太陽はどうやって燃えているのだろうか?

 太陽はどうやって燃えているのだろうか?

 そう核融合反応で燃えている。我が国では広島・長崎に投下された原子爆弾や東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故があったので、核分裂反応はよく知られているが核融合反応にはあまりなじみがない。しかし、驚いたことに核融合の理論は1920年、核分裂の理論は1938年に発表されている。核融合の方が古いのだ。

 太陽が行っている核融合反応は、4つの水素(H)の原子核が融合して、1つのヘリウム(He)の原子核になるというものである。これを「陽子-陽子連鎖反応」という。   4H → He  (1.008kg)→(1.001kg)



 化学反応では反応の前後で物質の質量は変わらないが、核反応では反応後の物質の質量が小さくなる。この失われた0.7%の質量が莫大なエネルギーに転換する。アンシュタインの E=mc2 の式により、太陽は毎秒5.64×10の11乗kg(5億6400トン)の水素を反応させて、全体で約4×10の26乗J・s-1 のエネルギーを出している。これは広島型原爆5兆個分のエネルギーになる。地球が受け取っているエネルギーはその約20億分の1である。

 太陽の中心部では水素が圧縮され高熱を発すると核融合反応は起きるので、これを熱核融合反応という。熱核融合反応は、太陽程度の質量を持つ恒星で多い「陽子-陽子連鎖反応」と、より重い主系列星で主に行われる「CNOサイクル」がある。

 1920年に、イギリスの天体物理学者、アーサー・エディントンはフランシス・ウィリアム・アストンによる原子量の精密な測定に基づいて、恒星は水素からヘリウムへの核融合によってエネルギーを得ていることを初めて示唆した。

 恒星が核融合でエネルギーをまかなっているという説が唱えられたのはこれが最初であり、これ以降長い間にわたってジェームズ・ジーンズとの間で恒星のエネルギー源に関する論争が続くことになった。その後、1938年と1939年にハンス・ベーテがより自然な核融合過程の理論を導入し、これによって論争は次第に終息した。

 この「CNOサイクル」を発見したのがハンス・ベーテである。CNOは元素記号であり、炭素、窒素、酸素も核融合反応に関係している。恒星内部での水素燃焼には「陽子-陽子連鎖反応」と「CNOサイクル」の両方が働いているが、CNOサイクルは大質量星のエネルギー生成過程に大きく寄与している。太陽内部でCNOサイクルによって生み出されるエネルギーは全体の約1.6%に過ぎない。


 ハンス・アルプレヒト・ベーテ

 ハンス・アルプレヒト・ベーテ(Hans Albrecht Bethe, 1906年7月2日 - 2005年3月6日)は、アメリカの物理学者。シュトラスブルク(当時ドイツ領、現フランス・ストラスブール)出身のドイツ系ユダヤ人移民。1967年、「原子核反応理論への貢献、特に星の内部におけるエネルギー生成に関する発見」によってノーベル物理学賞を受賞した。

 フランクフルト・アム・マインで物理学を学び、ミュンヘン大学で博士号を得る。ケンブリッジ大学などでのポスドクの後、テュービンゲン大学の教職員となった。

 ユダヤ系のため、ナチスが政権を握った1933年にドイツからイギリスに逃れ、マンチェスター大学の講師を務め(1933年-34年)、1935年にはアメリカのコーネル大学の教授となる。

 第二次世界大戦の間、彼はロバート・オッペンハイマーに招かれカリフォルニア大学バークレー校での特別夏季会議に参加した。それは原子爆弾の最初の概略を説明したものであった。オッペンハイマーがロスアラモスで秘密兵器研究所を開設したとき、ベーテは理論部門の監督に任命された。

 1948年から1949年までコロンビア大学に客員教授として招かれた。戦後ベーテは水素爆弾の開発計画に反対したが、ハリー・S・トルーマン大統領が開発計画を宣言し、朝鮮戦争が勃発したときベーテは計画に参加し開発に重要な役割を果たした。彼は計画の終了まで関わったが、個人的には水素爆弾の製造が不可能であることを望んだ。

 ベーテは、原子核が引き合う力(核力)や反発する力(クーロン反発力)などによって原子核の結合エネルギーの大きさが決定されるという「ワイツゼッカー・ベーテの原子核質量公式」を発表している。独自に研究を行っていたカール・フリードリッヒ・フォン・ワイツゼッカーは、西ドイツ大統領だったリヒャルト・フォン・ワイツゼッカー大統領の兄である。


 CNOサイクルとは何か?

 ベーテの最も重要な業績は、星のエネルギー源としての原子力を詳細に解明したことであった。この問題は75年以上前にH.ヘルムホルツ(ドイツ)、W.T.ケルビン(イギリス絶対零度の提案者)が、着目していたが未解決であった。

 水素の原子核と炭素12の原子核の結合で窒素13の原子核ができ、これが反応を誘発して炭素が再生され、4個の陽子がヘリウム原子核に転換する。この際水素は燃料、ヘリウムは余剰産物、炭素は触媒となると38年エネルギー発生過程を結論付けた。その後水素が直接結合してより低いエネルギーで反応が起きる機構を考えた。

 このサイクルで行なわれる正味の反応は、4個の水素原子核(陽子)が融合して1個のヘリウム原子核(アルファ粒子)と2個の陽電子、2個のニュートリノに変換され、エネルギーがガンマ線として放射されるというものである。反応過程に現れる炭素・酸素・窒素原子核は反応の触媒として働き、サイクル中で再生産される。

 第二次世界大戦中は、マサチューセッツ工科大学の放射能研究所でマイクロ波を開発。ロスアラモス研究所ではマンハッタン計画を推進し、原子爆弾の建造に参加した。

 その他の研究としては、結晶中の電子の密度、合金の秩序・無秩序状態、地震計の記録からの地底爆発の探知、中性子星に関するものがある。1967年恒星のエネルギー発生の解明に対してノーベル物理学賞が贈られた。

 ここでいう原子核反応理論は、原子核融合のことを指す。原子核融合というと一般にはなじみがないが、報道などで使われる核融合と同義である。原子核融合とは、各種が融合して重い核種になること。核種は同じ元素でありながら、原子核の中性子数が異なるものであり同位体ができることである。アイソトープや同位元素ともいう。

 原子核は互いに反発する力があるが、ある程度まで近づくと、結合しようよする力が勝り原子が融合する。この原理を使ってエネルギーを取り出すのが現在開発中の核融合炉である。

 福島第一原子力発電所ではこれとは逆に、原子核を分裂させる核分裂反応で放出させたエネルギーで発電するものである。まだ、人類の力ではどちらもコントロールできていないといえる。


 核融合反応の歴史 

 1920年代及び30年代に、ジョン・コッククロフトに代表される粒子加速器の研究に従事していた物理学者たちは、陽子(水素原子核)や他の軽い核に高いエネルギー(数keV)を与え入射粒子として加速し、標的となっている軽い核に当てると、核の電気的反発力や核力によって入射粒子は破壊を伴いながら、標的と融合し大きなエネルギーが解放されること、すなわち核融合反応(nuclear fusion)を発見していた。

 この大きなエネルギーは、アインシュタインによって主張された関係式 E = mc2 を満たす形で、融合した核の質量の一部がエネルギーに変換されているため発生すると言われる。しかしながら、加速器による核融合反応では、少数の核融合物を作るために大量のエネルギーが使用されなくてはならず、もし実用に供するような連続的な核融合反応を起こすのであれば摂氏数億度もの高温が必要となることから、以後に発見された核分裂反応ほどには当初は着目されなかった。

 上記の摂氏数億度の高温を用いる核融合は特に熱核反応(thermonuclear reaction)と呼ばれるが、熱核反応の燃料としては、原子核の荷電が小さく原子核同士が接近しやすい軽い核種で反応自体も速いといった理由から三重水素や二重水素といった水素の重い同位体が理想的と言われる。

 融合のタイプによっては融合の結果放出されるエネルギー量が多いことから水素爆弾などの大量破壊兵器に用いられる。また核融合炉によるエネルギー利用も研究されている。

 核分裂反応に比べて、反応を起こすために必要な温度・圧力が高いため技術的ハードルが高く、現在のところ、水素爆弾は核分裂反応を利用して起爆する必要があり、核融合炉は高温高圧の反応プラズマを封じ込める技術開発が困難を極めている。


 カール・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカー

 カール・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカー(Carl Friedrich Freiherr von Weizsäcker, 1912年6月28日 - 2007年4月28日)はドイツの物理学者、哲学者である。

 ナチス・ドイツの外務次官になったエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカーの息子で、戦後ドイツの大統領になったリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーの兄である。

 1929年から1933年まで、物理学、天文学、数学をベルリンやゲッティンゲン、ライプツィヒの各大学で、ハイゼンベルク、フント、ボーアらに学んだ。原子核の研究を行い、1935年にハンス・ベーテとは独立に原子核質量公式(ベーテ・ヴァイツゼッカーの公式)を発表した。

 1937年から1938年にかけて恒星のエネルギーの研究を行った。 第二次世界大戦中はカイザー・ヴィルヘルム研究所(のちのマックス・プランク研究所)の研究者でドイツの原子爆弾開発を行った。

 戦後はキリスト教の立場から平和運動を進める哲学者となった。1957年から1969年までハンブルク大学の哲学科で教授を務めた。 1963年ドイツ出版協会平和賞受賞。 2007年、バイエルン州シュタルンベルクにて死去。94歳だった。


参考 Wikipedia: https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンス・ベーテ


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