恐竜の足跡からわかること

 生痕化石とは、生物そのものではなく、生物の活動の痕跡が岩石などに残されたものを指す。化石とは、一般的には過去の生物の痕跡が岩石等に残されたものを指すが、生物の体そのものではなく、生物が活動した痕跡、たとえば足跡や摂食の跡、糞などが化石として発見される場合がある。これを生痕化石という。

 生物本体の化石に比べると、地味であり、面白みもないように思われるが、化石本体がその形を伝える一方で、活動の様子を復元するのが困難なのに対して、生痕化石はそれを補うものである。形態だけでは理解困難な構造が、生痕化石との比較でその役割が明らかになる場合もままある。

 たとえば、恐竜がどのような活動をしていたかについては多くの論がある。かつては大型恐竜は体重を支えるために半水中生活であったとの説があったが、陸上を活発に活動したと判断できる足跡化石の発見は、大きな影響を与えた。



 今回、スコットランドにあるスカイ島の海岸で、はるか昔に大型で首の長い恐竜が残したと思われる数百もの足跡が見つかった。

 スコットランドで一度にこれだけ多数の足跡が発見されたのは初めてのことだ。これらの足跡から、史上最大級の大型恐竜を含む竜脚類が、しばしば海辺にやってきていたことが明らかになった。


 海岸に恐竜の足跡を大量発見

 巨大な竜脚類と水との関係は、長い間論争の的になっていた。以前は、大きな体を支えることのできる沼地を好んでいたと考えられていたが、「恐竜ルネサンス」と呼ばれた1970~80年代に多くの発見がもたらされ、恐竜に対するイメージは大きく変わった。

 その巨体と比較すると、竜脚類は驚くほど体重が軽かったことが分かったのである。湖に入っても、水底に足をつくというよりは、浮かんでいるという方が近かったと考えられる。それ以降、竜脚類は蒸し暑い沼地ではなく、むしろ森林の中にいることが多かったのだろうと考えられるようになった。

 そして、今回発見された足跡からも分かるように、中にはラグーン(潟)の近くや海岸へもしばしば足を運んでいた竜脚類がいたという見方も有力になってきている。スカイ島の地質を見れば、彼らが汽水性のラグーンの周辺を歩いていたことは明らかだ。


 「空白の時代」埋める大発見

 英エジンバラ大学の古生物学者スティーブン・ブルサット氏がスカイ島へ調査に入ったきっかけは、ある地質学者がここで骨を発見したことだった。ブルサット氏は、「島の北東に長く延びる海岸線まで出かけていきました」と語る。魚類の化石専門家トム・シャラン氏と一緒に、1日かけて探しても、出てくるものはサメの歯やその他細かい化石ばかりだった。ところがふと、何か穴のようなものが目に留まった。よく調べてみると、それは恐竜の足跡だった。

 これをきっかけに、縦15メートル、横25メートルほどのエリアに次々と足跡を発見した。

 しかし、特筆すべきは発見現場の広さだけではない。スカイ島の足跡は、1億6100万年前のジュラ紀中期にまで遡る。この時期は、ブルサット氏によると「恐竜の進化の過程において、分かっていないことが最も多い、空白の時代のひとつ」であるという。新たに発見された足跡が、この謎多き時代にどんな恐竜がここにすみ、どのような行動をとっていたかについて、新たな情報をもたらしてくれるかもしれない。

 米エモリー大学の古生物学者アンソニー・マーティン氏も、ジュラ紀中期の岩から恐竜の骨が見つかることはめったにないと話す。「恐竜進化の空白部分を埋めてくれる大変貴重なものです」と、マーティン氏。

 足跡を残した恐竜の正体は特定できない。恐竜が文字通りその足跡の上で死んだのでなければ、足の骨を足跡と一致させることはほぼ不可能である。

 しかしブルサット氏の研究チームは、足跡を調べた結果それが竜脚類のものであることまでは突き止めることができた。その存在自体が取りざたされているブロントサウルスか、あるいはその仲間で、体の中心線に沿って比較的狭い幅で歩く種だったのではないかと思われる。ブルサット氏は、このような足跡を残しそうな恐竜として、ジュラ紀中期のケティオサウルスを挙げた。ケティオサウルスは、恐竜の中でも最も早く名前が付けられた種でもある。


 ラグーンへやってきた理由は?

 これらの恐竜が歩き回っていた古代の環境について分かった事実も、意外だった。

 はるか昔に、竜脚類が海辺やラグーン、湿地帯周辺をうろついていた理由はまだよくわかっていない。食べ物が豊富にあったか、敵から身を守りやすかったのか、あるいはほかの理由があったのだろうと、ブルサット氏は言う。

 マーティン氏も、海岸で竜脚類の足跡が見つかったとしてもそれほど驚くことではないという。平坦で歩きやすい海岸には、天敵が隠れて獲物を待ち伏せできる場所がないため、竜脚類は安心して通り抜けることができたに違いない。

 そのため、基本的に陸上で暮らす竜脚類だが、たまに水で足を濡らすこともあったのだろう。ブルサット氏は言う。「おそらく、恐竜は私たちが考えている以上に様々なことができて、様々な場所にすんでいたのではないでしょうか」


 日本にもあった!恐竜の足跡

 みなさんは日本にも恐竜の足跡の化石があることをご存知だろうか?

 それは、群馬県多野郡神流町国道299号線沿いにある漣岩(さざなみいわ)という崖の表面にある。この崖の表面には大小50ほどの恐竜の足跡が残されている。1953年(昭和28年)の道路工事によって発見されたこの岩の付近では、恐竜の骨や2枚貝などの化石がたくさん見つかっている。

 1億年前の白亜紀には、この地域は川が流れ込む三角州だった。三角州に堆積した砂の上にさらに泥が堆積し、その上を恐竜が歩いたため、その重みで穴ができたと言われている。恐竜の足跡がついたその地層は地殻変動を受けて立ち上がり、現在のように崖の表面に現れている。

  恐竜の化石といえば骨の化石が一般的である。“足跡の化石”からは何がわかるのだろうか?

 恐竜がやわらかい泥や砂の上を歩くと足跡が残る。できた足跡の上にさらに砂や泥がたまると、足跡は消えてなくなったかのように見える。しかし砂や泥の下にはちゃんと足跡が残っていることがある。

 1億年以上の時間が経って,砂や泥は石化する。板のように重なった砂や泥の地層を一枚一枚慎重にはがしていけば太古の恐竜の足跡が姿を現わすというわけ。

 ひとつの足跡には凹型と凸型がある。また凹型にはナチュラルプリントとアンダープリント(ゴーストプリントとも言う。)がある。

 ナチュラルプリントとは泥や砂の上を直接歩いてできた足跡のことで,アンダープリントとはその下の地層が一緒にくぼんでできた。


 日本で初めて認定された恐竜の足跡

 「漣岩(さざなみいわ)」は、約1億3000万年前の白亜紀に水の流れたあとがそのまま残ったもので、県の天然記念物にも指定されている。

 当時は水平だった水辺が、地殻変動で傾いて今では垂直に近い崖となっているのだ。1985年(昭和60年)にそのくぼみは恐竜の足跡と認定された。日本で初めて認められた恐竜の「足跡化石」である。

 漣岩は1953年(昭和28年)の道路工事で姿をあらわした。その後、1957年(昭和32年)に調査されて、1965年(昭和40年)には県の天然記念物に指定されている。

 しかし、長い間、漣岩に残されたくぼみは謎だった。このくぼみが恐竜の足跡と認定されたのは、姿をあらわしてから30年以上もたってからのことである。

 中里は関東では数少ない白亜紀の地層が露出している場所。そのため、昔から多くの学者・学生が地質や化石の調査に訪れていた。

 その中の一人、松川博士は学生の頃からこのくぼみに興味を持っていた。そして、考え得るくぼみのでき原因をすべて挙げて検証した結果、1985年(昭和60年)に「恐竜の足跡である」という研究結果を報告した。

 中里の足跡化石は、実際に足跡のついた地面のもうひとつ下の層に上から押された跡が残ったもので、「ゴーストプリント」と呼ばれるものである。

 発見されてからの年月が長いので、保護してあるものの残念なことに風化が進んでいる。最近、日本の各地でも足跡化石が見つかるようになったが、「見つけたて」のそれらの足跡に比べて、中里の足跡は不鮮明に見える。

 特に右下の小さな獣脚類の足跡は松川博士の研究当時に比べても磨耗しつつある。国道299号の交通量が増えたせいもあるかもしれない。その不鮮明さは歴史を語っている、ともいえる。

 足跡がつけられた当時、このあたりは河口の三角州でした。付近から見つかる貝の化石が真水と塩水が混じるところに棲んでいる種類であることや、地層の性質などから、ここが海と川の交わる河口付近だったことがわかる。

 また、植物の化石から、当時は熱帯ないし亜熱帯の乾燥気候であったと考えられている。白亜紀の中里では、温かく乾燥気味だった河口近くの浜を恐竜が行き来していたのだ。


参考 National Geographic news: スコットランドの海岸に恐竜の足跡の化石を大量発見


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