がんになる原因とは?

 2017年6月22日小林麻央さん逝く。2016年6月に海老蔵が会見し、麻央さんが乳がんで闘病していることを公表。闘病生活を公開した麻央さんのブログは海外でも大きな反響を呼び、2016年には英BBC放送の「今年の女性100人」に選ばれた。

 ご冥福をお祈りしたい。彼女が最後自宅療養になったときは、がんが良くなったのかと思ったが、その逆だった。最後家族と過ごしたいという願いの表れだった。ところで、彼女のかかった乳がん花「咲乳がん」はひどい悪性のがんで、腫瘍は熱を持ち、魚の腐ったような臭いを放ち、肌着が濡れるなど、目に見えて辛い。

 麻央さんも病床で涙したそうで、これは看病する家族にとってもたまらない光景だ。麻央さんは昨年10月1日のブログで「QOL(生活の質)のための手術」を受けたことを公表。これは腫瘍の除去手術だと考えられ、根本治療ではなく、家族や医療従事者、お見舞いに訪れる訪問客のことを考え、臭いをとにかくなくしたかったのだという。


Huggins_Rous_Ymagiwa


 今や「がん」は2人1人がかかる病気だといわれている。有効な治療法はいくつかあるものの、人類はまだまだ、がんを克服できないでいる。がんの原因はは何だろうか?

 がんの原因にはいくつかあるが、1.喫煙、アルコールなどの化学物質 2.食物・栄養および身体活動に関する生活習慣 4.感染症によるもの(ウイルス、細菌) 5.ホルモン 6.遺伝的な要因...などである。これらの一つ一つを人類は解決していく課題を持っている。

 がんの原因としては、喫煙が一番多くて、タバコに含まれる発がん性物質が問題であることや、肥満など生活習慣の問題が大切であることもよく知られている。しかし、原因としてウイルスや細菌が関係しているというのは、あまり知られていないのではないだろうか? 最近ではピロリ菌が胃がんの原因になることで注目されることになった。


 発がん性ウイルスの発見

 ウイルスの中でも腫瘍を生じさせるウイルスを発がん性ウイルスという。ラウスがニワトリに腫瘍を生じさせるウイルスを発見したのが1911年のことだ。ラウス肉腫ウイルスと名づけられたこのウイルスには、細胞をがんに導く遺伝子を持つことを発見した。この世界初の発がん性ウイルスの発見は、当時は受け入れられなかったが、現在では多くの発がん性ウイルスが発見されている。

 ラウスはこの業績により、1966年のノーベル生理学医学賞を受賞している。受賞理由は「発がん性ウイルスの発見」である。

 ラウスは授賞当時に87歳と高齢で、当時の最年長受賞者記録。授賞対象の研究は、第一次世界大戦前のもので50年以上待たされたことになる。1926年のノーベル生理学・医学賞は寄生虫発がん説を唱えたフィビゲルに贈られたが、後に誤りであったことが判明したため、ノーベル賞委員会はがんの研究者への受賞に憶病になっていたのかもしれない。

 たしかにがんは今も人類が克服できない問題である。この年の受賞はそんな「がん研究」について初めて贈られたノーベル賞であった。

 ウイルスの中でも腫瘍を生じさせるウイルスを発がん性ウイルスという。ラウスがニワトリに腫瘍を生じさせるウイルスを発見したのが1911年のことだ。ラウス肉腫ウイルスと名づけられたこのウイルスには、細胞をがんに導く遺伝子を持つことを発見した。この世界初の発がん性ウイルスの発見は、当時は受け入れられなかったが、現在では多くの発がん性ウイルスが発見されている。

 現代医学でがんの発生要因とされるのは、生活習慣によるもの、遺伝によるもの、山極勝三郎が唱えた化学物質による刺激説とラウスが唱えた発がん性ウイルスによる4つである。

 山極勝三郎の研究も古く、1915年ウサギの耳にコールタールを塗り続けることでがんが起きることを発表している。山極勝三郎が1926年に続いて1966年の授賞を逃したのは残念なことであった。その背景には人種差別的な偏見が続いていると考える日本人も多い。

 ハギンズはホルモンによって前立性がんの転移が抑制されることを発見した。ハギンズの研究はがんへの化学療法の第一歩を記すものであり、その成果はがん治療研究に引き継がれている。


ペイトン・ラウス

 フランシス・ペイトン・ラウス(Francis Peyton Rous, 1879年10月5日、ボルチモア - 1970年2月16日、ニューヨーク)はアメリカ合衆国の病理学者、医師。発がん性ウイルスの発見により、1966年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 彼はボルチモアで育ち、ジョンズ・ホプキンス大学とミシガン大学で学ぶ。1909年にニューヨークのロックフェラー医学研究所(現在のロックフェラー大学)に勤め、最後までそこで研究を続けた。そこで彼は癌細胞の移植だけでなく、癌細胞から抽出した物質を、超顕微鏡的に注入した時でさえ同じ近交系の鳥に感染する雌鳥の非上皮性悪性腫瘍を見つけた。この発見はがんの発生のウイルス説を生じさせた。

 当時は彼の研究は冷笑されたが、その後の実験によって彼の主張は証明され、1966年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。87歳での受賞は当時の最年長記録であり、受賞対象となった研究を行ってから55年待たされたのは史上最長記録である。

 がんの研究に加え、彼は肝臓や胆嚢の生理に関する研究を行い、また、血液の保存技術の開発を行い、最初の血液銀行を可能にした。ラウスは実験用のニワトリの中で腫瘍を持っているものがあることに気づき、そのニワトリが死んだ後に、腫瘍の中にウイルスがあるのかどうかを検証した。

 腫瘍をすりつぶし、ウイルス以外の病原体をすべてろ過するろ過機にかけたところ、このろ液は感染力を持ち他のニワトリに腫瘍を起こさせた。この移植可能な肉腫は1910年に発見され、ラウス肉腫と名付けられた。1911年にはウイルスによるものと確認、同年に論文として発表した。しかし、彼はこれをウイルスとは呼ばなかった。1911年の発表から25年後ウイルスの研究が爆発的に盛んになると、ラウス肉腫ウイルスが最初に発見された腫瘍ウイルスであることが明かになった。

 1930年代にはショウプとショウプ乳嘴腫の研究を行った。1940年代には、発癌誘発剤による発癌機構解明の研究を行っている。1966年、病原性ウイルスの発見に対してノーベル生理学医学賞が贈られた。ラウス肉腫の発見から55年、87歳の受賞はノーベル賞受賞者の最高齢である。


チャールズ・ハギンズ

 チャールズ・ブレントン・ハギンズ(Charles Brenton Huggins、1901年9月22日 - 1997年1月12日)は、カナダ出身のアメリカ合衆国の生理学者で外科医。前立腺癌の専門家としてシカゴ大学でガンの研究を行った。ホルモンによりある種のガンの転移が抑えられることを発見し、ペイトン・ラウスとともに1966年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。この発見は、ガンが化学物質で制御できることを示す初めての成果だった。

 ハギンスはカナダのノバスコシア州ハリファックスで生まれ、1920年にアカディア大学を卒業した。彼はその後ハーバード大学に進学し、1924年に医学博士号を取得した。1997年にイリノイ州のシカゴで亡くなった。

 1940年に犬の前立腺代謝を研究していたハギンズは、ホルモンががんに影響することを発見し、ホルモン投与でがんを治療することを思いついた。

 1941年、前立腺がん患者に女性ホルモンであるエストロゲンを与えて良好な成績を得たことを報告。がんホルモン療法の端緒を開いた。

 1966年この業績に対して、ノーベル生理学医学賞が贈られた。授賞理由は「前立腺がんのホルモン療法に関する発見」である。


 ホルモン療法とは

 がんの原因として、乳がん、子宮体がん、前立腺がん、甲状腺がん、腎がんなどに一部のがんにはホルモンが関係していることも解明されている。

 この場合、一定のホルモンを分泌している部分を手術で取り除いたり、経口や注射によってそのホルモンと反対の作用をするホルモンを投与して、がん細胞の発育を阻止する治療法が行われる。

 この治療法をホルモン療法(内分泌療法)といい、がん細胞を殺すのではなく、がんの発育を阻止してコントロールするのが特徴。ホルモン療法は長期間の治療になる。

 例えば、乳がんでは、エストロゲンという女性ホルモンががん細胞の発育を促進している。そこで、女性ホルモンの主な供給源である卵巣を取り除く手術を行う。薬剤を用いる方法では、女性ホルモンとは反対の作用をするホルモン剤(男性ホルモン)を経口、あるいは注射によって投与する。

 子宮体がんは、ほとんど子宮内膜がんで、メドロキシプロゲステロンアセテートなどのホルモン剤と抗がん剤を併用して治療する。初期や再発したがんに用う。特に初期のがんでは、高い効果が認められている。

 前立腺がんは前立腺ががん化したもので、男性ホルモンに強く支配されている。男性ホルモンの供給源である睾丸(精巣)を取り除く手術を行う治療法もあるが、高齢者などでさまざまな合併症がある場合には、化学療法あるいはホルモン療法が主な治療の手段となる。

 睾丸からのテストステロンの分泌を抑える薬剤や、男性ホルモンの働きを抑える抗男性ホルモン剤、男性ホルモンと拮抗する女性ホルモン(エストロゲン)剤等を投与し、抗男性ホルモン剤については新しい薬が検討される。

 これらの治療の薬物有害反応としてインポテンツになったり、乳房が女性のように黒ずんで大きくなったり、痛んだりすることがある。さらに、女性ホルモン剤は心臓や血管にも影響を与える。

 ホルモン療法であまり効果がみられないケースや、最初は有効でも期間がたつと効果がなくなってくる場合が10%くらいある。このような場合には抗がん剤による化学療法が行われるが、最初からホルモン療法との併用が行われることもある。


 間違った研究にノーベル賞? 40年の空白の謎

 体外受精を成功させ、2013年にノーベル賞を受けたロバート・G・エドワーズ氏。彼は1978年の研究発表から32年後に受賞が決定した。ノーベル生理学・医学賞は基礎研究が評価されるまでに長い時間を要し、20年、30年後に受賞することも珍しくない。その歴史上には55年という異例の年を経て賞を受けた人物もいる。

 その名はペイトン・ラウス。彼はアメリカの病理学者で、1911年に腫瘍ウイルス(がんウイルス)を発見し、その約半世紀後の1966年にノーベル生理学・医学賞を受けた。

 実は、これほどまでに時間を要したのには理由がある。

 1926年、ヨハネス・フィビゲルという病理学者ががん研究で初のノーベル賞を受賞した。その研究は、がんの原因を寄生虫とする「寄生虫発がん説」というもの。しかし現在、がんの原因が寄生虫でないのは周知の事実。フィビゲルの説は残念ながら間違っていた。

 フィビゲルの研究を誤りだと見破るのは、当時の技術では難しかったと考えられており、現在も賞は取り消されていない。けれども、ノーベル財団はこの誤りによほど懲りてがん研究に対する評価を厳しくしたのだろう。この件からしばらく、がん研究に対するノーベル賞授与はなかった。新しい技術を認め評価する難しさに、昔の人々もまた悩まされていたことがうかがえる。

 それから40年経った1966年、がん研究において2番目にノーベル賞を受けたのがラウス。腫瘍ウイルスを発見した功績が認められ、受賞が決まった。

 ラウスの受賞をきっかけに、がん研究で功績を挙げた人物が次々と評価されるようになる。1975年には腫瘍ウイルスと遺伝子との相互作用を発見したハーワード・マーティン・テミン、レナート・ドゥルベッコ、デビッド・ボルティモアの3名が賞を授与された。また、1989年には腫瘍ウイルスから肉腫を発生させるがん遺伝子を発見したジョン・マイケル・ビショップとハロルド・ヴァーマスの両者が賞を受賞している。

 彼らの基礎研究をもとに、「がん」という病気の謎がじわじわと解明されてきた。


 ラウス肉腫とは何か?

 ラウス肉腫は、腫瘍(しゅよう)のウイルス発生説の代表とされている。腫瘍ウイルスは、ウイルス粒子に含まれている核酸がデオキシリボ核酸(DNA)であるか、リボ核酸(RNA)であるかによって大きく2種類に分けられており、さらにRNA腫瘍ウイルスは、電子顕微鏡的観察による形態から、B型とC型とに分類されている。

 ラウス肉腫ウイルスは、直径100ナノメートル(1ナノメートルは10億分の1メートル)の大きさで、C型RNA腫瘍ウイルスに属している。DNA腫瘍ウイルスはパポーバウイルス、アデノウイルス、ヘルペスウイルス、ポックスウイルス群等に分類されるが、RNA腫瘍ウイルスはミクソウイルス群に含まれる。ラウス肉腫のほか、マウスの肉腫、乳癌(にゅうがん)、白血病、トリ白血病などがRNA腫瘍ウイルスによるものとしてあげられている。

 腫瘍ウイルス(oncovirus)はウイルスのうちで腫瘍形成に関わっているウイルス。がんウイルスとも呼ばれる。その多くはDNAウイルスまたはレトロウイルスであり、プロウイルス化した際にがん遺伝子が活性化される。

 最初の腫瘍ウイルスは1911年にペイトン・ラウスによってニワトリに肉腫を生じさせる濾過性病原体として発見され、後にラウス肉腫ウイルス (Rous sarcoma virus, RSV) と名付けられた。彼はこの業績により1966年のノーベル生理学・医学賞を受賞している。

 このウイルスは2本鎖RNAを持つレトロウイルスだった。がんの原因となる遺伝子は、肉腫 (sarcoma) からsrcと命名された。srcは後にウイルスだけでなく宿主のゲノムにも存在していることがわかり科学者たちに衝撃を与えた。ウイルス由来のものをv-src、細胞由来のものを c-srcと書く。

 がん遺伝子は細胞の増殖制御に関係していることが多く、本来は宿主やそれに近い生物の染色体の一部であったものが他のウイルスとともに細胞外に出たものと考えられている。


 化学物質発がん説 山極勝三郎

 フィビゲルの1913年の発表から少し遅れた、1915年、山極勝三郎は、ウサギの耳にコールタールを塗り続ける事で、癌を引き起こす事に成功し、コールタールに何らかの発癌性のあることを発表した。実は、イギリスの煙突掃除夫の腫瘍の発生率の高さに目を付けた実験であったのだが、世界の研究者の評価はフィビゲルに軍配を上げた。

 だがその後、1952年、ヒッチコックとベルがフィビゲルの実験を追試し、癌の発生原因はセンチュウだけではなく、ビタミンA欠乏症との複合的なものである事を解明した。

 実は1920年代、フィビゲルの寄生虫説と、山極の化学物質説のどちらが正しいか、かなり激しい論争が行われており、スウェーデンのノーベル賞選考委員会もかなり迷っていたらしい。

 だが、ノーベル賞選考委員会は人種差別の壁をこの時も乗り越える事はできなかった。当時の選考委員だったフォルケ・ヘンシェンは、「東洋人にはノーベル賞は早すぎる」と云う発言が委員会内であったとの発言を残している。


 人種差別する国と全体主義の国

 また、それ以前にも、野口英世のノーベル賞受賞も何度も先送りされてきている。野口の場合、黄熱病の原因は病原菌ではなくウィルスであり、当時の技術水準では発見は不可能だった。その意味では、野口がノーベル賞を受賞しなかった事は良かったのかもしれないが、野口の業績は、黄熱病が細菌によるものと云う間違いを明らかにした事(それも自らの命をもって)で、最終的な「ウィルスの発見」へと繋がるものであった。

 他にも、鈴木梅太郎や長岡半太郎、北里柴三郎、梅毒の薬「サルバルサン」を作った秦佐八郎、黄疸出血性レプトスピラ病(ワイル病)の病原体を発見した稲田龍吉、井戸泰、強力磁石鋼を発明した本多光太郎等、挙げるときりがない程、ノーベル賞を逃した日本人研究者がいる。

 フィビゲルの受賞は、有色人種差別に根ざしたものと考えている人もいる。しかし、一方で、日本国内での評価は如何だったろうかとも考える。山極勝三郎の名前を知る人が何人いるだろうか?

 あるいは、福井謙一がノーベル賞を受賞した時の、「その人誰?」と云う国内の反応や、江崎玲央奈がエサキ・ダイオードを発明した時、日本物理学会は全く評価していなかった事、あるいは、白川英樹のポリアセチレンを評価したのはアラン・マクダイアミッドだったこと、実は、日本の学会や日本人社会は、全体主義化しており、個人の業績評価が苦手だ...という意見もある。


参考HP Nobelprize.org: https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1966/


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