2017年のノーベル化学賞「低温(クライオ)電子顕微鏡」

 スウェーデンの王立科学アカデミーは10月4日、2017年のノーベル化学賞を、生体分子を鮮明に画像化して解析する手法を開発したスイス、米国、英国の3人の研究者に授与すると発表した。授賞理由は「溶液中の生体分子の高分解能構造決定のための低温(クライオ)電子顕微鏡法の開発」。

 日本人の自然科学系ノーベル賞は2014年に赤﨑勇氏、天野浩氏、中村修二氏の3人が、15年に梶田隆章氏がいずれも物理学賞を、同じ15年に大村智氏が、昨年は大隅良典氏がいずれも医学生理学賞を受賞している。今年は医学生理学賞、物理学賞とも海外研究者の受賞が決まっており、日本の自然科学界初の快挙になると期待された「4年連続受賞」にはならなかった。

 今年の化学賞を受賞するのはスイス・ローザンヌ大学名誉教授のジャック・デュボシェ氏、米コロンビア大学教授のヨアヒム・フランク氏、英MRC分子生物学研究所のリチャード・ヘンダーソン氏の3人。



 ヘンダーソン氏は、電子顕微鏡を使って生体分子を初めて原子の大きさで3次元画像撮影することに成功、フランク氏は、2次元画像から鮮明な3次元画像を再現する方法などを考案、デュボシェ氏は、試料が入った溶液を急速に冷却することにより、タンパク質などの生体分子試料の立体画像を正確、鮮明に観察できる手法を考案した。

 3人の研究により、生体の分子を本来の自然な状態で電子顕微鏡観察ができるようになった。この研究成果により、ウイルスなどの病原体の構造や働きを詳しく調べることが可能になり、生命科学と創薬の研究開発に大きく貢献した。

 授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、3人に賞金900万スウェーデンクローナ(約1億2400万円)が贈られる。


 低温電子(クライオ)顕微鏡とは?

 低温電子顕微鏡法(Cryo-electron microscopy (cryo-EM)、クライオ電子顕微鏡法)は透過型電子顕微鏡法の一種で、試料を極低温(通常液体窒素の温度)において解析する手法である。構造生物学の分野において用いられる。

 クライオ電子顕微鏡法では一切の染色や固定がなされない試料を観察することができ、試料は本来の環境中で観察される。これまでは試料の結晶化(試料によっては困難である)が必要であり、それ故に非生理的な状況に試料を晒して、試料の機能的に不適切な構造変化を伴うことがあるX線結晶構造解析法などの方法しか拡大して観察する方法がなかった。

 クライオ電子顕微鏡では、生体を生きたままの状態で観察することができる。解像度は改善を続けており、2014年には近原子分解能である4.5 Åの解像度で、ウイルス、リボソーム、ミトコンドリア、イオンチャネル、酵素複合体などの構造が得られている。また、3 Å以上の解像度を持つ解析も行われており、クライオ電子顕微鏡は従来のX線結晶構造解析法と同様の、あるいはそれを上回る性能を持つまでに至っている。

 これまでの電子顕微鏡での観察では、放射線損傷(英語版)と、高真空状態が生物資料に与える影響は大きかった。ネガティブステイン法などで、多少の改善が行われた。しかし、それでも通常の生物標本を電子顕微鏡にかける際の脱水(水が残っていると真空引き時に水が抜ける為、他の溶液に置き換える作業)による構造崩壊は無視できないものだった。

 水を凍らせるアイデア自体は、昔からあったが水が氷になる時の結晶変化で試料が破壊される可能性があった。そのため結晶構造にならないアモルファス氷の状態にする技術が求められた。

 1980年代初頭に、固体物理学を研究しているいくつかのグループが、高圧凍結または瞬間凍結などの異なる手段によって、アモルファス氷を生成しようと試みた。欧州分子生物学研究所のジャック・ドゥボシェが率いるグループは、1984年の論文で、アモルファス化した水の層に包埋されたアデノウイルスの画像を掲載した。

 この論文が、一般に低温電子顕微鏡法の起源であると考えられており、世界中の多くの研究所で日常的に使用できるよう発展していった。 撮影に必要な電子エネルギー(80-300kV)は、分子内の共有結合を破壊するには十分なエネルギーである。この問題を対処する為、露光するエネルギーに制限をかけた状態でも使用できるセンサーと、低露光での画像を何枚も画像処理して鮮明な画像にするソフトウェアの開発が必要であった。2012年、直接電子検出器と、それらによって取得された画像を効率よく処理する計算アルゴリズムが導入され、これらの問題は大幅に改善した。


 液体中のタンパク質などの立体構造を原子レベルでとらえることを可能に

 2017年のノーベル化学賞は、タンパク質などの生体分子の立体構造を原子レベルでとらえるクライオ電子顕微鏡を開発した、英MRC分子生物学研究所のヘンダーソン(Richard Henderson)博士、スイス・ローザンヌ大学のデュボシェ(Jacques Dubochet)博士、米コロンビア大学のフランク(Joachim Frank)博士、の3氏に授与されることになった。

 例えば、タンパク質の立体構造は、色とりどりのリボンが絡み合っている構造をしているが、今年の生理学・医学賞の授賞対象となった、生物のサーカディアンリズム(体内時計)をつかさどる複合タンパク質でも同様である。

 生体内では日々様々なタンパク質が作られ,生命活動を担っている。その詳細な構造がわかれば、どんな分子と結合するか、どんな動き方をするかなどを知る手がかりになる。体内で起きる様々な反応を理解したり、新しい医薬品を開発したりするのに、有力な情報が得られる。

 タンパク質の構造を知るには、古くからX線を照射して解析する方法が用いられてきた。しかしそれにはタンパク質を何らかの方法で結晶化する必要がある。結晶を作れないタンパク質も少なくなく、対象は限られていた。

 もっと色々なタンパク質の構造を見る方法はないだろうか。そう考えたヘンダーソン博士は1970年代に,金属材料などの観察に使われていた電子顕微鏡に着目した。光ではなく電子を照射する顕微鏡である。電子の波長は光よりずっと短いので、原理的にはタンパク質内部の細かい構造もわかる。ただ、大きな問題があった。

 タンパク質のように軽いものに高いエネルギーを持つ電子ビームを当てると、壊れてしまうのだ。また測定中は真空にする必要があるので水分が蒸発し、形が変わってしまう。

 ヘンダーソン博士は、光合成を担うタンパク質、バクテリオロドプシンに狙いをつけた。細胞表面にある膜の中に埋め込まれているタンパク質を無理に取り出さず、グルコース溶液で保護した。これを通常より弱い電子ビームを使って観察したところ、それまでない解像度の画像が得られた。その後も改良を重ね、1990年、ついに原子レベルの精度で撮影することに成功した。

 成功の理由はもう1つある。デュボシェ博士が開発した、生体分子を氷で守る方法。氷なら、真空中でもすぐには蒸発しない。ただし普通に凍らせると水が結晶化してタンパク質を壊すうえ、結晶が電子ビームを邪魔してしまう。デュボシェ博士は極低温の液体窒素を使って水を急冷し、結晶化する前に凍結させる方法を考案した。こうするとタンパク質は壊れず、解像度も落ちなかった。

 ヘンダーソン博士の方法は、観察の対象が規則的に並んでいる場合にしか使えなかった。液体中の分子を観察することはできない。この問題を解決したのがフランク博士。博士は、様々な方向から撮影された分子の画像をコンピューターで重ね合わせて高解像度の画像を作り、さらに3次元画像を計算するプログラムを開発した。

 今では、電子顕微鏡はバイオ研究の有力なツールになっている。クライオ電子顕微鏡を使って筋肉が効率よく収縮する仕組みを突き止めた理化学研究所の藤井高志研究員は「タンパク質の構造をそのまま原子レベルで見ることができるようになった。近年、解像度が大きく向上し、製薬企業や大学などで利用が広がっている」と話している。  (日経サイエンス 2014.10.4)


 ジャック・ドゥボシェ

 ジャック・ドゥボシェ(Jacques Dubochet、1942年6月8日 - )は、退職したスイス人生物物理学者である。ドイツ連邦共和国ハイデルベルクの欧州分子生物学研究所の元研究員である。識字障害を持つ。

 1942年6月8日、スイス、ヴォー州エーグル生まれの75歳である。研究分野は構造生物学。低温電子顕微鏡法を開発した。欧州分子生物学研究所 (1978-1987)に在籍。現在はローザンヌ大学 (1987年以降)である。

 2017年のノーベル化学賞を受賞した。受賞理由は「溶液中で生体分子を高分解能構造測定するための低温電子顕微鏡法の開発」。ヨアヒム・フランク、リチャード・ヘンダーソンと共にノーベル化学賞を受賞した。

 1962年に the École polytechnique de l'Université de Lausanne(現スイス連邦工科大学ローザンヌ校)で物理学を学び始め、1967年に物理工学で学位を取得した。1969年にジュネーブ大学で分子生物学の修了証明書を取得し、DNAの電子顕微鏡を研究し始めた。1973年、ジュネーブ大学とバーゼル大学で生物物理学の論文を完了させた。

 1978年から1987年まで、西ドイツのハイデルベルクにある欧州分子生物学研究所でグループリーダーを務めた。1987年から2007年にかけて、ローザンヌ大学の教授を務めた。2007年、65歳で退職し、ローザンヌ大学で名誉教授となった。

 仕事の中で、低温電子顕微鏡法、低温電子断層撮影(英語版)、非晶質(ガラス状)凍結切片クライオ電子顕微鏡観察の技術を開発した。


 ヨアヒム・フランク

 ヨアヒム・フランク(Joachim Frank、1940年9月12日‐)は、ドイツ生まれのアメリカ合衆国の生物物理学者である。

 1940年9月12日、ドイツ ジーゲン生まれ(77歳)。研究分野は、構造生物学。低温電子顕微鏡法を開発した。コロンビア医科大学院 生化学・分子生物学部に在籍。フライブルク大学 (BS)、ミュンヘン大学 (MS)、ミュンヘン工科大学 (PhD)で学んだ。

 単粒子解析クライオ電子顕微鏡の開発と、細菌や真核生物由来のリボソームの構造と機能の解析で重大な貢献をしている。

 2017年、「溶液中で生体分子を高分解能構造測定するための低温電子顕微鏡法の開発」が認められ、ジャック・ドゥボシェ、リチャード・ヘンダーソンと共にノーベル化学賞を受賞した。

 主な受賞歴、ベンジャミン・フランクリン・メダル生命科学部門 (2014) ワイリー賞 生体医療科学部門 (2017) ノーベル化学賞 (2017)


 リチャード・ヘンダーソン

 リチャード・ヘンダーソン(Richard Henderson 1945年7月19日- )1945年7月19日、英国、スコットランド エディンバラ生まれ(72歳)。

 研究分野は、構造生物学、低温電子顕微鏡法。MRC分子生物学研究所に在籍。エディンバラ大学 (BS)、ケンブリッジ大学コーパス・クリスティ・カレッジ (MS, PhD)で学んだ。

 主な受賞歴 1990年 ローゼンスティール賞、1998年 米国科学アカデミー外国準会員、1999年 グレゴリー・アミノフ賞、2003年 British Biophysical Society 会員、2016年 コプリ・メダル、2017年 ワイリー賞(ヨアヒム・フランクと共に)、2017年 ノーベル化学賞。


参考 日経サイエンス: http://www.nikkei-science.com/?p=54688


nature [Japan] May 30, 2013 Vol. 497 No. 7451 (単号)
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