磁気冷却法の発見
 1949年のノーベル化学賞の受賞者はカナダの化学者、ウィリアム・ジオーク(William Francis Giauque,1895年5月12日~1982年3月28日)である。

 受賞理由は、「化学熱力学への貢献、とくに極低温における物性の研究」。ジオークは、それまで低温の限界が0.4Kまでであったのに対し、磁気冷却という方法を提唱。そして実際に低温化に成功、0.25Kに到達した。この方法が評価されノーベル賞を受賞した。

 低温への挑戦は1908年、H.カマーリング.ネオス(1913年ノーベル物理学賞)が、ヘリウムの液化に初めて成功、0.4Kまで到達が可能になった。さらに、ネオスは1911年、4.2Kで水銀が超伝導になることも発見した。この0.4Kの壁をぶち破った、磁気冷却とは何だろうか?


 磁気冷却とは、常磁性の塩では磁界の影響によって、分子の整列が起きるが、この液体になった塩を液体ヘリウムの容器に入れて、できるだけ低温にした後、磁界を消すと分子の整列が崩れ、その際周囲の液体ヘリウムから熱を吸収し、温度降下がおこるというものである。この説は同じ頃、P.J.Wデバイ(1936年ノーベル化学賞)によっても唱えられた。

 1926年ジオークとデバイは、常磁性塩類の断熱消磁により低温に達することができるという説を提唱。磁気冷却の最初の実験が行われたのは1933年4月で、ジオークがカリフォルニアのバークレー大学で成功した。デバイは理論物理学者であるから自分で実験はしなかった。

 ジオークが実際に使った常磁性物質は硫酸ガドリニウムGd2(SO4)3・8H2O。これを、排気ポンプを使って減圧し気化熱で1K近くまで温度を下げた液体ヘリウムで冷却する。

 それから磁場を作用させるとエントロピーが減少し常磁性体から熱が出るので、それは周囲の液体ヘリウムで冷却する。このとき常磁性体を入れてある容器にはヘリウムガスを入れておき、常磁性体からの熱を取り出して周囲の液体ヘリウムに伝えやすくする。

 常磁性体が充分に冷却されたと思われるとき容器内のヘリウムを排気し外部からの熱の流入を止める。それから磁場を取り去ると常磁性体は0.25Kの低温となった。

 同様な実験はライデンでも行われたがバークレーの方が僅かに早かった。その後オックスフォードとかケンブリッジなどで磁気冷却の実験が成功し、今では広く一般に行われるようになった。こうして0.01Kより低い温度がたやすく得られるようになった。


 ウイリアム・ジオーク
 ウィリアム・フランシス・ジオーク(William Francis Giauque,1895年5月12日~1982年3月28日) はカナダのオンタリオ州ナイアガラフォールズ出身の化学者。1949年のノーベル化学賞受賞者。

 両親はアメリカ人であり、彼が生まれた後にアメリカへと戻り、ミシガン州の小学校に入学した。しかし、父が1908年に死ぬと故郷へと戻り大学へと進学した。卒業後は電気工学ができ、また、財政的な理由により、仕事をナイアガラの滝近辺の発電所で探したものの結局失敗した。しかしながら、フッカー電気化学社の研究所に就職することができた。彼はこの仕事を得ることで、化学技術者となることを決心した。

 2年働いた後の1920年、カリフォルニア大学バークレー校のケミカル・カレッジに入学し、1922年には化学と物理の博士号を得た。大学では当初化学工学に関する研究をしようとしていたが、教官であるギルバート・ルイスの研究内容に関心を持って研究するようになった。その後、同校の化学の助手となる。

 絶対零度におけるヘリウムはギブソン教授がグリセリンの結晶とガラスのエントロピーの関係について研究していたのに影響を受け、熱力学第三法則に興味を持ったことに端を発する。

 彼は1K以下で実験を行い、温度を観察することで、熱力学の第三法則の研究を行った。1Kまで温度を下げるのは並大抵のことではなかったが、磁気冷却装置を開発して運用することで画期的な低温を作り出すことに成功している。

 また、低温で凝縮された気体の上で様々なエントロピーを調べ、量子統計や分子エネルギー準位から、多くの熱力学の特性とエントロピーとを求めた。

 1929年には、H.L.ジョンストンとともに、酸素の同位体(18O,17O)を発見している。酸素は原子量の基準にとられていたので、この発見により原子量の決定法について多少の混乱が生じたが、その後炭素を基準にとるようになり、この問題は解決した。

 1932年に結婚、1934年には化学の正教授となる。1949年、特に極低温での物質の諸性質に関する研究に対して、ノーベル化学賞が贈られた。著書「量子力学入門」は、広く教科書に用いられた。

 1982年、カリフォルニア州バークレーで没。(Wikipedia)


 冷凍・低温技術の歴史
 1852年、ジュール(James Prescott Joule 1818~1889年)とケルビン(William Thomson 1824~1907年)は、1852年からの一連の実験で気体の膨張に伴って温度が変化するジュール・トムソン効果を発見。

 これは気体の液化や冷凍機の発展に取って極めて重要な発見。彼らは、その後約10年間にわたって様々な気体についてこの現象を詳しく調べ、この効果の温度との関係を明らかにした。

 1902年、フランス人のクロード(Georges Claude 1870~1960年)は1902年に断熱膨張を利用する空気液化法を発明して特許を取り、この年に実用化して新しい会社を起こした。そして1907年には空気からヘリウム、ネオンを分離することに成功した。

 これは気体の圧力を高めておいてから、外部に仕事をさせながら準静的に膨張させるとエネルギーを失って温度が下がる現象を利用したものである。

 1908年、ヘリウムの液化に初めて成功したのが、ヘイケ・カメルリング・オネスである。ネオスはこの業績で1913年ノーベル物理学賞を受賞する。

 このときはカール・フォン・リンデらが開発した冷却機と3重構造の魔法瓶を用い、外側から順に液体空気、液体水素を入れて温度を下げ、最終段階はジュール=トムソン効果によって0.4Kという低温を達成し、ヘリウムの液化を実現した。これが、当時の世界一の低温となった。オリジナルの装置はライデンの Boerhaave Museum にある。

 1922年、ウイリアム・ジオークの大学時代、当時同じ大学で活発に研究活動を行っていたG.N.ルイスを中心とするグループの影響を受け、熱力学に関心を持つ。博士論文に低温問題への志向が見られる。

 1926年常磁性塩類の断熱消磁により低温に達することができるという説を提唱。これは常磁性の塩では磁界の影響によって、分子の整列が起きるが、この液体になった塩を液体ヘリウムの容器に入れて、できるだけ低温にした後、磁界を消すと分子の整列が崩れ、その際周囲の液体ヘリウムから熱を吸収し、温度降下がおこるというものである。この説は同じ頃、P.J.Wデバイ(1936年ノーベル化学賞)によっても唱えられた。

 この方法で、1953年D.P.マクドゥガルと共同研究を行い、ほとんど0Kに近い温度を得、極低温の分野に新しい段階を画した。


参考 ノーベル賞受賞者業績辞典:日外アソシエーツ Neo Mag:環境にやさしい磁気冷凍 Wikipedia:ヘイケ・カメルリング・オネス ウイリアム・ジオーク FNの高校物理:冷凍・低温技術の歴史


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