スペースプレーンの夢、再び
 2011年07月、最後のスペースシャトルアトランティスが、アメリカのケネディ宇宙センターから打ち上げられた。1981年から30年、135回目のシャトルが打ち上げで終わった。なぜ、スペースシャトルは終わってしまったのだろう?

 1つ目は、「老朽化」。計画がスタートした時、シャトルは年間50回、ほぼ毎週打ち上げられ、1995年までに国際宇宙ステーションが完成するはずだった。しかし実際には、宇宙空間での機体の損傷が激しく、複雑なシステムを修理するのに手間取り、1年で、多くても9機打ち上げるのがやっとという状況に陥った。

 2つ目の理由は、「2度に及ぶ重大事故」。スペースシャトルは、1986年のチャレンジャー事故、2003年のコロンビア事故の2つの悲劇を生み、14人の宇宙飛行士を失った。

 3つ目の理由は「コスト負担が増大し、国家財政を圧迫」したこと。機体の老朽化が進むと、メンテナンスの経費は、雪だるま式に増え、シャトル計画が始まった1971年ごろ、シャトルの1回当たりの打ち上げ経費は、1050万ドルと見積もられていたが、結果的には1回当たり、4億5000万から8億6000万ドルに膨れ上がった。

 もはや、飛行機に乗って宇宙へ行き、飛行機に乗って宇宙からもどる夢は途絶えてしまったのだろうか?


 ところが最近、アメリカ政府や宇宙関連企業の開発意欲が再び活性化している。先進技術開発に力を注ぐアメリカ国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)は11月、1400万ドル(約14億3000万円)の賞金を引っさげて「XS-1スペースプレーン(XS-1 spaceplane)」計画を発表。打ち上げ1回あたり500万ドル(約5億1000万円)のコストで、最大1800キロの人工衛星を軌道に乗せるという。従来のロケット打ち上げのコストを10分の1程度に抑えるという、アグレッシブなプランを募っている。

 打ち上げは2018年を予定している。


 スペースプレーン、15年後に実現?
 飛行機のような翼を翻し、雲を突き抜け、周回軌道までひとっ飛び。スペースプレーンは、かつて宇宙時代の開幕に心を躍らせた人々の夢の乗り物だった。それは、月を目指す宇宙開発競争が熾烈さを増していたころ。人を乗せて宇宙に行き、スムーズに滑走路に着陸して戻ってくる時代がいつか必ず来ると信じられていた。

 ワシントンD.C.にあるスミソニアン協会の国立航空宇宙博物館の一員で、科学史を専門とするロジャー・ラウニウス(Roger Launius)氏によれば、スペースプレーンのアイデアはNASAのスペースシャトルにも影響を与え、数々の失敗を切り抜けて達成したという。

 DARPAが求めているのは、“飛行機のように宇宙に行き”、10日間に10回往還できる“完全に再利用可能な無人機”だ。しかし一部の専門家はこの野心的なプランについて、ロケット科学の現実を冷静に見据えながらも、当初からの夢や希望を技術者はあきらめていないと語る。

 「現実的に考えれば、翼が必要不可欠とは言えない。スペースシャトルしかりだ」とラウニウス氏。「技術がアイデアや文化の影響を受けている証拠だ。もちろん、もっともらしい理由が無いと物事は進まない訳だが」。

 同氏は歴史関連の学術誌「Centaurus」の最新号で、旅客機の実用化が進んだ1920年代、ロケットに翼を付けたような宇宙船がSFに登場し始めたと述べている。事実、1957年にソビエト連邦がスプートニクをロケットに乗せて軌道に打ち上げるまで、宇宙飛行を夢見る人々の間ではスペースプレーンが優勢だったという。


 厳しい現実、スペースシャトルの失敗
 ところが、アメリカ政府は1961年、ソ連との月をめぐる競争に勝つにはロケットを使用するしかないと決断。マーキュリー計画の一環として、宇宙カプセルを軌道に打ち上げた。

 当時、ロケットで打ち上げるスペースプレーン「X-20(愛称:ダイナソア)」も開発されていたが、国防総省は1963年、莫大な経費(4億1000万ドル=約42億円)を理由に計画の中止を決定。ラウニウス氏は、「実現しなかった往還機の中では、間違いなく最も記憶に残る1機だ」と述べている。

 その後、アポロ計画の月面着陸が成功し、NASAがスペースシャトルの開発に向けて巨大なサターンVロケットを放棄すると、スペースプレーンが再浮上する。NASAが思い描いたのは、スペースプレーンの機能を取り入れた“宇宙トラック”だ。滑走路に着陸した後、素早く次の打ち上げができるという計画だった。

 NASAの予算部門は当初、スペースシャトルを使用すれば安く確実に積み荷を軌道まで運べると議会に報告。1972年の時点で、1回の打ち上げあたり1040万ドル(約10億6500万円)と見積もっていた。

 しかし、この約束は果たされずに終わる。見積は大きく外れ、平均で15億ドル(約1536億円)というのが現実だった。そして2011年、スペースシャトルは退役した。133回のミッションを重ね、2度の事故で14人の宇宙飛行士が命を落としている。

 論争を巻き起こしたこの決断によって、スペースプレーンのアイデアは永遠に葬られたように見えた。NASAは現在、将来の有人ミッションに向けて巨大なロケットを開発しようとしている。

 「それでも、翼を持つ往還機のアイデアは不死鳥のように蘇る」とラウニウス氏。「あきらめる必要はない。歴史を見ても、実現に至らなかった常識外れのアイデアが山積している。おそらく100のうち99は失敗に終わるという。しかし、1度でも成功すれば? すべてが帳消しになるんだ」。

 一方、スペースプレーンに大きな関心を寄せ続ける技術者たちには、あるシンプルな意識が共通しているという。それは、飛行機で宇宙に行く方が“エレガント”だという思いだ。この事実を無視する訳にはいかないとラウニウス氏。

 「Centaurus」誌に掲載された論文では、宇宙から滑走路に着陸した方が洗練されているという考えに、幾度となく立ち返った宇宙船の設計者たちについて詳述している。「1つのアイデアが夢を後押しすることも珍しくはない」。(Dan Vergano,National Geographic News December 2, 2013)


 夢に近づいた、スペースシップワン
 これまで一番スペースプレーンの夢に近づいたのが、スペースシップワンかもしれない。

 スペースシップワン (SpaceShipOne) はスケールド・コンポジッツ社によって開発された有人宇宙船である。2004年6月21日に高度約100 km(10万メートル)の宇宙空間に向けた弾道飛行を成功させ、世界で初めての民間企業による有人宇宙飛行を実現した。

 さらに、2004年9月29日、10月4日には、民間宇宙船開発に対する賞金制度「ANSARI X PRIZE」の受賞条件を最も早く達成し、賞金1000万ドルを同社は獲得した。なお、受賞条件は以下の通り。

 1.宇宙空間(高度100 km以上)に到達する 2.乗員3名(操縦者1名と乗員2名分のバラスト)相当を打ち上げる 3.2週間以内に同一機体を再使用し、宇宙空間に再度到達する

 それまでの宇宙開発は、すべて国家戦略の一環であり、国家予算を使って行われていたものである。事実、世界初の人工衛星、初の有人宇宙飛行、初の有人月着陸、スペースシャトルや国際宇宙ステーションなど、いずれも国家の強力な主導のもとで行われ、費用は国家予算から賄われた。

 しかしながら、航空宇宙史を振り返ると、オットー・リリエンタールによるハンググライダーの研究、ライト兄弟による初の動力飛行や、リンドバーグの大西洋無着陸横断などの大記録は、企業または個人の資金のみで達成されたものであった。

 スペースシップワンが達成した成果は、これらに匹敵する成功として評価されている。史上初の民間による有人宇宙飛行の栄光をたたえて、2006年に打ち上げられたNASAの惑星探査機ニュー・ホライズンズには、スペースシップワンの機体の一部が搭載されて宇宙へと旅立っていった。

 ヴァージングループに設立された宇宙旅行会社ヴァージン・ギャラクティック(Virgin Galactic) はスペースシップワンの成功を受け、改良型の宇宙船スペースシップツーを建造し、史上初の宇宙旅行ビジネスを開始することを発表した。2007年からの商業サービス開始を目指し、世界各国の人々から多くの投資を集めていたが、2012年末現在も実現は難航している。(Wikipedia)


参考 NHK:スペースシャトル引退の意味 National Geographic news:スペースプレーン、15年後に実現?

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