2018年ノーベル医学・生理学賞に本庶佑さん

 ことしのノーベル医学・生理学賞の受賞者に、免疫の働きを抑えるブレーキ役となる物質を発見し、がんに対して免疫が働くようにする新たな治療薬の開発などに貢献した京都大学特別教授の本庶佑(ほんじょ・たすく)さんが選ばれた。日本人がノーベル賞を受賞するのはアメリカ国籍を取得した人を含めて26人目で、医学・生理学賞では、おととしの大隅良典さんに続いて5人目となる。

 本庶さんはここ数年、ノーベル賞の時期に受賞候補者になっていた。2016年のノーベル生理学・医学賞は東京工業大学の大隅良典教授の「オートファジー」だったが、アメリカのトムソン・ロイターの予測で日本人研究者として挙げられた3人のうち、免疫の働きを抑える「PD-1」という物質を発見し、新しいがんの治療薬の開発に道を開いた人物として、本庶さんの名前があげられていた。

 2014年、新しいコンセプトの抗がん剤、小野薬品工業(本社・大阪市中央区)のニボルマブ(商品名オプジーボ®点滴静注)が登場、画期的な「がん免疫療法」として大きな期待を集めた。この創薬をけん引したのが、世界の免疫学研究を長年リードしてきた京都大学の本庶佑さんだ。



 2006年にがん免疫抑制抗原PD-1の抗体として、ニボルマブが米国食品医薬品局(FDA)により研究用新薬として認可され、同年から臨床試験が米国でスタート。2009年、米製薬大手、ブリストル・マイヤーズスクイブ社が、24億ドルでメダレックス杜を買収すると、薬の開発は加速された。


 本庶佑さんの来歴(2018年10月現在)

 本庶さんは京都市生まれの76歳。1942年、京都府京都市にて生まれた。医師で山口大学医学部教授を務めた父の仕事の都合により、山口県宇部市にて育った。山口県立宇部高等学校卒業後、1960年、京都大学医学部医学科に入学、1966年には京都大学医学部医学科卒業。

 大学生時代は、同期の中西重忠らと知り合う。また、かつて父の同僚であった柴谷篤弘の著書を読んで感銘を受け、柴谷に会いにいったこともあったという。父や柴谷らのアドバイスを受け、早石修の門下となる。1966年、京都大学医学部医学科を卒業し、京都大学医学部附属病院にてインターンに従事する。

 1967年、京都大学大学院医学研究科生理系専攻に進学した。博士課程では、早石の下にいた西塚泰美より指導を受けた。また、大学院在籍中に医師国家試験に合格している。1971年、京都大学大学院の医学研究科を修了した。京都大学医学部を卒業後、1971年(昭和46年)にはアメリカに渡り、カーネギー研究所や国立衛生研究所で免疫学の研究に当たる

 カーネギー研究所では発生学部門の客員研究員を兼任したり、アメリカ国立衛生研究所傘下の国立小児保健発達研究所にて分子遺伝学研究室の客員研究員を兼任したりするなど、アメリカ合衆国の研究機関の客員としても活動した。

 1974年には、東京大学医学部の助手を務めた。1975年に京都大学より医学博士号を取得している。そして大阪大学医学部の教授をへて1982年(昭和57年)からは京都大学の教授となり、医学部長などを務めたほか、現在は京都大学高等研究院の特別教授として副院長を務めた。

 本庶さんは免疫をつかさどる細胞にある「PD-1」という新たな物質を発見し、その後、体の中で免疫が働くのを抑えるブレーキの役割を果たしていることを突き止めた。

 この発見によって再び免疫が働くようにして、人の体が本来持っている免疫でがん細胞を攻撃させる新しいタイプの治療薬、「オプジーボ」という薬の開発につながった。

 この薬は、がんの免疫療法を医療として確立し、本庶さんは同じくがんの免疫療法で貢献したアメリカのジェームズ・アリソン博士とともに共同で受賞した。

 本庶さんは平成24年にドイツの権威ある「コッホ賞」を受賞し、よくとしには文化勲章を受章している。

 日本人がノーベル賞を受賞するのはアメリカ国籍を取得した人を含めて26人目で、医学・生理学賞では3年前の大村智さん、おととしの大隅良典さんに続き5人目となる。


 選考理由「新しいがん治療方法を発見」

 受賞理由として、選考にあたったスウェーデンのカロリンスカ研究所は「新しいがん治療の方法を発見したこと」を挙げている。カロリンスカ研究所は会見の中で「これまでがん治療の手段は、外科手術や放射線治療、抗がん剤があった。しかし本庶氏とアリソン氏は、がんそのものを対象とするのではなく、わたしたちの体に備わった免疫細胞を利用して、特定の腫瘍だけでなくあらゆるタイプの腫瘍の治療に応用できる新しい治療法を開発した。がんとの戦いに新しい道を切り開いた画期的な発見だ」と指摘。

 本庶佑さんとともにノーベル医学・生理学賞の受賞者に選ばれたアメリカのジェームズ・アリソン博士は、本庶さんと同様にヒトの免疫細胞を使った新たながんの治療法につながる研究成果が評価された。

 アリソン博士は、ヒトの免疫細胞の表面にある「CTLA-4」というたんぱく質が免疫細胞の活動を抑える、いわば「ブレーキ役」を担っていることを突き止め、このたんぱく質が働くとがんを攻撃する働きが弱まることを初めて発見した。

 「CTLA-4」は本庶さんが発見した「PD-1」と同様に、このたんぱく質が働かないようにすることで、免疫細胞に再びがんを攻撃させるようにする「免疫チェックポイント阻害剤」という新たな薬の開発につながり、2011年から皮膚がんの一種である「悪性黒色腫」の治療薬としてアメリカなどで広く使われるようになった。

 「免疫チェックポイント阻害剤」は手術や放射線など従来の治療法に続く新たながんの治療法として世界的に注目を集め、現在は他のがんでも開発が進んでいる。

 こうした業績が評価されアリソン博士は、2015年にはアメリカで最も権威のある医学賞とされる「ラスカー賞」を、去年はイスラエルの「ウルフ賞」を受賞している。

 ノーベル賞の選考委員会は「この治療法はがんの治療に革命を起こしがんをどのように克服するかという考え方を根本的に変えた」と評価している。

 ノーベル財団のホームページに掲載されたツイッターには、本庶佑さんが受賞の連絡を聞いた直後に京都大学の研究室のメンバーに囲まれて喜びを表現している様子が写真で公開されている。


 授賞時の研究室「感動した」

 3年前から本庶さんの研究室に所属している京都大学大学院医学研究科の茶本健司特定准教授は、受賞の連絡が来た際に同じ部屋にいた。

 茶本特定准教授は、当時の様子について「午後5時ごろ論文について議論していた際に電話がかかってきて、本庶先生が電話で話しているのを5人くらいで見守っていました。電話が終わって私たちが先生に『ノーベル賞ですか』と聞くと、先生は『うーん』と一言うなってから『ノーベル財団から電話があった』と言いました。30年ほど前から研究室にいる秘書さんが特に大喜びで先生と握手をしていて感動しました」と振り返った。

 そのうえで「免疫学の研究は最近は欧米にリードされているので、今回の受賞をきっかけに若い日本の研究者に関心を持ってほしい。本庶先生には、これを機会にますますサイエンス全体をけん引してほしいです」と話していた。

 妻 滋子さん「うれしい驚き」

 ノーベル医学・生理学賞の受賞が決まった京都大学特別教授、本庶佑さんの妻、滋子さんは「ニュースより早く、主人から、『受賞の電話を受けた』という電話をもらい、『おめでとうございます』と話した。けさは朝食を食べながら、『発表はきょうだね』と話していたが、同じようなことが数年続き、現実になるとは予想してなかったので、うれしい驚きでした」と話した。

 そして本庶さんの性格について、感情をあまり表に出さず、常に冷静で強い意志で中途半端にやめない、必ず何かを突き詰める行動力のある人だとしたうえで、「研究熱心だけれど、最近ではストレス発散に毎週ゴルフをしていて、家ではゴルフのテレビ番組を見て、時間があれば欠かさずパターの練習をしています」と話していた。


 オプジーボ開発 成功までの20年間に多くの壁

 ノーベル医学・生理学賞の受賞が決まった本庶佑さんの研究室に6年間在籍していた日本医科大学大学院の岩井佳子教授は成功までの20年間に多くの壁があったと話している。

 岩井教授によりますと、今回の受賞の理由になった免疫のブレーキ役となる物質の「PD-1」を発見した当初、その機能はわからず、研究室の40人余りのメンバーのほとんどは別の研究テーマを行っていた。

 ただ、本庶さんは「何か必ず機能があるはずだ」として研究を継続し、「PD-1」が免疫の働きを抑えるブレーキ役を担っていることを突き止める。

 そうした中で、当時、大学院生だった岩井さんは「PD-1」が何か、がんに対して役割を持っているのではないかとする研究結果を見いだした。当時は本庶さんと直接面談する機会が多くなく、この研究結果を手紙にして教授室のポストに入れると「おめでとう」と書かれた手紙が返ってきたという。

 岩井さんはさらに「PD-1」を抑えてマウスの肝臓にあったがん細胞の増殖を止めることに成功する。こうした研究を通して、本庶さんは「必ずがんの治療薬になる」と確信したという。

 しかし、実用化には大きな壁が立ちはだかる。当時は免疫を使ってがんを治療するという考え方は下火になっていて、国内の製薬企業は開発に二の足を踏んでいた。それでも本庶さんは決して諦めることなく海外の企業にも相談するなど常に次の手を考えて行動し、最終的に「オプジーボ」を製造・販売することになる小野薬品工業との研究開発にこぎつけた。

 岩井さんは本庶さんが大切にしてきた「好奇心、勇気、挑戦、確信、集中、継続」をそれぞれ英語で表したときの頭文字をとって「6つのC」が大切だという教えを今でも教授室に掲げている。そして、「本庶先生は、誰もその研究の価値がわからない時に自分だけが気が付くことが重要だと常々話していました。他の人にはない強い信念を持った研究者だからこそ、薬の実用化につながったのだと思います」と話していた。


参考 NHK news:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181001/k10011653631000.html


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実験医学 2018年6月 Vol.36 No.9 がんは免疫系をいかに抑制するのか〜免疫チェックポイント阻害剤の真の標的を求めて
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