ハンセン病を正しく理解しよう
ハンセン病とは、「らい菌」という細菌による感染力の弱い慢性の感染症である。主に皮膚や末梢神経がおかされる病気で、後遺症が残ることもあったため、偏見や差別の対象となった。1873(明治6)年に「らい菌」を発見したノルウェーのアルマウエル・ハンセン医師の名前をとり、現在は「ハンセン病」と呼ばれている。
「らい菌」が発見されてから、遺伝病という偏見が全くの誤解であったことが証明された。そして、1943(昭和18)年に米国で「プロミン」などの優れた治療薬が開発されてからは、不治の病から治る病気となった。
現在、私たちの日常生活のなかでは、ハンセン病に感染する可能性はない。また、全国のハンセン病療養所で働いていた職員で、ハンセン病になった人は一人もいない。
ハンセン病患者はどうして差別されたのだろうか?
それは、体一部が変形したりする外観の特徴などから、偏見や差別の対象にされた。そして1943年に治療薬が発見されるまで長い間、不治の病として恐れられてきたからである。
さらに、明治後期から昭和20年まで、患者を強制的に収容し、療養所から一生出られなくする「ハンセン病絶滅政策」が行われ、隔離の際、患者の家を消毒したり、警察や軍人が携わったりしたことから、ハンセン病は「こわい病気」という誤ったイメージが定着し、偏見や差別が一層助長された。
昭和21年にハンセン病の特効薬「プロミン」が登場し(沖縄でも昭和24年から使用されました)、その後有効な治療法が確立されましたが、平成8年に「らい予防法」が廃止されるまで、長い間、国による強制隔離政策は続けられた。
ハンセン病に意外な感染源
ところでハンセン病の感染源は何だろうか?
感染源は、菌を大量に排出するハンセン病患者(特に多菌型、LL型)である。だが、感染力は非常に低い。らい菌と接触する人の95%は自然免疫で感染・発症を防御できるためである。
感染時期は小児が多く、大人から大人への感染及び発病は極めて稀である。人獣共通感染症でも知られるが、自然動物ではヒト、霊長類(マンガベイモンキー)とココノオビアルマジロに感染した例がある。
このアルマジロという動物が、らい菌の保有者というのはどうしてだろうか?
今回、ブラジル西部のパラー州に生息するココノオビアルマジロの62%で、ハンセン病の原因菌である「らい菌」が確認された。
アルマジロは鶏肉のような味がするそうで、ブラジルではさほど珍しい食肉ではない。しかしこのほど、アルマジロを食べる習慣に警鐘を鳴らす研究結果が出た。アルマジロの肉はハンセン病を引き起こす可能性があるという。
食肉にハンセン病リスク、ブラジルのアルマジロ
「顧みられない熱帯病(neglected tropical disease)」の研究を扱う学術誌「PLOS Neglected Tropical Diseases」に6月28日付けで掲載された論文によると、ブラジル西部のパラー州で採取されたココノオビアルマジロ (Dasypus novemcinctus)の62%が、ハンセン病の原因菌であるらい菌(マイコバクテリウム・レプラ)を保有していることが明らかになった。
それだけではない。ココノオビアルマジロの肉をよく食べる人の血液中にらい菌の抗体が著しく多く、アルマジロの狩猟、世話、摂取との強い相関関係がうかがわれた。
特に問題なのが、ある地域で食べられているアルマジロのレバーのセビーチェ(生肉をタマネギとあえた料理)だ。らい菌は肝臓と脾臓に集中するからである。
研究チームは現地の住民146人を検査したところ、そのうちの92人でらい菌の抗体の濃度が高かった。この結果は、らい菌への曝露が広く起きていることを示している。
論文の上席著者である米コロラド州立大学の免疫学者ジョン・スペンサー氏によると、ブラジルのこの地域では、住民の約65%が少なくとも年に一度はアルマジロを食べているという。「これは多いと言えます。ロブスターを年に一度食べる米国人が65%もいるでしょうか?」(米国人の食生活に関する研究によると、その可能性は低そうだ)
人間とアルマジロの間を行き来するらい菌
科学者たちは1970年代から、アルマジロがらい菌の保菌動物になっているのではないかと疑っていた。それが確認されたのは、分子遺伝学が進歩した2011年のことで、米テキサス州やルイジアナ州で、人間とアルマジロのらい菌株が一致していることが明らかになった。これは、人間とアルマジロの間にらい菌の行き来があることの動かぬ証拠である。
米国南部に住む人々にとっては幸いなことに、同地域に生息するココノオビアルマジロのうち、らい菌を保持しているものは全体の5分の1程度だ。ところが、ブラジルのパラー州では、その割合は3倍も高い。
ココノオビアルマジロは高い確率で一卵性の四つ子を産むことで知られる。このブラジルのアルマジロの多くがらい菌を保持しているのはなぜなのか?スペンサー氏は、ブラジルはハンセン病患者が多いからではないかと言う。
米国では毎年約200件のハンセン病が報告されており、そのうち約25%がアルマジロと関連づけられている。一方、ブラジルでは毎年約2万5000件が記録されていて、スペンサー氏の研究によると、これでも過小評価されている可能性があるという。
アルマジロがらい菌の保菌動物であるのは事実だが、最初にアルマジロにらい菌をもたらしたのは人間だ。「植民者の船が、ヨーロッパのハンセン病をアメリカ大陸に運んできたのです」とスペンサー氏。
「鶏肉のような味」重要なタンパク源
アルマジロの肉などとんでもないと思われるかもしれない。だが、アルマジロの生息数が多く、ほかのタンパク源がほとんどない場所では、比較的よく食べられている。
米ネープルズ動物園が支援する「オオアルマジロ保全プロジェクト(Giant Armadillo Conservation Project)」の獣医師長ダニロ・クリュイバー氏によると、ココノオビアルマジロの肉は鶏肉のような味がするため、ポルトガル語では「タトゥ・ガリンハ(直訳するとニワトリアルマジロ)」とも呼ばれるという。
人気があるのはココノオビアルマジロだが、スベオアルマジロの仲間やアラゲアルマジロも食用とされることがある。ムツオビアルマジロも人気で、雑食性なので飼育しやすく、ブタのように肥育する人々もいるほどだ。
研究チームは、そうした人々がアルマジロの世話をしたり水で洗ったりして細菌感染のリスクを高めていると指摘する。これに対し、野生のアルマジロは人間に危険をもたらすものではなく、むしろ、昆虫を食べたりして生態系の中で重要な役割を果たしている。
オオアルマジロの生息数はずっと少なく、見つけるのは困難だが、ラブラドール・レトリバーほどの体重があるため、食料として狩猟の対象になっている。
「一匹捕まえれば、一家全員の腹を満たせます」とクリュイバー氏。
幸い、ココノオビアルマジロは国際自然保護連合(IUCN)から絶滅のおそれがない「低危険種(least concern)」と評価されている。しかし、すべてのアルマジロ種が同様に恵まれているわけではなく、オオアルマジロとミツオビアルマジロを含むブラジル原産の数種はIUCNのレッドリストに載っている。
大きな発見、小さなデータ
IUCNに加盟するアルマジロの専門家ジェームズ・ラフリー氏は、今回の論文は「米国以外の場所でも人間とアルマジロの間でらい菌の行き来が見られることを示している点で重要」だと評価する。
しかし、今回調べられたのは16匹のアルマジロと146人の人間だけなので、より幅広いサンプルを分析すると結果が変わってくる可能性があるとも指摘する。
これに対してスペンサー氏は、研究チームはブラジル政府から合計30匹のアルマジロのサンプル採取を許可されていたが、地元のハンターが面倒に巻き込まれるのではないかと警戒し、数人しか協力してくれなかったのだと打ち明ける。ブラジルでは野生生物の狩猟は違法とされているからだ。
「とはいえ、貧しい人々がタンパク質を摂取しようと思ったら、自分にとって必要なことをするわけですが」とスペンサー氏は言う。
ハンセン病とは何か?
ハンセン病(Hansen's disease, Leprosy)は、抗酸菌の一種であるらい菌 (Mycobacterium leprae) の皮膚のマクロファージ内寄生および末梢神経細胞内寄生によって引き起こされる感染症である。
病名は、1873年にらい菌を発見したノルウェーの医師、アルマウェル・ハンセンに由来する。かつての日本では「癩(らい)」、「癩病」、「らい病」とも呼ばれていたが、それらを差別的に感じる人も多く、歴史的な文脈以外での使用は避けられるのが一般的である。その理由は、「医療や病気への理解が乏しい時代に、その外見や感染への恐怖心などから、患者への過剰な差別が生じた時に使われた呼称である」ためで、それに関連する映画なども作成されている。
近年の日本国内の新規患者数は年間で0〜1人に抑制され、現在では稀な疾病となっているらい菌のヒト以外の自然感染例には、3種のサル(チンパンジー、カニクイザル、スーティーマンガベイ)とココノオビアルマジロがある。アルマジロは正常体温が30〜35°Cと低体温であり、らい菌に対し極めて高い感受性があるとされている。
1971年にらい菌に対する感受性があることが明らかになって以降、ココノオビアルマジロはハンセン病の研究に用いられてきたが、1976年、突然変異により胸腺を欠いて免疫機能不全に陥ったヌードマウスに感染・発症することが明らかになり、現在の研究は主に当該マウスで行われるようになった。
感染源
感染源は、菌を大量に排出するハンセン病患者(特に多菌型、LL型)である。ただし、ハンセン病治療薬の1つであるリファンピシンで治療されている患者は感染源にはならない。
昆虫、特に蝿にらい菌が感染して、ヒトにベクター感染することもあるため、昆虫も感染源になり得るという報告がある。ゴキブリによる結核菌の移動実験により証明されたという報告もあるが、否定的な意見も多い。
その他、ルイジアナ、アーカンソー、ミシシッピ、テキサスの低地のココノオビアルマジロかららい菌が検出されており、アルマジロから人間に感染するルートの検討や、自然界、特に川などに存在するらい菌が経鼻感染にて感染するルートの検討もある。
感染力は非常に低い。らい菌と接触する人の95%は自然免疫で感染・発症を防御できるためである。感染時期は小児が多く、大人から大人への感染及び発病は極めて稀である。人獣共通感染症でも知られるが、自然動物ではヒト、霊長類(マンガベイモンキー)とココノオビアルマジロ以外に感染した例はない。
症状は主に末梢神経障害と皮膚症状である。らい菌の至適温度は30〜33°Cであるため、温度の高い肝臓や脾臓、腎臓等の臓器に病変が生じても症状は見られない。 病状が進むと末梢神経障害に由来する変形や眼症状などの合併症状を生じる。しかし、早期診断・早期治療を適切に行えば、このような重篤な合併症状に至る例はほとんどない。
差別の由来
前述したように末梢神経障害と皮膚症状が重要である。ハンセン病に関しては、感染性の問題や差別・隔離の問題などが世界各地で起きている。日本でもらい予防法違憲国家賠償訴訟などの社会問題に発展した。その他日本での詳細については、日本のハンセン病問題に詳しく述べる。
現在は薬物治療が確立されたため、重度の病変が残ることはない。このような外見上の特徴も差別の原因となったと考えられる。ただし、日本における重症らい腫らい患者の特徴の一つはらい性脱毛で、この写真とは印象は異なる。
ハンセン病患者に対する差別には、いろいろな要因がある。
外見上の特徴から、日本では伝統的な穢れ思想を背景に持つ有史以来の宗教観に基づく、神仏により断罪された、あるいは前世の罪業の因果を受けた者の罹る病と誤認・誤解されていた(「天刑病」とも呼ばれた)。
「ハンセン病は、感染元がらい菌保有者との継続的かつ高頻度に渡る濃厚な接触が原因であるという特徴がある」ことから、幼児に対する性的虐待や近親相姦などを連想させ、誤解・偏見が助長された。
「非常に潜伏期が長いため感染症とは考えにくい」「政府自らが優生学政策を掲げた」ことから、「遺伝病」であるとの誤認・誤解が広まった。
鼻の軟骨炎のために鞍鼻(あんび)や鼻の欠損を生じるが、同じ症状を呈する梅毒と同じと信じられた時期があった。ハンセン病に罹患したダミアン神父もまた、女たらしなどという非難があったのは、梅毒とらい病が同じであると誤解されていたからである。
ハンセン病コロニー
歴史的にはハンセン病は治らない病気で視覚的な変形や身体障害が影響し伝染性の強いものであると誤認・解されていたため、ハンセン病患者は多くの社会から強制的に排除された。そのため一つの場所に救済を求めてハンセン病患者が自主的に集まったり、ハンセン病患者が強制的に1箇所に集められることによって、ハンセン病コロニーができた。
この中にはハンセン病療養所として治療のための施設が作られたところもある。多くのコロニーは社会から断絶した島や僻地にあることが多い。ハワイのモロカイ島やノルウェーの国立病院などの例がある。
日本でも明治後期から昭和20年まで、患者を強制的に収容し、療養所から一生出られなくする「ハンセン病絶滅政策」が行われ、隔離の際、患者の家を消毒したり、警察や軍人が携わったりしたことから、ハンセン病は「こわい病気」という誤ったイメージが定着し、偏見や差別が助長された。
昭和21年にハンセン病の特効薬「プロミン」が登場し(沖縄でも昭和24年から使用)、その後有効な治療法が確立されたが、平成8年に「らい予防法」が廃止されるまで、国による強制隔離政策は続けられた。
国の誤った隔離施策のもとで、療養所では退所も外出も許可されず、断種や堕胎が強要されるなどの人権侵害が行われていた。また、患者本人だけではなく、その家族も結婚や就職を拒否されるなど周囲から厳しい差別を受け、このため県外の療養所へ入所せざるを得なかった県出身者も多数いた。
「らい予防法」が廃止された現在、除々に解消されつつあるものの、社会には未だに偏見や差別があることから、療養所の外で暮らすことに不安を感じている人や、退所しても故郷に帰ることができず、過去の病歴も明らかにせず一般社会の中で生活をしている人もいる。療養所で亡くなった人の遺骨の多くが、今もなお故郷のお墓に入れないまま、各療養所の納骨堂に納められている。
沖縄県のハンセン病療養所
沖縄県内には、沖縄愛楽園(名護市)と宮古南静園(宮古島市)に2つの国立ハンセン病療養所がある。
平成29年5月1日現在、各療養所の入所者数は沖縄愛楽園が160名(平均年齢83.5歳)、宮古南静園が65名(平均年齢86.3歳)となっている。各療養所では、地域住民との交流の場として、夏祭りやゲートボール大会を開催したり、人権教育の場として入所者やボランティアによる園内ガイドツアーを行うなどし、地域に開かれた療養所を目指して活動している。
入所者の方々は、療養所を開放することで、ハンセン病について、人権について、私たちの心の中の問題として考える機会となってほしいと願っている。
平成8年4月1日に「らい予防法」は廃止になった。治る病気と分かってからも続いた隔離政策は、長い間、入所者や社会復帰者、その家族を苦しめ、いまだ根強い偏見と差別は解消していない。
社会に残る偏見と病気の後遺症である知覚障害・運動障害に加え、長い療養生活による精神的後遺症と高齢化のため、入所者は社会復帰に消極的になりがち。ハンセン病を正しく理解し、温かい心をもって、自然な交流に努められるよう、心からお願いしたい。
参考 National Geographic news:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/063000199/
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ハンセン病療養所を生きる―隔離壁を砦に |
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