電離層の発見
 1947年のノーベル物理学賞は、 エドワード・アップルトンに贈られている。受賞理由は「上層大気の物理的研究、特にアップルトン層の発見」である。いわゆる「電離層」を発見し、その性質を解明したことに成果があった。

 「電離層」とは何だろうか?電離層は、地球を取り巻く大気の上層部にある分子や原子が、紫外線やエックス線などにより電離した領域である。この領域は電波を反射する性質を持ち、これによって短波帯の電波を用いた遠距離通信が可能になる。

 熱圏に存在する窒素や酸素などの原子や分子は、太陽光線などを吸収する。そのエネルギーによって、原子は原子核の回りを回転する電子を放出し、イオンとなる。この現象を光電離という。この電離状態であるイオンと電子が存在する領域が電離層である。大気に入った紫外線などは、熱圏内で次々と原子や分子に吸収されていくため、繰り返し光電離が生じる。こうして熱圏内は電子密度の高い状態となっている。


 電離層は熱圏内(高度約60kmから500kmの間)に位置し、電子密度の違いによって、下から順にD層 (60km - 90km)、E層 (100 - 120km)、F1層 (150km - 220km)、F2層 (220 - 800km) の4つに分けられる。

 上の層に行くほど紫外線は強く、多くの電離が生じるため電子密度は大きく、下の層は電子密度が小さい。夜間は太陽からの紫外線が届かないため、電子密度は昼間よりも小さくなる。最下層のD層は、夜間には太陽からの紫外線があたらないため、電離状態を維持することができずに消滅する。

 またF1層とF2層も夜間には合併して一つのF層 (150km - 800km) となる。これにより、昼間と夜間では電波の伝播状態が変化する。


 エドワード・アップルトン
 エドワード・アップルトン(Sir Edward Victor Appleton、 1892年9月6日~1965年4月21日)はイギリスの物理学者である。無線電波を反射する電離層までの距離をはかる実験に成功した。1947年のノーベル物理学賞の受賞者である。

 アップルトンは、ウェスト・ヨークシャーのブラッドフォードで生まれた。ケンブリッジ大学のセント・ジョンズ・カレッジで学んだ。第1次世界大戦の後、キャベンディッシュ研究所で働いた。1924年電離層までの距離をはかる実験に成功した。ロンドン大学、ケンブリッジ大学で教授を務めた。

 1901年のマルコーニの大西洋を越えた無線通信の成功は、直進すべき電波が地球に沿って電波が伝わっていくことを示したもので、1902年にはオリヴァー・ヘヴィサイドやアーサー・ケネリーによって大気層上部に電波を反射する層があるという予想が発表された。

 1924年のアップルトンの実験は電離層の存在を証明するとともに、その層までの距離を測ったものである。地表100kmのケネリー・ヘビサイド層(E層)の存在を確認し、1926年にはさらに地表200から300kmに電離層アップルトン層(F層)のあることも確認された。ボーンマスのBBC放送の発振機からの電波をケンブリッジの近くで受信し、直接届いた電波と電離層での反射した電波の干渉波形を調べることにより電離層までの距離を計算した。

 1948年からエディンバラ大学の学長に就任した。電離大気に関するアップルトン・ハートレーの式にも名を残している。(Wikipedia)


 電波が消えるフェーデイング現象
 アップルトンは通信士官として軍務に就いていたときに、電波が消えるフェーディング現象に遭遇し、戦後1919年からこの問題を研究し始めた。1901年にはG.マルコーニ(無線通信の研究で1909年ノーベル物理学賞)が初の大西洋横断通信に成功していた。

 遠隔無線を行うには、電波が地球面に沿って進まなくてはならないが、ヘヴィサイド(イギリスの電気工学者)とケネリー(アメリカの物理学者)は、電波を反射する荷電粒子を成分とする大気層E層(ケネリー・ヘヴィサイド層)を仮定し、この現象を説明した。

 1922年イギリスで商業放送が開始し、彼はこの電波を利用して研究を行いフェーデイング現象は、夜間の上空で発生する反射波が原因であると推定した。

 彼は直接に送信点から受信した電波と、一度上空で反射したあと受信点に達する電波に関して実験を行い、大学院生M・バーネルと協力し、BBC放送の送信機を用いて電波を照射し、E層での反射を確認した。また、2種類の電波の周波数差を求めることで、電波がE層を往復する時間を測定してE層の高さが約100kmであることを導き出した。

 明け方に E層は消滅するが、より高層での反射の存在を発見し、1926年にこの層の高さを約250kmを算出した。この層 F層はアップルトン層とも呼ばれる。F層は短波を反射するため世界中への短波放送が可能になった。

 1929年、ノルウェー北部で電波を用いてオーロラを調査。1931年電離層の反射高の決定に関する研究結果を発表。また、送信にパルスを用いて、電離層で反射されたパルスを陰極線オシログラフ上に映し出して撮影する方法も示した。

 電離層と陰極線オシログラフの研究は、航空機探知に応用され、R・ワトスンワット(スコットランドの物理学者)らによってレーダーが開発された。ワトソンワットは「もし、アップルトンの研究がなかったらレーダーの研究は遅れ、第二次世界大戦で決定的重要性を持つに至らなかったであろう」と述べている。

 その後も電離層の研究を続け、太陽の位置や黒点の周期的増減による反射率の変動をを明らかにした。電離層の反射係数と反射密度、これらの日ごと、季節ごとの変化も算出した。太陽黒点が短波電波の放射源であることも発見した。また、特定の電波回路に最適な波長を指示する電離層予報システムを開発した。


 電離層とは何か?
 「電離層」とは、地球を取り巻く大気の上層部にある分子や原子が、紫外線やエックス線などにより電離した領域である。この領域は電波を反射する性質を持ち、これによって短波帯の電波を用いた遠距離通信が可能である。

 熱圏に存在する窒素や酸素などの原子や分子は、太陽光線などを吸収する。そのエネルギーによって、原子は原子核の回りを回転する電子を放出し、イオンとなる。この現象を光電離という。

 この電離状態であるイオンと電子が存在する領域が電離層である。大気に入った紫外線などは、熱圏内で次々と原子や分子に吸収されていくため、繰り返し光電離が生じる。こうして熱圏内は電子密度の高い状態となっている。

 電離層は熱圏内(高度約60kmから500kmの間)に位置し、電子密度の違いによって、下から順にD層 (60km - 90km)、E層 (100 - 120km)、F1層 (150km - 220km)、F2層 (220 - 800km) の4つに分けられる。

 上の層に行くほど紫外線は強く、多くの電離が生じるため電子密度は大きく、下の層は電子密度が小さい。夜間は太陽からの紫外線が届かないため、電子密度は昼間よりも小さくなる。最下層のD層は、夜間には太陽からの紫外線があたらないため、電離状態を維持することができずに消滅する。

 またF1層とF2層も夜間には合併して一つのF層 (150km - 800km) となる。これにより、昼間と夜間では電波の伝播状態が変化する。また11年周期の太陽黒点の増減によっても大きく変化する。このことをサイクルといい、1989年頃の太陽黒点の極大期をサイクル22、2000年頃をサイクル23、2011年頃をサイクル24…という。なお、観測が開始された初の極大期・サイクル1は、ダルトン極小期の終わった1829年である。


 地震と電離層の関係
 近年、電離層の異常と大地震との関連性が指摘されている。北海道大学の日置幸介教授(地球物理学)の調査によると、2011年3月の東北地方太平洋沖地震発生前の40分前から、震源域上空において電離層の電子密度が周囲より最大1割ほど高くなっていた事が確認されている。

 2010年のチリ地震(M8.8)、2004年のスマトラ島沖地震(M9.1)においても、同様の変化が起きている。ただし、2003年の十勝沖地震(M8.0)では微増だった。日置教授は「メカニズムは不明だが、巨大地震の直前予知には有望な手法だ」と期待している。なお、電気通信大学の早川正士教授(地震電磁気学)も前述の東北地方太平洋沖地震の5日前に電離層の異常が起きていたと述べている。

 地震の前後には、震源およびその近傍から、特定の空間帯域あるいは電離層に影響を及ぼすといった以下のような仮説があり、これらの現象を直接ないし間接的に捉えることで、切迫した地震の発生を予知しようとする研究が行われている。

 すなわち、地殻にプレート運動などによって圧力の増大が生じると、石英を含む花崗岩などでは圧電効果(ピエゾ効果)により、圧力に比例した分極(表面電荷)が現れる。あるいは、花崗岩以外の岩石でも地震に至らない岩石の微細な破壊によって電荷が発生する。または、ラドンから電荷を帯びたイオンが発生する。


参考 ノーベル賞受賞者業績辞典(日外アソシエーツ) Wikipedia: エドワード・アップルトン 電離層


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