幸福の原理「愛」「知」「反省」「発展」

 幸せがどんなものかは、人によって異なる。美味しいものを食べることに幸せを感じる人、お金を稼ぐことが楽しいという人、寝ているときが一番幸せという人など、いろいろあっていい。さらには、同じ人でも経験や時間とともに感じ方や考え方が移り変わっていく。

 何が真の幸せか、あまりに多様でこれという答えは簡単に見つかりそうもない。松下幸之助は、幸せというものは百人百様でいいのではないかと言っている。

 幸せの定義を人に決めてもらうとそこに競争が起きる。仮にお金持ちになることが幸せだとしたら、皆がこぞって金儲けに奔走することになる。いくら持っていたらお金持ちという規定はないから、際限なく人はお金を得ようと動き回ることになるだろう。さらに、世の中のお金の総量が決まっているとすると、誰かが大金持ちになれば一方で貧乏になる人が出てくる。格差が生まれてしまう。



 そうした社会では、人のお金を盗ってやろうという人も今よりもっと増えてくると考えられる。こうしたことはお金に限ったことではなく、地位や名誉にしても、プロのサッカー選手としてプレーすることであっても、同様の状況を招くことになる。

 結局、何か一つのことを幸せと決めるより、幸せに多様性があったほうが好ましいのではないか。とはいえ、どれでも何でも幸せというわけにはいかない。基本的に多様であるとしても、何かの法則があるはずだ。

 そこで「幸福の科学」では幸せの4つの条件を示している。第1は「愛」である。自分が幸せだと感じること、愛情を感じるものがあること。これは当たり前といえば当たり前のことかもしれない。

 しかし、自分はどう感じているのかを顧みず、世間や他人が幸せだということをそのまま鵜呑みにしている面が少なからずある。たとえば「いい学校に入ることが幸せ、大企業に勤めることが幸せ、お金持ちになることが幸せ。少なくともそれは幸せに近づいている」そうした世の中の風潮のため、何となく自分もその気になっているのではないだろうか。

 でも、自分で幸せだと思えないものは、どんなに他の人が幸せだと言ってもやはり幸せではない。傍から大金持ちだから幸せだろうと思われている人が、実のところ毎日が虚しく、孤独で不幸だと感じている場合もある。

 第2は「知」である。「知」は知恵の「知」。世間の人びともその幸せに賛意を表してくれるものにすることである。例えば、絵画を手に入れることで最高に幸せになれるとしても、他人から盗んでいいわけがない。盗まれた人はたまったものではないだろう。やはり手段が大切である。自分で素晴らしい絵画を描く努力をしたり、知恵と努力で一生懸命に働いて好きな絵画を購入したりするならば、何の問題もない。

 第3は「反省」である。いくら自分が幸せであったとしても、自己満足の幸せであっては空しい。それが他人にとっても役立つもの、喜んでもらえるものであるとさらに幸福感は増す。そのためには「反省」が必要である。それには他人に対する思いやりが大切だ。いつも自分のやり方で他人はどう受け取っているのか、他人の立場に立って自己を見つめなおすこと(メタ認知)が必要になる。その方法としてマインドフルネスが注目されている。

 第4は「発展」である。発展とは自分だけの幸せに留まらず、社会にプラスし周囲の人びとに幸せをもたらすこと。たしかに、自分が幸せと感じ、それが他人の迷惑にならなければそれでいいように思える。しかし、それではもう一つ足りない。

 たとえば、優秀な人物が仙人のように山にこもってしまったとする。本人は満足しているし、社会にも別に迷惑をかけているわけでもない。その人はそれでいいのかもしれない。しかし、皆が皆そのように山にひきこもってしまえば、この社会はどうなるだろう。人間同士が協力しあうこともなく、社会の進歩は止まってしまう。いや、人間がより便利に快適にというために生まれた社会すらなくなってしまう。

 だからこそ、もう一歩進んで、真の幸せは社会のために役立つことが好ましいというわけだ。以上、4つの条件がそろってこそ真の幸せではないか。これは多くの偉人が言っていることでもあるが「幸福の科学」で教わる基本的な教義「幸福の原理」である。


幸福な人の心の持ちようがわかった

 では人生、お金は幸せに関係はないのだろうか?やはりある程度の収入は必要であろう。

 しかし収入が多ければ、はたして幸福感は増すのか。収入にかかわらず幸せな人がいるとしたら、それはどういう人なのかという疑問は残る。今回この問題に、広島大学の杉浦義典(すぎうら よしのり)准教授らが取り組んだ。

 これまでの研究では、収入が多いほど人の幸福感は増す傾向にあるとされてきた。ただし、収入と幸福感の関係はあまり強いものではなく、この傾向にあてはまらない人たちもたくさんいることがわかっていた。

 もしかすると、この傾向にあてはまる人とあてはまらない人がいて、それを一緒にまとめて調査するから、収入と幸福感の間には弱い関係しかみつからないのではないか。そう考えた杉浦さんらは、800人の日本人を対象にインターネット調査を行った。調査の対象は20歳から60歳までの社会人で、男女は半々。年収のほか幸福感の強さに関係する要素などを質問し、回答のあった734人について分析した。

 そうしてわかったのは、年収の多少にかかわらず幸福感が高い人たちには、2通りのタイプがあることだ。まずひとつは「自分の体験を批判的にみない人」。自分の年収が低くても、年収が低いという現在の事実だけを客観的にとらえ「だからダメなんだ」「幸せになれない」と自分を批判しない傾向をもつ人たちだ。


 自分を批判しない人、今を大切にする人

 「価値のある人間になるには、他人よりもっと稼がなきゃダメだ」とは考えない人でもある。かりに「年収が低いから幸せになれない」という考えが心に浮かんでも、「ああ、いまそんな考えが浮かんだんだな」と客観的な事実だけを認め、真に受けないようにする。このような人は、他人と優劣の比較をすることなく、自分を大切にできるのだそうだ。

 もうひとつは「自分の体験を言葉で表現するのが得意な人」。これは、その場での自分の体験を丁寧にみつめる人だという。たとえば、スマホを片手に上の空で食事をするのではなく、料理の味や歯ごたえをじっくり感じ取ること。そうしたほうが、一般的にそこから得られる幸せが多いのだという。

 興味深いのは、この2通りの人たちの場合、年収の多少と幸福感の間に関係がみられないことに加え、年収が多いほど幸せを感じているグループより、全体的に幸福を強く感じていた点だ。この調査でみるかぎり、年収の多少で幸福感が左右される人たちは、そうでない人たちに比べて幸福感で追いつけない。


 マインドフルネスが高い人

 この「自分の体験を批判的にみない」「自分の体験を言葉で表現するのが得意」という特徴は、心理学でいう「マインドフルネス」と関係が深い。マインドフルネスとは、いま現在の自分の状態に意識を向け、それを良い悪いなどと評価せず、ありのままにみる心の状態だという。収入の多少に関係なく幸福感が強かった人は、このマインドフルネスの高い人だったことになる。

 人は、さまざまなことを考えて生活している。起きている時間の半分は、目の前のことと無関係な事柄について考えているという研究結果もあるそうだ。雑念だらけである。楽しかった夏休みを思い出せば幸せな気分になり、「この仕事をきちんとこなせるだろうか」と不安にかられることもあるだろう。雑念はどうしても心に浮かんでしまうが、できるだけそれで動揺しないよう、訓練でマインドフルネスを高めることはできると杉浦さんはいう。

 収入が多いほど幸せだという「常識」が、マインドフルネスにより常識でなくなる。いまの日本は、産業競争力を高めて国を富ませ、人々の給料を上げて幸せをつかもうとしているようにみえる。その成否はともかく、ほんとうにそれが幸せへの道なのか。今回の研究は、そう問いかけているようにも思える。


 マインドフルネスとは何か?

 マインドフルネス(mindfulness)は、今現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程であり、瞑想およびその他の訓練を通じて発達させることができる。マインドフルネスの語義として、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」といった説明がなされることもある。

 マインドフルネス(mindfulness)という用語は、パーリ語のサティ(sati)の翻訳であり、サティはいくつかの仏教の伝統における重要な要素である。仏教の教えにおいてマインドフルネスは、人を苦しみからの完全な解放や悟りと呼ばれるものへと徐々に導いていく自己認識や智慧を発達させることに役立っている。近年の西洋におけるマインドフルネスの流行は、概してジョン・カバット・ジンから始まったと考えられている。

 反すう(英語版)や心配は、うつ病や不安のような精神疾患を引き起こす一因となるが、マインドフルネスに基づく医学的な介入は、反すうや心配を減らすのに有効であると複数の研究が示している。

 1970年代以来の臨床心理学と精神医学は、様々な心理的な状態を経験している人々を助けるために、マインドフルネスに基づく多くの治療応用を開発してきた。例えばマインドフルネスの実践は、うつ病の症状を和らげることや、ストレスや心配を減らすことや、薬物依存への手当に用いられてきた。また、精神病の患者に対する多くの治療効果も示し、心の健康に関する問題を停めるための予防的な方策にもなっている。

 異なる患者カテゴリーと、健康な成人および子供における、マインドフルネスによる身体的健康と精神的健康の両面への効果を、複数の臨床研究が記録している。

 ジョン・カバット・ジンによるプログラムと、それに類似した方式のプログラムは、学校、刑務所、病院、退役軍人センターなどに広く採用されている。マインドフルネスのプログラムは、健康的な老化、体重管理、運動能力の向上、特別なニーズをもつ子供への支援、周産期への介入などへも適用されている。

 この分野での、より質の高い学術研究のために必要なことは、より多くの無作為化比較研究と、研究における方法論の詳細が提供されることと、より大きな標本数の使用である。


 マインドフルネス瞑想が雑念を解消する

 マインドフルネス瞑想は、今現在において起こっている物事に注意を向ける能力を発達させるプロセスを含んでいる。マインドフルネス瞑想をするためにデザインされた瞑想エクササイズが幾つかある。その一つは、背もたれがまっすぐな椅子に座るか、もしくは床やクッションの上に脚を組んで座り、目を閉じて、息が入ったり出たりする時の感覚に注意を向けるという方法である。その際に注意を向ける対象は、鼻孔の近くでの呼吸の感覚、もしくは腹部の動きのどちらかとする。

 この瞑想実践では、実践者は呼吸をコントロールしようとせず、自分の自然な呼吸のプロセスやリズムにただ気づいていることを試みる。これを行っている時、心が思考や連想へと流れていくことがよく起こる。それが起こった場合、実践者は、注意が散漫になっているということに受動的に気づき、偏った個人的な判断をせず受容的な仕方で、注意を呼吸へ戻す。

 マインドフルネスを発達させるその他の瞑想エクササイズとしては、身体の様々な場所に注意を向けて、その時に起こっている身体の感覚に気づくというボディスキャン瞑想がある。ヨーガにおいて動きや身体感覚に注意を向けることや、歩く瞑想(ウォーキング・メディテーション)をすることも、マインドフルネスを発達させる方法となる。

 今現在において起こっている音、感覚、思考、感情、動作などに注意を向けることもできる。この点で有名なエクササイズは、ジョン・カバット・ジンがマインドフルネスストレス低減法のプログラムで導入した、レーズンをマインドフルに味わうというものであり、そこではレーズンが注意深く味わわれ食されている。

 瞑想者は、1日に10分間ほどの短い時間で瞑想を始めるよう推奨される。定期的に実践するにつれて、呼吸に向けられた注意を保つことは容易になっていく。


参考 サイエンスポータル: https://scienceportal.jst.go.jp/news/newsflash_review/newsflash/2018/08/20180828_01.html


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