シベリアの凍土から1万年前の絶滅ライオン

 地球温暖化の影響で、シベリアの氷が溶けてメタンガスが発生し温暖化が加速する恐れが出ている。また、地中からは絶滅したマンモスが次々に見つかって話題になっている。最近ではマンモス以外にも絶滅した珍しい動物たちが発見されている。

 11月15日、日本とロシアの研究チームは、東シベリアの永久凍土から約1万年前に絶滅したホラアナライオンの子供3匹の死骸を見つけたと発表した。凍った状態で内臓も残っているとみられる。これまでは化石や足跡だけで、外見は分かっていなかった。

 明るい色の毛に黒いしまのような模様があるのが、現在のライオンとの違い。成長するとライオンよりも大きかった可能性があるという。記者会見したロシア科学アカデミーと東京慈恵会医大によると、3匹は2015年と今年に見つかり、体長40~50センチで重さ数キロ。放射性元素を用いた年代測定によると、4万9千年以上前に生きていた。日本側を中心にコンピューター断層撮影(CT)などで体内の構造を詳しく調べている。



 首都ヤクーツクの科学アカデミーのアルベルト・プロトポポフ博士は11月9日の会見で「四肢は完全に揃っており、皮膚には傷もなく、保存状態が良好だ。将来的にはDNAからクローン再生させることも可能かもしれない」と抱負を述べた。

 発見された赤ちゃんミイラは体長45センチ、重さ約4キロ。出生直後のライオンは、外見だけでは性別の判断が難しいが、生後8週間は経過していると推測される。

 プロトポポフ博士は死因について「ミイラは体がぺしゃんこに変形されていることから、おそらく生まれた直後に住んでいた洞穴が何らかの原因で崩壊したのだろう」と指摘。

 ホラアナライオンは、アフリカライオンの先祖と約1900万年前に分岐した原始的なライオンの一種で、約260万年前から1万年前までの更新世に生息していたと考えられている。今回のミイラが発見されたヤクート地区では、2015年にも永久凍土の中から、2匹のホラアナライオンの子供のミイラが見つかっており、これらは発見された川の名前をとって「ウヤン」と「ディナ」と名付けられた。

 プロトポポフ博士は、「更新世ではホラアナライオンやオオヤマネコが地下の巣穴で生息していたため、死骸が酸化せずにきれいな状態で発見された」と述べて、「クローン技術には生きた細胞が必要だが、これらのミイラから採取したDNAが復元できれば、それを現代のライオンのDNAに導入すれば、クローン再生も可能だ」と述べた。


絶滅した巨大カイギュウの骨格を発見

 一方、ロシアの海岸では絶滅したステラーカイギュウが発見されている。

 白いポールのような物が砂から突き出ているのを見つけたマリア・シトワ氏は、人がつくったフェンスの一部だと思った。しかし、シトワ氏らの調査チームが数時間後に掘り出したのは、都市計画の一部ではなく、頭骨を除きほぼ完全な巨大カイギュウの骨格だった。

 全長が5メートル強もある絶滅生物の骨格が見つかったのはロシア、カムチャツカ地方の東部で、アリューシャン列島の西端に位置するコマンドルスキー諸島だ。合計で重さ10トンにもなる標本は、頭骨など一部の骨が欠けていたが、椎骨45個、肋骨27本、そして左肩甲骨がそろっていた。骨格の保存状態は良好で、ビジターセンターで展示する予定だと国立公園当局はコメントを出している。

 「絶滅するまで生息していた地域にそのまま残されていた唯一のステラーカイギュウです」と話すのは、米ジョージ・メイソン大学の教授でカイギュウについての論文を2014年に発表しているローレライ・クレラー氏だ。「現在研究できるコマンドルスキーのステラーカイギュウの記録はこれが全てであり、他にはありません」

 1987年、3メートル近いステラーカイギュウの標本がコマンドルスキー諸島のベーリング島で見つかったが、その後にばらばらにされてしまった。英ガーディアン紙によれば、今のところ、フィンランド自然史博物館がほぼ完全に近いステラーカイギュウの骨格を収蔵しているという。

 近くをさらに発掘すれば、頭骨が出てくるかもしれないとクレラー氏は期待している。1741年にこの生き物を発見したのは、シベリア沿岸の大規模な探検に参加していたドイツ人探検家、ゲオルク・ステラーだった。だが探検から戻る際、ステラーはカイギュウの死骸を置いて行かざるを得なかった。クレラー氏は、今回見つかった骨格はこの時に放置された個体かもしれないと言う。

 ステラーカイギュウ(Hydrodamalis gigas)は、絶滅した海棲哺乳類の一種。しばしばステラー海牛とも表記される。ジュゴン目(海牛目)ジュゴン科に属する。かつて北太平洋のベーリング海に生息していた大型のカイギュウである。1768年かそれ以降に絶滅。

 体長7メートルにもなったステラーカイギュウは、現生のジュゴンやマナティーのような脂肪の多い哺乳類と近縁関係にある。ステラーは彼らが空気を吸い、潜水は全くせず、かつては陸上を歩いたのかもしれないと記した。尾の先が2つに分かれ、口には歯の代わりに白い毛の生えた上唇と、角質でできた板があり、海草やケルプを食べていた。一夫一妻で、社会性があり、仲間の死を悼んだ。

 「メスが捕獲されると、オスは捕まった伴侶を逃がすために全力を尽くし、それが失敗に終わると、我々が何度殴打しても海岸までずっと追ってくる」と1751年にカイギュウを捕っていた探検家は報告している。「翌日、捕獲したメスを解体して持ち帰るために朝早く海岸に行くと、オスがまだ彼女の側で待っていたのだ」

 一時期は、2000頭のステラーカイギュウが北極海を泳いでいたこともあったと推定されている。しかし、ステラーの発見から27年後、1768年にこの海獣は絶滅した。ステラーと探検隊員たちはカイギュウを研究しただけでなく、肉を目的におそらく10~20頭を狩っただろうとクレラー氏は話す。記録によれば、ステラーカイギュウは穏やかで大人しく、厚さ10センチもある脂肪の層はアーモンドオイルのような味がして、33人の食料1カ月分になったという。

 「今後、追加の情報が明らかになると期待しています」とクレラー氏。「彼らは一時期とても多くの種類がいたのに、今では先細りになりつつある集団なのです」(National Geographic)


 ホラアナライオンとは?

 ホラアナライオンまたはドウクツライオン(学名 Panthera leo spelaea)は、既に絶滅したネコ科の大型肉食動物。更新世に生息している。

 やや原始的なライオンの一種(たてがみがないことで、ライオンとは別の猛獣とする意見もある)で、ロシア東部などユーラシア大陸で化石が発見されている。現生のライオンよりやや大きく、たてがみや尾の先の毛は無かったであろうと言われており、クロマニヨン人などの壁画などにもそのような姿で描かれている。しかし、近縁であるヨーロッパホラアナライオンはたてがみを有する。乾燥し、比較的寒冷な環境を好んでいたようである。

 2015年10月と2017年に、ロシア連邦のシベリアの永久凍土で、冷凍状態のホラアナライオンの子供が合計3頭発見された。先史時代のネコ科動物が、このような良好な状態で発見されたことは例になく、ホラアナライオンおよびその他ネコ科動物に係る今後の研究の発展が期待されている。

 ホラアナライオンは、1810年に初めて文献に登場して以来、ユーラシア大陸や北米大陸でその痕跡が見つかっている。しかし、これまでに発見された化石は、骨と足跡に限られていた。

 科学者らは、発見の詳細については口をつぐんでいる。ロシアのサハ共和国科学アカデミーの古生物学者アルベルト・プロトポポフ氏は、11月17日に予定されている記者会見で初期所見を発表するため、今は質問に答えないとしている。同じ記者会見の場で、同地域でのもうひとつの大発見である「ユカ」(ケナガマンモス)についても取り上げるという。

 それでも、インターネットはホラアナライオンの話題で持ちきりだ。氷河期の子ライオンの写真は、ネコ科の愛好家と古生物学者の双方をにぎわせている。ミーチェン氏は言う。「初めて見たときは信じられませんでしたが、どうやら真実のようだとわかったときは、畏敬の念を抱きました」

 ホラアナライオンは、現在のライオン(Panthera leo)の亜種である。ゴツゴツした洞窟だけでなく広い草原でも行動していたため、ステップライオンの別名を持つ。

 今回の発見の重要性は見た目だけにとどまらない。科学者は、「これらの幼獣の死因に関する情報や寄生虫保有量を知ることができるはず」とミーチェン氏は言う。さらには、胃の中に母乳が残っていれば、親ライオンが何を食べていたのかを知ることができるかもしれない。今回の発見は、それほど古くない極寒の世界への新たな窓を開いたのである。


 ステラーカイギュウとは何か?

 ステラーカイギュウ(Hydrodamalis gigas)は、絶滅した海棲哺乳類の一種。しばしばステラー海牛とも表記される。ジュゴン目(海牛目)ジュゴン科に属する。かつて北太平洋のベーリング海に生息していた大型のカイギュウである。1768年かそれ以降に絶滅。

 ステラーカイギュウは、寒冷適応型のカイギュウ類(ステラーカイギュウ亜科)の、最後の生き残りだった。このカイギュウ類の系統は、ジュゴンのような、暖かい海で主にアマモなどの海草を食べて暮らすカイギュウ類から派生したが、より寒冷な海に育つコンブなどの海藻類を食べ、体を大きくして大量の脂肪を蓄えることで、寒冷な気候に適応していた。ステラーカイギュウ以外の種は、有史以前に絶滅している。

 なお、海藻類は非常に歴史の古い植物群であるにもかかわらず、これを主な食物とする四足動物は、これらのカイギュウ類とウミイグアナ以外ほとんど知られていない。なお、ウミイグアナはアオサ類や石灰藻類を主に食べるが、上記の通り、ステラーカイギュウはコンブ類などの褐藻類を食べていたとされる。

 寒冷適応型のカイギュウ類に1科を立て、ダイカイギュウ科とすることもあり、この場合、ステラーカイギュウはステラーダイカイギュウとされる。


 ステラーカイギュウの発見

 デンマーク出身の探検家ヴィトゥス・ベーリングが率いるロシア帝国の第2次カムチャツカ探検隊は、1741年11月のはじめに遭難した。アラスカ探検の帰途、カムチャツカ半島のペトロハバロフスク港を目指して、アリューシャン列島づたいに西行していた探検船セント・ピョートル号が、嵐に遭遇し、カムチャツカ半島の東の沖500キロメートルに位置するコマンドルスキー諸島の無人島(現ベーリング島)で座礁した。

 乗員たちの多くは壊血病にかかっており、飢えと寒さの中、半数以上が死亡した。指揮官のベーリング自身も12月に他界したが、残された人々は、座礁したセント・ピョートル号の船体から新しいボートを建造し、翌1742年8月に島を脱出した。その指揮に当たったのが、ドイツ人の医師で博物学者でもあったゲオルク・ヴィルヘルム・シュテラー(ステラー)である。10ヶ月に及ぶ航海の末にペトロパブロフスク港にたどり着いた彼らは、英雄として迎えられた。

 シュテラーは、探検中に見られたラッコやオットセイなどの毛皮獣のほかに、メガネウという鳥(この鳥も、発見されたことが影響して結果的に絶滅する)と、遭難先の無人島(ベーリング島)で発見された巨大なカイギュウについても報告した。

 そのカイギュウは、長さ7.5メートル、胴回りが6.2メートルもあり、島の周辺に2,000頭ほどが生息すると推定された。シュテラーの航海日誌(ジャーナル)には、次のように記されている。「その島の海岸全域、特に川が海に注ぎ、あらゆる種類の海草が繁茂している場所には、われわれロシア人が『モールスカヤ・カローヴァ』(морская корова; “海の牛”)と呼ぶカイギュウが、1年の各期を通じて、大挙して姿を現す」。

 そのカイギュウ1頭から、3トンあまりの肉と脂肪を手に入れることができた。そしてその肉は、子牛に似た味と食感をもっていた。言うまでもなく、遭難中のシュテラーたちにとって、このカイギュウたちは有用な食料源となった。美味であるばかりではなく、比較的長い時間保存することができたため、その肉は彼らが島を脱出する際、たいへん助けとなった。皮は靴やベルト、ボートを波から守るカバーに利用され、ミルクは直接飲まれたほか、バターにも加工された。脂肪は甘いアーモンド・オイルのような味がし、ランプの明かりにも使われた。彼らが生還できたのは、このカイギュウの生息域でそれを有用に利用できたからであった。


 ステラーカイギュウの絶滅

 ステラーカイギュウと名づけられたこの海獣の話はすぐに広まり、その肉や脂肪、毛皮を求めて、カムチャツカの毛皮商人やハンターたちが、数多くコマンドル諸島へと向かい、乱獲が始まった。

 約10年後の1751年になって、シュテラーはこの航海で得たラッコやアシカなどを含む数々の発見に関する観察記を発行している。アラスカでは見かけなかったこの動物についても、彼は体の特徴や生態などを詳しく記録している。

 ハンターたちにとって好都合なことに、カイギュウたちは動作が鈍く、人間に対する警戒心ももち合わせていなかった。有効な防御の方法ももたず、ひたすら海底にうずくまるだけだった。このような動物を銛やライフルで殺すことは容易だったが、何トンにもなる巨体を陸まで運ぶことは難しいため、ハンターたちはカイギュウをモリなどで傷つけておいて、海上に放置した。出血多量により死亡したカイギュウの死体が岸に打ち上げられるのを待ったのだが、波によって岸まで運ばれる死体はそれほど多くはなく、殺されたカイギュウたちのうち、5頭に4頭はそのまま海の藻屑となった。

 ステラーカイギュウには、仲間が殺されると、それを助けようとするように集まってくる習性があった。特に、メスが傷つけられたり殺されたりすると、オスが何頭も寄ってきて取り囲み、突き刺さった銛やからみついたロープをはずそうとした。そのような習性も、ハンターたちに利用されることになった。

 1768年、シュテラーの昔の仲間であったイワン・ポポフという者(マーチンの説もあり)が島へ渡り、「まだダイカイギュウが2、3頭残っていたので、殺した」と報告しているが、これがステラーカイギュウの最後の記録となった。ステラーカイギュウは、発見後わずか27年で姿を消したことになる。 その後もステラーカイギュウではないかと思われる海獣の捕獲や目撃が何度か報告されている。最も新しい報告例では、1962年7月のベーリング海でソ連の科学者によって6頭の見慣れぬ巨大な海獣が観察されているが、それがステラーカイギュウなのか他の海獣類を見間違えたのかは不明。


 ステラーカイギュウの歯は退化

 ステラーカイギュウは、体長は7メートルを超え、一説には最大8.5メートルに達し、体重は5-12トンあったと言われている。現生カイギュウ類としては最大だった。おそらくほとんど潜水できず、丸く隆起した背中の上部を、常に転覆したボートの船底のように水の外にのぞかせた状態で漂っていた。島の周辺の浅い海に、群れを作って暮らしていた。潮に乗って海岸の浅瀬に集まり、コンブなどの褐藻類を食べた。冬になって流氷が海岸を埋めつくすと、絶食状態になり、脂肪が失われてやせ細った。このときのステラーカイギュウは、皮膚の下の骨が透けて見えるほどだったという。

 氷が流れ去るまで沖合いにいて、春になって氷がなくなると、再び海藻を食べ始るが、この春の初めに繁殖活動に入り、1年以上の妊娠期間を経て、1子を産んだと思われる。子どもたちは群れの中央で育てられ、つがいの絆はたいへん強かった、とシュテラーは記している。

 ステラーカイギュウは、体が巨大なことのほかにも、暖海性のジュゴンやマナティーとは異なった特徴をいくつかもつ。際立った特徴の1つとして、ステラーカイギュウの成獣は、歯が退化して、ほとんどなくなっていた。彼らは、上顎と下顎の先に、登山靴の裏側のように細かい溝のついた固い角質の、嘴のような板をもち、よく動く唇とこの嘴を使って、岩に付いたコンブなどを噛みちぎって食べていた。

 現存する暖海性のカイギュウ類と同様、ステラーカイギュウも、コンブを口の中で噛んだりすりつぶすことは、あまりしていなかったと思われる。実際、シュテラーによれば、体の中には非常に大きな腸が内蔵されていたという。あまり噛み砕かれていない食べ物を完全に消化するために、そのような腸が必要だったのだろう。


 ステラーカイギュウの全身骨格

 また、ステラーカイギュウのひれ状になった前足は、指の骨が完全に退化してなくなっていた。近縁種のジュゴンも、アザラシ類も、クジラでさえ、5列に並んだ指の骨をもっており、このことは、ステラーカイギュウが非常に高い水準で海中生活に適応していたことを示している。

 この前足は、体の中心に向かってかぎ型に曲がっており、骨格の構造から、彼らはこの前足を前後に動かして、岩に付いた藻をはぎ取ったり、水底を歩いたりしていたと考えられる。多くの個体の水に浸かった部分の皮膚には、数多くの小さな甲殻類が寄生しており、解剖した腸の中には線虫が寄生していたという。

 ステラーカイギュウの頭部は体に比べて小さく、首が短くて、胴体との境界はあまりはっきりしていなかった。目は小さく、口の周りには太い毛が生えていた。外から見た耳は豆粒大の大きさしかなく、あまり目立たなかったが、内耳の構造は発達しており、音はよく聞こえていたと考えられる。首の構造は非常に柔軟で、あまり体を動かさなくても広い範囲の餌を食べることができたと考えられる。

 尾は大きく平らで、先はクジラの尾のように二股に分かれていた。その体を包む黒く丈夫な皮膚は、数多くのしわが刻まれ、厚さは2.5センチメートルもあり、木の皮のようだった。皮膚の下の脂肪層は、10-20センチ以上あった。これは寒さから身を守るとともに、氷や岩で体に擦り傷が付くのを防いでいたと思われる。

 発見当時、ステラーカイギュウはすでに、コマンドル諸島などの限られた地域にしか生息していなかったが、10万年前の化石をみると、かつては日本沿岸からアメリカのカリフォルニア州あたりまで分布していたことがわかる。その後アリューシャンの島々にしか棲まなくなったのは気候の変化のためだが、1万2,000-1万4,000年前ごろにこの地域に人間が定住するようになったことも、部分的に影響しているかもしれない。


 ステラーカイギュウの化石・標本

 東海大学自然史博物館に、ステラーカイギュウの全身骨格標本が展示されている。これはロシアで捕獲されたものの複製である。専門家によるステラーカイギュウの唯一の観察記録は、シュテラー自身によるものだが、鳥羽水族館では、これに基づいて、ステラーカイギュウの復元標本の作成が何度か試みられている。

 2017年11月、コマンドルスキー諸島において、マリア・シトワらの研究チームが全長が5メートルを超えるほぼ完全な姿の骨格を発掘した。ジョージ・メイソン大学のローレライ・クレラーによれば、これはステラーが発見したものの置いて行かざるを得なかった個体かもしれないという。

 日本でも、北海道と東北地方から、寒冷適応型のカイギュウ類の化石が、のべ30体ほど発見されており、その中にはステラーカイギュウの祖先に当たると思われる同属のピリカカイギュウや、ステラーカイギュウそのものの化石であるキタヒロシマカイギュウ(ステラーカイギュウ北広島標本)が含まれている。

 北海道北広島市で発見されたステラーカイギュウ北広島標本は、北広島市中央公民館・北海道開拓記念館に展示されている。この化石は、唯一のステラーカイギュウ化石と言われていたが、後に房総半島(千葉県)でもステラーカイギュウの化石が発見されている。

 また、2007年5月、東京都狛江市を流れる多摩川河床の約120万年前の地層から発見された大型カイギュウ類の全身骨格化石は、祖先種からステラーカイギュウに進化する途中の新種と見られている。この化石は、あごから尾まで全身の100個以上の骨がほぼそろっており、幼獣ながら全長5 - 6メートルと推定される。肋骨は左右に20個ずつあり、ステラーカイギュウより1個多く、その祖先種より1個少ないことから、進化の過程で肋骨を減らしつつあった中間種とみられる。


参考 National Geographic news: http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/112400455/


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