2016年のノーベル生理学医学賞

 10月初旬、ようやく暑さも一区切り秋の雰囲気を感じる時期、今年もノーベル賞の季節がやってきた。昨年、本庶佑氏が免疫反応にブレーキをかけるタンパク質を見つけ、画期的ながん治療薬の開発に道を開いた業績で受賞したが、2年連続の同賞日本人受賞はどうだろうか? 

 スウェーデンのカロリンスカ研究所は10月7日(日本時間18:00ごろ)、2019年のノーベル医学生理学賞を、細胞が酸素不足の環境でも応答する仕組みを解明した米国と英国の3人の研究者に授与する、と発表した。授賞理由は「細胞の低酸素応答の仕組みの発見」。

ノーベル医学生理学賞に選ばれたのは、米国ジョンズホプキンズ大学のグレッグ・セメンザ氏、英国オックスフォード大学のピーター・ラトクリフ氏、米国ハーバード大学のウィリアム・ケーリン氏。 授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、賞金900万スウェーデン・クローナ(約9700万円)が3氏に贈られる。

 低酸素応答とは、酸素濃度が低い環境下でも細胞が恒常的に働く機構のこと。3人は、低酸素状態になると体内で「HIF」と呼ばれる特別なタンパク質が大量に作られ、酸素を取り込んでその状態に適応することなどを解明した。

 低酸素応答は、がんや虚血性の疾患、免疫疾患などの病気でも見られ、こうした病気と密接に関係している。これは生命活動の基本で、今回これらの病気の研究や治療法に道を開いたことが評価された。 セメンザ氏は科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業(ERATO)で、末松誠慶応大学客員教授(現・日本医療研究開発機構理事長)と共同で2009~2014年、新たな代謝システムを探索する国際プロジェクトの研究総括を務めた。

 低酸素応答でつくられる「HIF」タンパク質

 3人はヒトや動物が高山など、酸素の濃度が低く呼吸しづらい環境に長くいると体が慣れてくる適応現象について調べた。その結果、低酸素の状況になると、体内で「HIF」という特別なたんぱく質が大量に作られ、酸素を取り込んで適応しようとすることなどを突き止めた。

 一方、このたんぱく質はがんなどのなかなか酸素を取り込めない細胞の塊に対しても、低酸素状況で生き残るよう手助けして悪化させてしまうことなども分かった。そのため、このたんぱく質が作られるのを制御できれば、新たな治療法の開発につながるのではないかと期待されている。

 「腎臓病由来の貧血治療」と「がん抑制」

 東京医科歯科大学の難治疾患研究所で低酸素生物学について研究している中山恒准教授は、今回のノーベル医学・生理学賞の受賞について注目する点が2点あると話した。

 中山准教授は、最近の研究で「HIF」いう特別なタンパク質を増やしたり減らしたりすることで病気に対して異なるアプローチができると分かってきたとしたうえで、「まず、腎臓病に由来する貧血では血液中のホルモンの一種、エリスロポエチンが赤血球を作るが、HIFを増やすことによってこのホルモンが増え、貧血を治すよう働きかけてくれることが分かっている」という。

 さらに、がんを抑制する効果も期待されているということで「HIFは、がんなどのなかなか酸素を取り込めない細胞の塊に対しても、低酸素状況で生き残るようにしたり、他の組織にがんが転移する手助けをしてしまったりするが、HIFを減らせばがんを抑制することが期待できる」と話した。

 腎臓病に伴う貧血の治療薬開発進む

 ことしのノーベル医学・生理学賞の受賞対象となった研究を基に、日本国内でも慢性の腎臓病に伴う貧血の治療薬の開発が進められている。慢性の腎臓病患者のうち20%程度の人は酸素が体じゅうに行き届かなくなって貧血を併発するとされる。

 通常の場合、低酸素の状態になると、今回の受賞者たちが研究対象としてきた「HIF」というたんぱく質が体内で酸素を運ぶ役割を果たす赤血球を多く作るよう促しますが、別の酵素がHIFを分解して働きを妨害すると、貧血状態が続くと考えられている。

 製薬会社「アステラス」などは、HIFの働きを妨害する別の酵素の活動を抑えることで、貧血を防ぐ治療薬の開発を進めてきた。この薬は透析治療を継続的に受けている患者を対象に効果や安全性を確かめる臨床試験が終わり、国の承認も出され、現在、販売に向けた準備が進められている。

 低酸素応答のしくみ

 身体が低酸素状態になると腎臓がエリスロポエチンというホルモンを分泌して赤血球を増やし,酸素の運搬能力を上げようとする。セメンザ教授はこの反応を制御する分子を探索し,肝細胞を用いた実験で,低酸素状態のときにエリスロポエチン遺伝子を活性化するタンパク質を発見。HIF-1(低酸素誘導因子,hypoxia-inducible factor 1)と名付けた。

 1995年にHIF-1の遺伝子を同定し,HIF-1αとARNTという2つの転写因子の複合タンパク質であることをつきとめ,これが低酸素感知機構を解明する出発点となった。

 その後の研究で,環境中に酸素が十分にあるときは,細胞内にHIF-1αがほとんどないことがわかった。HIF-1αにはユビキチンという「標識」がついており,これを目印に働くプロテアソームという細胞内の酵素によって分解される。

 一方,酸素が少ない環境ではHIF-1αにユビキチンが付かず,分解されないため増えていく。だが,細胞がどうやって周囲の酸素環境を感知しているのかは謎のままだった。

 この疑問に答えを出したのが,がんの研究者であるケーリン教授と,泌尿器科医のラトクリフ教授だ。ケーリン教授は,がんが多発する遺伝性疾患フォン・ヒッペル・リンドウ病の患者ではVHLというがん抑制遺伝子に変異があることをつきとめた。

 さらにVHLが欠損したがん細胞では,低酸素応答に関連する遺伝子が異常に強く発現することを見いだした。

 一方,ラトクリフ教授は,このVHLとHIF-1αの相互作用が,HIF-1αの分解に必須であることを示した。両教授は2001年にそれぞれ,酸素がある環境下ではHIF-1αがプロリン水酸化酵素によって水酸化され,それによってVHLがHIF-1αに結合し,ユビキチンが付いてHIF-1αの分解に至るという一連のプロセスの全体を明らかにした。

 研究の過程で,HIF-1αには多様な作用があることがわかった。赤血球を増やして酸素の運搬能力を高めるだけでなく,がんの血管新生や浸潤を促進するなどの望ましくない作用もある。近年,免疫に関与していることも明らかになり,「研究がさらに盛り上がっている」と,セメンザ教授の研究室でHIF-1の研究に携わっていた関西医科大学の広田喜一特命教授は話す。

 今年9月には,プロリン水酸化酵素を阻害してHIF-1αを活性化し,腎性貧血を治療する薬も承認された。「人間に必須の酸素を感知して応答するという非常にファンダメンタルな機能にかかわる仕組みが,極めて幅広い役割を果たしていることがわかった。HIFに関する論文は年間1700本ほど出ており,必ずノーベル賞が出るだろうと思っていた」と広田教授は話している。(引用 日経サイエンス:古田彩)

参考 日経サイエンス: http://www.nikkei-science.com/?p=59820

  

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