり、第二次世界大戦中はロスアラモス国立研究所でレーダーと原子爆弾の開発研究に従事。第二次世界大戦後は、ブルックヘブン国立研究所や欧州原子核研究機構の創設者のひとりとなった。原子線の方法で原子スペクトルの超微細構造の精密測定によって電子の異常磁気モーメントを初めて決定した。こうして、さまざまな量子電磁気学の発展に貢献した。

 1944年「共鳴法による原子核の磁気モーメントの測定法の発見」により、ノーベル物理学賞を受賞。また、1948年に米国国立科学アカデミー派遣の調査団として来日、日本の戦後「科学技術政策」も提案している。(Wikipedia: イザーク・ラービ 日外アソシエーツ:ノーベル賞受賞者業績辞典)


有機化学者のための核磁気共鳴スペクトル解析
クリエーター情報なし
東京化学同人
磁気共鳴‐NMR―核スピンの分光学 (新・物質科学ライブラリ)
クリエーター情報なし
サイエンス社

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