アイスマンとは何か?
 アイスマン(Iceman)というと、1991年にアルプスにあるイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷(海抜3210メートル)の氷河で見つかった、約5300年前の男性のミイラの愛称である。エッツィともよばれる。

 長らく彼の死亡の原因は専門家の間でも様々な説が唱えられた。凍死説が有力であったが、2001年に放射線科医パウル・ゴストナー博士によるX線撮影調査で左肩に矢尻が見つかり、これが死因である可能性が高まった。ただし、死体の解剖分析は極めて貴重な資料を損傷するとして許可されないため実証することが難しかった。


 2007年にスイス・チューリヒ大などの研究チームが行ったコンピューター断層撮影装置により、動脈付近の傷が詳細に分析され、動脈損傷による失血死であったことが実証された。右眼窩に骨にまで至る裂傷が認められ、更に後頭部に即死に至る量の脳内出血の痕跡があり、これは彼を殺害した者が彼に止めを刺すべく、矢を受けて倒れた彼の後頭部を石などの鈍器で殴ったと推測できる。

 これだと彼が左腕をあごの下に伸ばした不自然な格好で発見された理由も付くという。また、彼を殺傷した矢の軸は見つかっておらず、殺害者が持ち帰った可能性があるという。再現考古学者で古代武器が専門のハルム・パウルゼン博士は矢じりは作成者が誰かがわかる名刺のようなもので、殺害者が証拠隠滅のために持ち帰ったのではないかという見解を述べている。

 2012年に初めて実施された解凍調査の結果様々なことがわかった。アルプスに暮らした世界最古の有名人エッツィに関する最新の情報、そしてこれまでに明らかになった注目すべきいくつかの事実を紹介することにしよう。

 National Geogrtaphic news記事「アイスマンをめぐる5つの意外な事実」より引用する。


 1. アイスマンの親戚が現代に生きている
 アイスマンと遺伝子上のつながりを持つ近縁者がいることが、新たなDNA調査により明らかになった。アイスマンの男性性染色体の異常マーカーに注目して研究を行っているグループの報告によると、オーストリアのチロル地方にエッツィの遺伝子上の近縁者が少なくとも19人いることが分かったという。

 オーストリア、インスブルック医科大学のウォルター・パーソン(Walther Parson)氏が主導する調査の中で、3700人の匿名の供血者のサンプルを使って遺伝子の照合が行われた。19人の血液からは、アイスマンから見つかったのと同じG-L91と呼ばれる極めて珍しい突然変異株が確認された。「アイスマンと19人は共通の先祖を持ち、それはおそらく1万~1万2000年前に生きていた人類ではないかと思われる」とパーソン氏は話す。


 2. アイスマンは体の不調に悩まされていた
 20年以上前にアルプスの氷河で発見されて以来、エッツィの健康状態を隈なくチェックする調査が行われてきた。結果はあまり健康とは言えないものだ。40余りの病状が記載された一覧には関節の摩耗、動脈硬化、胆石、足の小指の腫瘍(凍傷によるものと思われる)などが含まれている。

 腸からは寄生虫の卵も見つかった。またライム病にかかっていたと思われるほか、体内のヒ素量が危険なレベルに達していたことも分かっている(金属鉱石や銅鉱石に日常的に触っていたことが原因と思われる)。どうやら歯の治療を受ける必要もあったようだ。詳細な調査の結果、重い歯周病と虫歯に悩まされていた痕跡が発見された。

 このように多くの疾患を抱え、肩には受けたばかりと思われる矢の傷もあったものの、頭部への一撃が致命傷となり、エッツィは命を落としたようだ。


 3. 解剖学的異常も確認
 肉体的疾患に加え、アイスマンにはいくつかの解剖学的な異常があった。親知らずが2本ともなく、12番目の肋骨が欠けている。また2本の前歯の間に隙間がある“正中離開”と呼ばれる異常も見受けられる。これが女性に好印象を与えていたかどうかは議論の別れるところだ。研究者の間には、エッツィは性的に不能だったのではないかとの見方もある。


 4. アイスマンの入れ墨
 エッツィの凍りついたミイラには、銅器時代の入れ墨が良好な状態で残っている。合計50片を超える入れ墨が頭から足先まで全身を覆いつくすように刻まれている。これらは針を使って彫られたのではなく、皮膚に細かな傷をつけ、そこに炭を擦り込むことで描かれたものだ。線や十字の形をした入れ墨は、関節痛や腰痛などの傷害や痛みが起こりやすい箇所に集中している。このことから、一部の研究者は鍼治療のツボの目印として入れ墨を入れたのではないかと見ている。

 これが事実だとすれば、エッツは体のあちこちの治療を必要としていたことになるが、彼の年齢と持病の多さを考えると、それほど驚くべきことではない。エッツの入れ墨は、これまでの定説よりも少なくとも2000年ほど早い時代に鍼治療が行われていたことを示す、最古の証拠と言える。


 5. アイスマンは植物の花粉とヤギを食べていた
 アイスマンの最後の食事に関する情報は、学者たちに最高のごちそうをもたらした。胃の内容物からは30種類の花粉が発見された。花粉の分析結果はエッツィが春か初夏に死亡したことを示している。さらに、分析結果をもとに、死の直前に山々を移動していたらしい彼の足取りを辿ることもできる。完全に消化されていない胃の残留物は、エッツィが無残な死を遂げる2時間前に最後の食事を取ったであろうことを伝えている。食事の内容は穀物とアイベックスの肉。アイベックスは足の速い野生のヤギの一種だ。(National Geographic)


 2012年の調査でわかったこと
 2012年に初めて実施された解凍調査の結果、瞳、髪の色は茶色、肌の色は白色、身長160cm、体重50kg、骨からのデータにより年齢47才前後、筋肉質な体型だと解明された。

 作りかけの弓矢や精錬された銅製の斧を所持していた。特に斧に用いられた銅の純度は99.7%であり彼が生きた当時、アルプス近辺で既に高度な銅の精錬技術があった事をうかがわせる。

 腰椎すべり症を患っており、腰痛持ちであった事が考えられる。背後や脚に刺青の跡があり、オーストリアのドルファー博士の調査ではその位置は胃腧、三焦腧、腎腧、崑崙など腰痛に効果のある現代のツボの位置と一致しておりつぼ治療をした痕と推測されている。これは5300年前にヨーロッパのアルプス山脈付近に高度な医療技術があったことを示唆している。

 胃からはアイベックス(野生のヤギ)など数種類の動物の脂身やハーブが検出され、小麦に水を加えて加工した物も検出された。更に腸からは煤が検出され、彼がパンを食べていた可能性があることを示唆している。

 腸に鞭虫が寄生しており、また靴紐にその寄生虫除去に効果があると考えられる成分ポリポレン酸を含んだカンバタケをつけていた。靴は靴底が丈夫な熊の毛皮で作られ、中には防寒の為か藁を詰めてあった。革のゲートルを着用していた。草を編んで作った服の上に外套を纏っており、外套は色違いの革を縦縞模様に継ぎ接いで作られており、ベルトにはフリントやスクレイパー、乾燥したキノコなどが入った小さい袋がついていた。頭には熊の毛皮で作られた顎紐付きのフードを被っていた。

 DNAの遺伝学的調査により、現在のサルデーニャ島やコルシカ島の住民に近いことがわかった。動脈硬化の要因になる遺伝子を持っていた。

 目の色が茶色で、血液型はO型、乳糖不耐症の因子を持ち牛乳が苦手だった可能性が高い(そもそも、古代人の多くは乳糖不耐症の因子を持っており、ヨーロッパにおいて乳製品の飲食が広まったのは古代ローマ時代以降である)。(Wikipedia)


5000年前の男―解明された凍結ミイラの謎 (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋
NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2011年 11月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
日経ナショナルジオグラフィック社

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