反射光の使い道
 鏡と太陽というと、新エネルギーの分野では、太陽熱発電を思い浮かべる。スペインにある、ヘマソラールは、スペインにある、商用の、タワー式太陽熱発電所である。

 ここでは、平面鏡を用いて、中央部に設置されたタワーにある集熱器に太陽光を集中させることで集光し、その熱で発電する発電方式である。中央タワー方式、集中方式などとも呼ばれる。

 数メートル四方の鏡、数百枚から数千枚を用いて太陽光を一箇所に集中させることが出来るため、1000℃程度まで加熱することが可能である。一方で、正確に太陽光を集中させるためには、太陽の動きに合わせて鏡を正確に動かさなければならない。

 この方式では、夏至・冬至の昼間の差が大きい高緯度地域には向かない。冬季に太陽がほとんど出ていないからだ。しかし、山に囲まれて1年の半分は日が当たらなくなるノルウェー南部の町リューカン(人工3400人)では、太陽光は切実な問題だ。


 ノルウェーでは、ただでさえ冬は日差しが少ない上に、フィヨルドなどがあり、山に囲まれた土地が多い。夏でも太陽高度が低く、谷底には光が差さないのが問題だった。日光が少ないとビタミンDも不足する。

 “へリオスタット”と呼ぶ3枚の巨大鏡のプロジェクトに予算を投じることにした。鏡は町を見下ろす山に設置され、太陽の動きに合わせて角度を変え、日光を地上に反射するようになっている。市中心部の広場に太陽の反射光が差すと住民から歓喜の声があがった。


 谷底の町を巨大鏡で照らせ、100年越しの夢かなう
 山に囲まれて1年の半分は日が当たらなくなるノルウェー南部の町リューカンで、山頂に巨大な鏡を設置して太陽光を反射させ、市中心部の広場を照らすプロジェクトがこのほど完成した。

 リューカンの町は首都オスロ南西部テレマーク地方の峡谷地帯にあり、2000メートル級の山々に囲まれているため9月から3月の間はほとんど日が当たらなくなる。

 その状況が、今回のプロジェクトで一変した。山頂部に設置された鏡3枚は、高さ6メートル、反射面の合計は50平方メートル。コンピューター制御で太陽の動きに合わせて10秒ごとに角度を変え、市中心部の600平方メートルの範囲に太陽光を反射させる。総工費約85万ドル(約8400万円)をかけて完成させた。

 同プロジェクトの構想は、実は100年前にさかのぼる。

 リューカンはもともと、104メートルの滝の落差を利用したノルスク・ハイドロ社の肥料工場を中心に発展してきた。創業者のサム・エイデ氏は、従業員の生産性向上のため、鏡で町を照らす構想を描いていたという。

 当時は技術的な制約から鏡の設置は実現できなかったものの、1928年に北欧初のケーブルカーが建設され、住民は山頂に登って日光浴ができるようになった。

 2005年になって地元のアーティストが鏡のアイデアを復活させ、主にノルスク・ハイドロなどから実現のための資金を調達した。

 山の中の建設地には重機などを運び込める手段もなかったことから、100年前の技術を使って完成させた。鏡を動かすシステムの設置には、太陽熱発電を手がける独ソーラー・タワー・システムズが協力した。

 リューカンは1965年の映画「テレマークの要塞」の舞台としても知られ、ユネスコの世界遺産の登録候補地もなっている。市観光局は、町を照らす巨大鏡を冬場の観光客の増加にもつなげたい考えだ。

 当時は技術的な制約から鏡の設置は実現できなかったものの、1928年に北欧初のケーブルカーが建設され、住民は山頂に登って日光浴ができるようになった。


 映画「テレマークの要塞」
 リューカンは、第二次世界大戦中のノルスク・ハイドロ重水工場破壊工作で有名な町である。

 この事件はは、第二次世界大戦中ノルウェーの破壊工作者が、核兵器の開発に利用できる重水をドイツの原子爆弾開発計画が入手するのを阻止するために起こした一連の破壊工作である。

 1934年にノルウェーの企業ノルスク・ハイドロがヴェモルク(ノルウェー語版)に、肥料生産の副産物として世界で初めて重水を商業的に生産できる工場を建設した。第二次世界大戦中、連合国はナチス・ドイツの核兵器開発を阻止するために、重水工場を破壊して重水の供給を絶つことを決定した。テレマルク県のリューカン(ノルウェー語版)の滝にある、60 MWのヴェモルク水力発電所が攻撃目標となった。

 ドイツのノルウェー侵攻より前の1940年4月9日に、フランスの諜報機関参謀本部第2局(フランス語版)が、当時はまだ中立国であったノルウェーのヴェモルクの工場から185 kgの重水を撤去した。

 工場の管理者であったAubertは、戦争の期間中この重水をフランスに貸し出すことに同意した。フランス人らは重水を秘密裏にオスロとスコットランドのパースを経由してフランスへと運び込んだ。工場は重水の生産能力を持ったまま残された。

 連合軍はなお、占領軍がこの工場を利用して兵器開発計画のための重水をさらに生産することを心配していた。1940年から1944年にかけて、ノルウェーの抵抗活動(英語版)による破壊活動と、連合軍の空襲により、工場の破壊と生産された重水の損失を確実なものとした。これらの作戦は、「グルース」(Grouse、「ライチョウ」)、「フレッシュマン」(Freshman、「新人」)、「ガンナーサイド」(Gunnerside、イングランドの村)とコードネームが付けられ、最終的に1943年初頭に工場を操業停止に追い込んだ。

 グルース作戦では、イギリス特殊作戦執行部(英語版)が、工場の上にあるハダンゲルヴィッダ(ノルウェー語版)の地域に先発隊として4人のノルウェー人を送り込むことに成功した。

 後に1942年に、イギリスの空挺部隊によりフレッシュマン作戦が実行されたが、失敗に終わった。彼らはグルース作戦で送り込まれたノルウェー人たちと合流し、ヴェモルクへと向かう予定となっていた。

 しかしこれは、軍用グライダーがそれを牽引していたハンドレページ ハリファックス爆撃機とともに目的地手前で墜落したために失敗した。他のハリファックスは基地に帰還したが、それ以外のすべての参加者たちは墜落の際に死亡するか捕えられ、ゲシュタポにより尋問され、処刑された。

 1943年に、イギリス特殊作戦執行部が訓練したノルウェー人の特殊部隊が2回目の作戦「ガンナーサイド作戦」で重水工場を破壊することに成功した。ガンナーサイド作戦は後に、イギリス特殊作戦執行部から第二次世界大戦でもっとも成功した破壊工作であると評価された。

 この話はカーク・ダグラスの出演する映画「テレマークの要塞」(1965年)で作品化されている。(Wikipedia)


参考HP Wikipedia:テレマークの要塞 CNNnews:谷底の町を巨大鏡で照らせ、100年越しの夢かなう


太陽熱エネルギー革命 (日経プレミアシリーズ)
クリエーター情報なし
日本経済新聞出版社
太陽がくれる利益
クリエーター情報なし
ダイヤモンド社

ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ   ←One Click please