神の創造領域「セントラルドグマ」

 現在では生物はすべて、DNAやRNAという設計図を持ち、自己と同じ体を複製し生命を次に伝えることが分かっている。これはセントラルドグマと呼ばれる。セントラルとは中心、ドグマとは宗教における教義のことであり、セントラルドグマは、「分子生物学の中心原理」または「生物学の中心教義」である。

 具体的には、DNAポリメラーゼによって複製されたDNAは、RNAポリメラーゼによって転写されてRNA(mRNA)が合成され、転写されたRNAはリボソームに結合して翻訳され、運搬RNA(tRNA)と結合してたんぱく質が合成されていく...という仕組みである。遺伝情報は「DNA→(転写)→mRNA→(翻訳)→タンパク質」の順に伝達されるのが、分子生物学の概念である。

 小さな細菌から大きなクジラまで生物という生物が同じ仕組みをもっている。セントラルドグマ(central dogma)は、まさに、神が造ったとしか思えない仕組みであり宗教的な意味を感じずにはおれない。



 しかし、このような仕組みも1959年までに、オズワルド・アベリー、フランシス・クリック、ジェームズ・ワトソンらの研究によって、遺伝情報を保持する分子はDNAであることが明らかとなっていたが、DNAがどのように複製し、DNAの情報がどのようにタンパク質に伝わり、またその過程でRNAがどのような役割を果たすのかは分かっていなかった。

 ニーレンバーグはアメリカ国立衛生研究所のハインリッヒ・マッシーとともにこの問題に答えようとした。彼らは、ウラシルのみで構成されたRNAを作り、このRNAを、DNA、RNA、リボソームほかタンパク質合成に必要な細胞装置を含んだ大腸菌の抽出液に加え、さらに余分なDNAを分解するDNA分解酵素と5%の放射標識アミノ酸、95%の通常のアミノ酸を加えた。

 すると、放射標識されたフェニルアラニンを含む抽出液で、得られたタンパク質に放射標識が見られた。この実験によって、遺伝暗号UUUはフェニルアラニンを意味することが明らかとなった。これはコドンの解読の第一歩であり、伝令RNAの役割を始めて示した実験である。

 ニーレンバーグはこの実験で大きな注目を集めた。数年後に彼らは同様の実験を行い、アデニンだけからなるAAAはリシン、シトシンだけからなるCCCはプロリン、グアニンだけからなるGGGは何もコードしないことを明らかにした。

 次のブレイクスルーは、ニーレンバーグの研究室の大学院生であるフィリップ・リーダーがもたらした。彼は運搬RNAの配列を決定する方法を考案したのである。この方法によりコドンの解読は一気に進み、50のコドンの解読が終了した。コラナの実験によりこれらの結果が検証され、遺伝暗号は完全に明らかとなった。


 ホリーは運搬RNA(tRNA)の単離を行い、酵母のアラニンtRNAの構造と配列を明らかにした。これは人類初のtRNAの配列決定だったが、この手法は、他のtRNAの構造決定にも応用された。ホリーの研究によって、共にノーベル賞を受賞するコラナが遺伝子配列を化学合成することに成功する。

 ニーレンバーグ、コラナ、ホリーらの活躍により、分子生物学のセントラルドグマのほぼ全容が解明することとなった。この成果に対し1968年ノーベル生理学・医学賞は贈られた。


 ロバート・W・ホリー Robert W. Holley

 ロバート・ウィリアム・ホリー(Robert William Holley, 1922年1月28日 - 1993年2月11日)は、アメリカ合衆国の生化学者で、アラニンの運搬RNAを介してDNAとタンパク質合成を結びつけた研究で、ハー・ゴビンド・コラナ、マーシャル・ニーレンバーグとともに1968年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 ホリーはイリノイ州のアーバナで生まれ、1938年にアーバナ高校を卒業した。その後イリノイ大学で化学を学び、1942年に卒業した。卒業後はコーネル大学の博士課程で有機化学の研究を行った。第二次世界大戦中の2年間をコーネル大学医学部のヴィンセント・デュ・ヴィニョーの下で過ごし、世界で初めてペニシリンの化学合成に成功した。ホリーは1947年に博士号を取得した。

 彼は卒業後もコーネル大学に残り、1948年に有機化学の助手に、1962年に教授になった。そして1955年から56年のサバティカルの後に、カリフォルニア工科大学のジェームズ・ボナーとともにRNAの研究を始めた。

 ホリーはまず運搬RNA(tRNA)を単離する実験から始め、その後アミノ酸のアラニンをタンパク質まで運ぶ働きを持つアラニンtRNAの配列と構造を決定する実験を行った。ホリーらは、2種類のリボヌクレアーゼを用いてtRNAを小片に分割することで構造を決定した。

 全体の構造は1964年に明らかとなり、伝令RNAからのタンパク質の合成を説明する重要な発見となった。またこれは、初めて配列が解読されたRNAともなった。ホリーはこの発見により1968年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。コラーナとニーレンバーグも、タンパク質合成の研究により、同年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 ホリーらの用いた方法を使って、その後残りのtRNAの構造も解明された。数年後、この方法は改良されて、微生物、植物、人間のウイルスにも使えるようになった。

 1968年、ホリーはカリフォルニア州ラホヤにあるソーク研究所のフェローとなった。

 ハー・ゴビンド・コラナ

 ハー・ゴビンド・コラナ(Har Gobind Khorana, 1922年1月9日 - 2011年11月9日)は、アメリカ合衆国の分子生物学者。インドのパンジャブ地方生まれ。遺伝暗号の翻訳とタンパク質合成の研究で、ロバート・W・ホリー、マーシャル・ニーレンバーグとともに1968年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 また同年マーシャル・ニーレンバーグと共にコロンビア大学よりルイザ・グロス・ホロウィッツ賞を受賞している。彼は1966年にアメリカ合衆国に帰化し、マサチューセッツ州ケンブリッジに住みマサチューセッツ工科大学にて晩年まで勤務した。

 コラナは、当時イギリス領インド帝国であったパキスタンの貧しい村で生まれた。父親はこの村の税務署員だった。彼は父親から家庭で教育を受け、後にムルタン高校に入学した。ラホールのパンジャブ大学で1943年に学士号、1945年に修士号を取得した。

 1945年にリバプール大学に移り、1948年に博士号を取得すると、1948年から1949年にかけてチューリッヒでポスドク研究を行った。続く2年間をケンブリッジで過ごし、タンパク質や核酸に研究の興味が移っていった。

 1952年からはブリティッシュコロンビア大学に通い、この年コラナはスイス出身のエスター・エリザベス・シブラーと結婚した。

 1953年5月4日には長女のジュリア・エリザベス、1954年10月18日には次女のエミリー・アン、1958年7月26日には長男のデイブ・ロイが生まれた。

 1960年にウィスコンシン大学マディソン校に移った。その後、彼はマサチューセッツ工科大学の教授となり、スクリプス研究所の理事となり、晩年まで務めた。

 2011年11月9日、アメリカ合衆国マサチューセッツ州で死去。89歳没。

 ノーベル賞

 2つの塩基が交互に繰り返したRNAは、2種類のアミノ酸を与える(UCUCUCU → UCU CUC UCU)。この事実と、ニーレンバーグとレダーの実験によって、UCUはセリンを、CUCはロイシンをコードしていることが分かった。

 また、3つの塩基が交互に繰り返したRNAは、3種類のアミノ酸を与える(UACUACUA → UAC UAC UAC, or ACU ACU ACU, or CUA CUA CUA)。

 UAG、UAA、UGAという配列を含む4つの塩基が交互に繰り返したRNAは、ジペプチドかトリペプチドしか与えない。このことからUAG、UAA、UGAはストップコドンであることが分かる。

 これらの実験結果によって、コラーナらは全ての生物に共通する遺伝暗号は塩基3文字ずつの言葉で書かれていることを明らかにした。この業績で、コラーナらは1968年12月12日にノーベル賞を受賞した。

 コラーナはまた、世界で最初にオリゴヌクレオチドを合成した人物でもあり、最初にDNAリガーゼを単離した人物でもある。これらの方法を用いた人工オリゴヌクレオチドは世界中の研究室でシークエンスやクローニングに使われている。コラーナの発明は自動化、商業化され、そのおかげで今では誰でも欲しい配列のオリゴヌクレオチドを様々な会社から買うことができる。

受賞歴

アルバート・ラスカー基礎医学研究賞(1968年) ルイザ・グロス・ホロウィッツ賞(1968) ノーベル生理学・医学賞(1968年) ガードナー国際賞(1980年) アメリカ国家科学賞(1987年)マーシャル・ニーレンバーグ

 マーシャル・ニーレンバーグ

 マーシャル・ウォーレン・ニーレンバーグ(Marshall Warren Nirenberg、1927年4月10日 -2010年1月15日 )は、アメリカ合衆国の生化学者、遺伝学者で、遺伝暗号の翻訳とタンパク質合成の研究で、ロバート・W・ホリー、ハー・ゴビンド・コラナとともに1968年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 1959年までに、オズワルド・アベリー、フランシス・クリック、ジェームズ・ワトソンらの研究によって、遺伝情報を保持する分子はDNAであることが明らかとなっていた。

 しかし、DNAがどのように複製し、DNAの情報がどのようにタンパク質に伝わり、またその過程でRNAがどのような役割を果たすのかは分かっていなかった。

 ニーレンバーグはアメリカ国立衛生研究所のハインリッヒ・マッシーとともにこの問題に答えようとした。彼らは、ウラシルのみで構成されたRNAを作り、このRNAを、DNA、RNA、リボソームほかタンパク質合成に必要な細胞装置を含んだ大腸菌の抽出液に加え、さらに余分なDNAを分解するDNA分解酵素と5%の放射標識アミノ酸、95%の通常のアミノ酸を加えた。

 すると、放射標識されたフェニルアラニンを含む抽出液で、得られたタンパク質に放射標識が見られた。この実験によって、遺伝暗号UUUはフェニルアラニンを意味することが明らかとなった。これはコドンの解読の第一歩であり、伝令RNAの役割を始めて示した実験である。

 ニーレンバーグはこの実験で大きな注目を集めた。数年後に彼らは同様の実験を行い、アデニンだけからなるAAAはリシン、シトシンだけからなるCCCはプロリン、グアニンだけからなるGGGは何もコードしないことを明らかにした。

 次のブレイクスルーは、ニーレンバーグの研究室の大学院生であるフィリップ・リーダーがもたらした。彼は運搬RNAの配列を決定する方法を考案したのである。この方法によりコドンの解読は一気に進み、50のコドンの解読が終了した。コラナの実験によりこれらの結果が検証され、遺伝暗号は完全に明らかとなった。

 ニーレンバーグは後に神経科学やホメオボックス遺伝子の研究を行った。

 ニーレンバーグは、ハリーとミネルバの子としてニューヨークで生まれた。彼は子供の頃にリウマチを患ったため、一家は亜熱帯性気候のフロリダ州オーランドに引っ越した。彼は生物学に興味を持ち、フロリダ大学で動物学を専攻し、1948年に学士号、1952年に修士号を取得した。彼は修士時代にはトビケラの生態学と毒性について研究した。そして1957年にミシガン大学で生化学の博士号を取得した。

 彼はアメリカ癌学会のフェローとして1957年にアメリカ国立衛生研究所で研究を始め、1960年にアメリカ国立衛生研究所所属の生化学者となった。

 1959年よりDNAからRNA、タンパク質に至るセントラルドグマの研究を始めた。ニーレンバーグの画期的な研究が認められ、彼は1962年に生化学・遺伝学部門の責任者となった。1961年にはブラジルのリオデジャネイロ出身の化学者であるペロラ・ザルツマンと結婚した。彼女は、2001年に他界した。2005年にコロンビア大学医科大学院教授(疫学)のMyrna M. Weissmanと再婚した。

 1964年にリンドン・ジョンソン大統領より国家栄誉賞を授与された。2001年にはアメリカ哲学会の会員に選ばれた。

受賞歴 アメリカ国家科学賞(1964年) ガードナー国際賞(1967年) ルイザ・グロス・ホロウィッツ賞(1968年)(コロンビア大学)アルバート・ラスカー基礎医学研究賞(1968年)フランクリン・メダル(1968年)ノーベル生理学・医学賞(1968年)

 

 ホリーはイリノイ大学からコーネル大学の博士課程に進む。コーネル大学では、1955年にノーベル化学賞を受賞する。ヴィンセント・デュヴィニョーの指導を受け、世界で初めてペニシリンの化学合成に成功している。

 ホリーは運搬RNA(tRNA)の単離を行い、酵母のアラニンtRNAの構造と配列を明らかにした。これは人類初のtRNAの配列決定だったが、この手法は、他のtRNAの構造決定にも応用された。ホリーの研究によって、共にノーベル賞を受賞するコラナが遺伝子配列を化学合成することに成功する。

 ニーレンバーグはフロリダ大学で動物学を学び、修士号を取得。その後ミシガン大学で生化学の博士号を取り、1957年からアメリカ国立衛生研究所で研究生活に入り、タンパク質合成の研究を始める。

 当時はDNA、RNAの存在はすでに知られていたが、まだ伝令RNA(mRNA)の存在は知られていなかった。RNAの機能についてもよく分かっておらず、世界中の学者がしのぎを削って研究していた。

 ニーレンバーグは実験によって、RNAがタンパク質合成の鋳型であるという仮説を証明した。さらに伝令RNAの塩基配列(コドン)の解読に新たな手法を確立し、コドンの解読を行った。

 コラナはイギリス領インドパンジャブ地方の寒村ライプール(現在パキスタン領)で生まれた。1966年にはアメリカ国籍を取得しているが、ノーベル生理学・医学賞では初めてのアジア系の受賞者になった。

 修士号までは現在のパキスタンにあるラホール大学で取得した。ラホール大学は1882年設立でパキスタン最古の大学で現在でも多くの人が学んでいる。その後1952年からはイギリスで研究生活を始め、1952年からはアメリカへ拠点を移す。

 コラナはニーレンバーグとは異なる手法ですべてのコドン(64種類)を解き明かした。コラナはさらにDNAリガーゼ(2本のDNAをつなぐ鎖)を世界で初めて単離、アーサーコーンバーグの強力を得て、世界初のオリゴヌクレオチド(短いDNA、RNA)を合成した業績もある。

 合成オリゴヌクレオチドは遺伝子工学や、タンパク質合成工学に不可欠なアイテムであり、コラナの研究のおかげで誰しもが簡単に入手できるようになった。彼の業績は一般には馴染みのないものだが人類にとっては大きな業績である。1970年、彼は後に遺伝子の合成にも成功し、遺伝子工学礎を築く。

 大まかなメカニズムは分かっているものの、タンパク質合成にはまだ解明されていないことが多い。合成ヌクレオチドの製造技術は発達し、安価に入手できるようになっている。これらの遺伝子技術が疾病の効果的な治療に有効であることが期待され、世界中で多くの研究が進められている。そして、この技術のタンパク質工学の発展への貢献も強調すべきであろう。

ニーレンバーグの研究によって遺伝情報の暗号解読が始まり、アミノ酸に対するヌクレオチドの解明された。しかし、ヌクレオチドの配列に対するアミノ酸の対応ははっきりしなかった。

 コラナは共同研究者たちと考え得る64通りのトリヌクレオチドを合成。この研究により暗号は完全に解読された。遺伝言語は直線的、連続的で三つのヌクレオチドが一つのアミノ酸を特定することを明らかにした。また伝令RNA(mRNA)の情報が読まれる方向を決定し、暗号は重複しないことがわかり、DNA、RNA、アミノ酸配列決定、タンパク質合成の明確な証拠となった。

 これらの業績に対して、1968年にノーベル生理学医学賞を受賞する。

その後、彼は完全に機能する遺伝子の合成に成功する。1970年までに77ヌクレオチドの長さを持つ、2本鎖の螺旋状DNAをつくりあげ、その3年後には126ヌクレオチドの長さのバクテリアの遺伝子を合成した。

 これらは2つとも機能しなかったが、研究を続け「プロモーター」や「ターミネーター」という遺伝子の開始と停止の機能を持つ、長い付加的なヌクレオチドを決定し、合成するようになった。完成したDNA鎖は、207ヌクレオチドの長さになった。これをバクテリアウイルスの突然変異株に挿入すると、ウイルスは成育した。コラナはこうして、作成した遺伝子を観察する手法も完成した。

ニーレンバーグは試験管内でのタンパク質の合成に成功遺伝情報解読への端緒を開いた。彼はDNAの中のアデニン、シトシン、グアニン、チミンの含窒有機塩基の組み合わせと、アミノ酸特定の関係に関心があった。それぞれのアミノ酸に対応するDNAのトリプレット(三つ組塩基)を決定する作業のために、単純な合成RNAポリマーを使用。この作業によって各アミノ酸に対応する仮のRNA暗号辞書をつくりあげた。彼はあるいくつかのアミノ酸は一つ以上のトリプレットに対応していること、どのアミノ酸も特定しないトリプレットがいくつか存在することを発見した。

この意味のないトリプレットは、遺伝子の翻訳単位の読みはじめと、読み終わりという重大な意味を表していた。こうして64のトリプレットの内、50が発見された。次にトリプレット内の暗号の配列を見出すために、一つのアミノ酸を14Cで標識し、その実験材料をリボゾームとそれに付着したtRNAとアミノ酸のみを回収するフィルターに通すことによって、可能なコドンのうち、60のものがハッキリした。1964年から1965年には、コラナとともに64のトリプレットを合成し、アミノ酸のコドンの配列を決定した。これらの成果に対して1968年ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 

アメリカの生化学者であるホリーは、第二次世界大戦中は大学院でペニシリンの研究に従事した。ニューヨーク州農業試験場ではまず、植物ホルモン、果実の揮発性成分、植物の窒素代謝、ペプチド合成に関する研究を行った。

コーネル大学では転移RNA(tRNA)の存在を示すいくつかの証拠を得、1958年にパン酵母からアラニン、チロシン、バリン、tRNAをそれぞれ単離することに成功。次に高度に精製されたアラニンtRNAを約1g調整し、約2年半かけて化学構造研究を行った。

分子を断片に分解し、断片の構造を決定し、分子に再構成する方法で、彼は共同研究者とともにアラニンtRNAのヌクレオチド配列を明らかにした。そして、天然の核酸構造を解明。遺伝情報の解読に寄与した。

1968年に遺伝情報の解読とタンパク質合成の役割に対してノーベル生理学医学賞が贈られた。

生体分子化学―基礎から応用まで (エキスパート応用化学テキストシリーズ)
クリエーター情報なし
講談社
生命化学のニューセントラルドグマ―テーラーメイド・バイオケミストリーのめざすもの (化学フロンティア)
クリエーター情報なし
化学同人

ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ   ←One Click please