プラトン「ティマイオス」に記述された「アトランティス文明」

 未知の文明というと「超古代文明」などを思い出す。超古代文明は、有史以来の文明(四大文明など)が成立したとされる紀元前4000年頃より以前(先史時代)に存在したとされる、非常に高度な文明や不明な点が多い文明である。

 ムーやアトランティスなどの伝承や創作文学などを発端とするものが多い。これらの文明には、現代文明をしのぐ卓越した技術によって繁栄したが、自らの超技術に溺れて自滅したり、驚異的な天変地異によって消滅したというロマンチックな物語が付随し、様々な都市伝説や噂が広がり考古学でも議論が続くテーマでもある。

 ソクラテスの弟子プラトンの著書「ティマイオス」の冒頭で、ソクラテスが前日にソクラテスの家で開催した饗宴で語ったという「理想国家論」が要約されるが、その内容はプラトンの「国家」とほぼ対応している。そして、そのような理想国家がかつてアテナイに存在し、その敵対国家としてアトランティスの伝説が語られる。



 「古代ギリシャの女神アテナと同一視される女神ネイトが、古代エジプトの神官達の国家体制を建設してまだ8000年しか時間が経っていないが、アテナイの町はそれよりさらに1000年古い9000年前(紀元前9560年頃)に成立しており、女神アテナのもたらした法の下で複数の階層社会を形成し、支配層に優れた戦士階級が形成されていた。」

 「その頃ジブラルタル海峡の入り口の手前の外洋であるアトラスの海にリビアとアジアを合わせたよりも広い、アトランティスという1個の巨大な島が存在し、大洋を取り巻く彼方の大陸との往来も、彼方の大陸とアトランティス島との間に存在するその他の島々を介して可能であった。」

 「アトランティス島に成立した恐るべき国家は、ヘラクレスの境界内(地中海世界)を侵略し、エジプトよりも西のリビア全域と、テュレニア(イタリア半島西岸)に至るまでのヨーロッパを支配した。」

 「その中でギリシア人の諸都市国家はアテナイを総指揮として団結してアトランティスと戦い、既にアトランティスに支配された地域を開放し、エジプトを含めた諸国をアトランティスの脅威から未然に防いだ...」

 アトランティスは、大陸と呼べるほどの大きさを持った島と、そこに繁栄した王国であった。強大な軍事力を背景に世界の覇権を握ろうとしたものの、ゼウスの怒りに触れて海中に沈められたとされている。残念ながらアトランティス文明の物的証拠は発見されていないようだが、古代史のロマンを感じる存在である。 

 アマゾン「人類未踏の地」、過去に100万人居住の可能性

 しかし、それほど遠くない昔、未知なる文明が存在している証拠が今回発見された。それは、南米アマゾン流域のアマゾン文明である。

 南米アマゾン(Amazon)の密林、これまで無人地帯と考えられていた地域に最大100万の人々が居住していた可能性があるとした最新の考古学的研究結果が発表された。人々がここで暮らしていたのは、イタリアの探検家クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)が米大陸に到達する数百年前だという。

 英国とブラジルの研究チームは、主要河川から離れた熱帯雨林内に数百に及ぶ要塞化された集落が存在していたことを示す証拠を発見した。この地域は15世紀末に欧州人が到達するまで人類未踏の地とこれまで考えられていた。

 英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズ(Nature Communications)に発表された今回の研究は、ペルーとの国境に近いブラジルの別の地域で大規模な土構造物や要塞跡が発見されたことをきっかけに実施された。

 コロンブス到達以前のこの人の居住域は、約40万平方キロの範囲に広がっており、当時は50万~100万人が暮らしていた可能性もあると研究チームは考えている。

 人工衛星画像に部分的に基づく今回の調査では、年代が1250~1500年にさかのぼる81の考古学的遺跡と、遺跡内にある104の大規模な幾何学的土構造物が新たに発見された。

 そのうちの24遺跡の発掘調査では、焼き物の容器、刃部を磨いた石おの、肥料を施した土壌のサンプルや当時のごみだめの穴などが見つかっている。

 炭の残骸や発掘された容器などの分析から、アマゾン川南部の1800キロにわたる地域には、要塞化された集落に住む人々が1250年から1500年まで継続的に存在していたことが今回、明らかになった。

 アマゾンの広大な一帯はまだ考古学的調査が及んでいない状況にあるため、この研究は、古代の共同体が主要河川近くのはんらん原に必然的に依存して生活していたとする仮説に異を唱える結果となっている。


 儀礼的儀式の場か?

 以前、この地域には1000~1500の集落が存在していたが、その遺跡の3分の2ほどはまだ見つかっていないと研究チームは考えている。こうした遺跡は直径30メートルの人工的な溝で囲まれた囲い地(ジオグリフ、地上絵)から、くぼんだ道が周囲に放射状に広がる円形広場を取り囲む幅400メートルの構造物まで、大きさはさまざまだ。

 正方形や円形、六角形などの形状のものがあるこれらの謎めいた囲い地が何に使われていたかは依然として不明のままだ。

 「儀礼的儀式の一部に使用されていた可能性がある」と、研究チームは論文に記している。

 集落は調査対象の81の囲い地の近くまたは内部で発見されるケースが多かった。囲い地の土構造物はこの区域から樹木を除去することが可能な乾季の間に築かれた可能性が高いと、論文は推測している。

 また、一部の囲い地は網目状の渡り道を通じて相互に連結しており、長い年月をかけて精巧に構築されていた。過去の研究では、ブラジル西部アクレ(Acre)州で今回と同様の溝や地上絵が450か所発見されたが、遺物はほどんど見つかっていなかった。

 英エクセター大学(University of Exeter)のジョセ・イリアルテ(Jose Iriarte)教授は「アマゾンの歴史を再評価する必要がある」と指摘する。「間違いなく、これは大河の河岸近くにのみ存在する人の居住域ではなく、ここで暮らしていた人々は実際に地形を変えていた。今回調査した地域は少なくとも数万人規模の人口を有していた」( AFPBB News 3/28(水))


古代 かつてのアマゾンに大量の集落、従来説覆す

 スペインの侵略者たちに征服される前の南米では、遊牧民がささやかな集団を作り、アマゾン川の周辺に集まって暮らしていた。川から離れた広大な熱帯雨林は、太古から手つかずのままだった――。

 果たして、本当にそうだったのだろうか?

 最新の研究が示すのは、大きく異なる物語だ。アマゾン熱帯雨林にはたくさんの村や、儀式のために土を掘った溝があり、人口は従来の推定をはるかに超えていた...という説か発表された。

 ナショナル ジオグラフィック協会が資金の一部を援助したこの研究は、3月27日に学術誌「ネイチャーコミュニケーションズ」に発表された。この論文は、ヨーロッパ人到来以前のアマゾン熱帯雨林には人があまり住んでいなかった、という一般認識に異を唱えている。こうした認識は、大きな村落同士がつながりを持って存在していたという16世紀の記述などにもかかわらず、これまで根強く残ってきた。

 「多くの人々が、この地域は手つかずの楽園だというイメージを持っています」。英エクセター大学の考古学者で、今回のプロジェクトに携わったホナス・グレゴリオ・デ・ソウザ氏は話す。アマゾン川流域の大半は未調査で、密林に覆われている。そこで営まれていた生活をもっと解明したいと考古学者らが考えても、これまでは容易に入れない場所だった。

 そこで研究チームは今回、衛星画像を使うことにした。ブラジルのマットグロッソ州にある未調査の地域に着目し、ジオグリフ(地上絵)と呼ばれる、儀礼に使われたとみられる古い溝の跡を探し出そうと試みたのだ。


 推定1300のジオグリフと村落

 ジオグリフとみられる痕跡を座標上に表すと、チームは現地調査に赴いた。この地域は、現在、広大な土地が農地となっている。予想に違わず、実際に訪れた24カ所の1つ1つが考古学的な遺構だった。「すべてつじつまが合いました」と、デ・ソウザ氏は話す。「ジオグリフのあるところが特別な区域だとわかったのです」

 ある遺構を研究チームが詳しく調べたところ、陶磁器や木炭が出土。西暦1410年ごろに村があったらしいとわかった。

 チームは研究室に戻ると、得られた情報をもとにほかの遺構がありそうな場所を予測することにした。標高や土壌のpH値、降水量などを加味したコンピューターモデルを作成し、シミュレーションしたところ、「標高が高く、季節や気温の変化の大きな地域」にジオグリフが作られている可能性が高いことが判明した。

 同時に、ジオグリフの場所は川の近くに限らないということも示され、従来の想定を揺るがす結果となった。モデルによると、アマゾン南部の約40万平方キロの範囲に1300のジオグリフと村落が存在し、その3分の2が未発見だという。


 忽然と消えた?100万もの住人

 しかもコンピューターモデルは、予想よりはるかに高い人口密度をはじき出した。今回対象とした地域はアマゾン全体の7%にすぎないが、研究チームはそこに50万~100万人が暮らしていたと考えている。アマゾン全域で約200万人しか住んでいなかったという従来の推計とは、まるで違う数字だ。

 遺構がある場所の分布から考えると、西暦1200~1500年ごろ、防備を固めた高度な村落が東西約1800キロにわたって連なり、互いに結びつきながら繁栄していたとみられる。エクセター大学の考古学者で、論文の主著者であるホセ・イリアルテ氏はプレスリリースの中で、「アマゾンの歴史を見直す必要がある」と述べている。同氏はナショナル ジオグラフィックのエクスプローラーでもある。

 では、熱帯雨林で生活していた人々に何が起こったのだろうか。デ・ソウザ氏は、ヨーロッパ人が一帯を征服したことで、住民たちは死に絶えたと話す。病気と大量殺りくでいくつもの集落が丸ごと消え、ほかの人々も農業をすっかり放棄してしまった。「彼らは絶えず移動する生活を余儀なくされました」と、デ・ソウザ氏。残された痕跡は、消えてしまった文明のほとんどがまだ謎に包まれていることを物語っている。


 無視されてきた「アマゾン文明」

 アマゾン文明とは南米アマゾン川流域に存在したとされる文明圏。

 アマゾン川流域というと熱帯雨林地帯で、そこに住む人々は素朴な自然の民というイメージがあるが、少なくとも千数百年前までは低木草原地帯も多く存在しており、また16世紀のスペイン人の探検記録にも、巨大な現地人の集落が多数存在しているとの報告があり、また1720年の記録でも、「一日歩けば10-20の村を通り過ぎる」「道路はまっすぐで広く、きれいに管理されていて一枚の落ち葉さえ見当たらない」との報告もあるが、こうした古い報告は1970年代までなぜか無視されていた。

 現在では、ヨーロッパ人渡来以前に、都市を中心とする複合社会がアマゾン河流域に存在していたことが判明しており、アマゾン河口のマラジョ島、マナオス周辺、上流のアクレ州、モホス平原、マットグロッソ州シングー先住民保護区等の地域で、そうした社会の存在が確認されている。シングー地区では、13世紀ごろに、道路網で結ばれた多数の集落群が存在していた。ただ、アマゾン流域のこうした社会は、ヨーロッパ人渡来以前に既に衰退していたのは確かなようで、その衰退の原因は現在のところ不明である。

 ボリビアモホス平原付近においては、古代人は「ロマ」(スペイン語で丘の意味)と呼ばれる盛り土をした場所に居住し、各ロマを「テラプレン」と呼ばれる道路で繋いだネットワークを形成していた、とされる。ロマやテラプレンに関しては、実際上空写真からその痕跡を確認することができる。また、人造湖を作り灌漑用水を用いた農業を営んでいたとされ、今日でも2000以上の人造湖跡や農地跡が確認されている。実松克義によると、この地域の文明は紀元前1000年頃から発展したが、西暦1000年以降は衰退を始めていたと言う。


参考 National Geographic news: http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/032900140/


サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福
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河出書房新社
衝撃の古代アマゾン文明―第五の大河文明が世界史を書きかえる
クリエーター情報なし
講談社

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