構造異性体と立体異性体

 化学反応、特に有機化合物の反応においてその反応に係わる因子として、化合物の構造が大きな部分を占めている。化合物の構造については異性体といって、化学的組成は全く同じだが結合の仕方や立体構造が異なると、まったく物性が違う分子になる。最近ではトランス脂肪酸が、シス脂肪酸に比べて健康に影響があることが話題になっている。

 また、サリドマイドという鎮静・催眠薬が、服用した妊婦から身体に障がいのある子どもが生まれたという薬害で有名になった。サリドマイドには、立体化学的にR体とS体の鏡像異性体が存在する。R体は鎮静・催眠作用があり、S体には催奇形性を生じさせる作用がある。サリドマイドが開発された当初はこの2つの鏡像異性体を分離することが難しく、完全に分離されることなく2つが混じった状態で販売されたため、不幸な薬害が起こってしまった。

 化合物の構造についてはX線回析法が多く用いられていた。ノールウェーの物理化学者ハッセルも当初、X線回析法を用いてルイス酸-塩基結合型ウェルナー錯体の構造解析をしていたが、有機化合物の構造解析に転じ、オスロ大学の教授になった1930年ごろからX線及び電子線回析を用いてシクロヘキサンなどの立体構造解析を行い、1943年には気体電子線回析法を用いて電気双極子モーメントと電子散乱の研究から、シクロヘキサンの構造異性体である椅子型と舟型を特定した論文を発表した。ただ、この発表はノルウェーの科学雑誌に投稿されたため、世界の注目を受けることはなかった。

 一方バートンは、1950年ハーバード大学在学中にハッセルの構造解析法に着目し、有機分子のうちセスキテルペンおよびステロイドの物性に伴う反応性の解析を発表、脂環式化合物の立体配座解析法の基礎を確立した。バートンは他にアルカロイド類の全合成を行い、化合物の官能基の構造が反応性に及ぼす効果を指摘した。

 立体配置と立体配座

 立体異性体(りったいいせいたい、stereoisomer)は異性体の一種であり、同じ構造異性体同士で、3次元空間内ではどう移動しても重ね合わせることができない分子をいう。立体異性が生じる原因には立体配置の違いと立体配座の違いがある。 

 構造異性体同士の化学的性質が大きく異なることは珍しくないが、立体異性体同士の化学的性質はよく似ていながらもわずかに異なるので、立体異性体の性質を研究する立体化学は化学において重要である。

 異性体特に立体異性体が重要になる化合物は、多数の原子の共有結合でできた分子からなる化合物(ほとんどの有機化合物がそうである)および複数種類の配位子を持つ錯体である。

 立体配座(りったいはいざ、Conformation)とは、単結合についての回転や孤立電子対を持つ原子についての立体反転によって相互に変換可能な空間的な原子の配置のことである。

 二重結合についての回転や不斉炭素についての立体反転のように通常の条件では相互に変換不可能な空間的な原子の配置は立体配置という。 

 立体配座は結合の回転に起因する自由度により、その取りうる状態の数が規定される。したがって、取りうる立体配座の数は低分子から高分子へと分子を構成する単結合が増えるにつれて爆発的に増大する。

 生体分子(タンパク質、核酸、脂質、糖etc.)は各結合の立体配座が変化することで立体構造を大きく変化させる。言い換えると、高分子の各結合の立体配座の総体が高分子の立体構造を規定する。

 それゆえコンフォメーション変化により高分子の取りうる立体構造の特定の一つもコンフォメーションと言い表される。特にタンパク質の場合にこの用語が使用されることが多い。

 しかしながら、立体構造が重要であるような生体分子の場合には広く適用されている。また、特殊な状態(液相、温度、pHなどの変化)をのぞけば自発的に構造が決定される。また、特定のコンフォメーションを取ることが、タンパク質や核酸の生物学的作用発現に必須でもある。

 立体配座が異なるだけの2つの分子の関係は配座異性体(はいざいせいたい)あるいはコンフォーマー (conformer) という。 非常に低温にしたり、立体的に大きな置換基を導入することで、回転や立体反転に要する活性化エネルギーが分子の持つ熱運動のエネルギーを上回るようにすると、配座異性体間の相互変換が不可能になりそれぞれの配座異性体が単離できるようになる。 

 デレック・バートン

 デレック・バートン  Derek Harold Richard Barton 1918年9月8日 イギリス ケント 死没 1998年3月16日(79歳)ノーベル賞受賞者 受賞年:1969年 受賞部門:ノーベル化学賞 受賞理由:分子の立体配座概念の確立

 サー・デレック・ハロルド・リチャード・バートン(Sir Derek Harold Richard Barton、1918年9月8日-1998年3月16日)はイギリスの化学者。立体化学を開拓した人物として著名。

 彼は1969年、オッド・ハッセルと共に研究「立体配座の概念の発展と化学への適用」の功績でノーベル化学賞を授与された。

 イギリスのグレーブゼンドに生まれた。1938年にロンドン大学のインペリアル・カレッジに入学し、1940年に学士修得。1942年には有機化学分野でPh.D.(博士相当)の学位を修めた。同年から1944年まで政府所属の化学者として働き、1945年まではバーミンガムでアルブライト・アンド・ウィルソン社に勤務しつつ大学の助教授も務めた。

 1946〜1949年はインペリアル・ケミカル社に勤務。1949年からハーバード大学で1年間天然物化学の客員講師を経て有機化学部長に就任。1953年からはバーベック・カレッジ、ロンドン大学の教授、1955年からはグラスゴー大学で有機化学の欽定教授、1957年からはインペリアル・カレッジの教授を歴任した。

 また、王立協会会員には1954年、エディンバラ王立協会(Royal Society of Edinburgh)会員には1956年に選ばれている。 1958年からは活動の拠点をアメリカに移し、マサチューセッツ工科大学の客員教授に就任。同年ケンブリッジにRIMAC研究所(Research Institute of Medicine and Chemistry)を設立し、活性コレカルシフェロールの合成、三級炭素(Tertiary carbon)やステロイド類のフッ素化などを研究した。

 これらの研究の中には危険を伴うものもあり、爆発が起こっても累が及ばないよう屋上に設けられた小屋で実験されたものもある。1959年にはイリノイ州とウィスコンシン州の大学の客員講師となった。1965年、彼は科学政策会議の議員ともなっている。

 1972年、イギリス政府からナイト爵を授かったが、国際的に活動する彼を「サー・デレック」と呼ぶのはイギリス人くらいだった。1978年にはフランスに渡り、ジブシュールイベット天然物化学研究所の所長に就任した。1986年からはふたたびアメリカでテキサスA&M大学で特別名誉教授(Distinguished Professor)となった。1991年3月22日、中国科学院より名誉博士号を授与された。

 その7年後、彼は世を去った。生涯3度結婚したが、子供を授かったのは最初の妻との間だけだった。

 オッド・ハッセル 

 ノーベル賞受賞者 受賞年:1969年 受賞部門:ノーベル化学賞 受賞理由:分子の立体配座概念の確立

 オッド・ハッセル(Odd Hassel, 1897年5月17日 - 1981年5月11日)はノルウェーの物理化学者である。1969年、デレック・バートンとともに、「立体配座の概念の発展と化学への適用」の功績でノーベル化学賞を受賞した。

 オスロに医者の息子に生まれた。オスロ大学で数学、物理、化学を学んだ後、ドイツのミュンヘン大学のKasimir Fajansのもとで学び、ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所で働き1924年ベルリン大学から学位をえた。

 ノルウェーに戻りオスロ大学で物理化学のさまざまな分野で働いた。最初無機化学を研究したが1930年からは分子構造、特にシクロヘキサンの構造解析に取り組んだ。

 第2次世界大戦中は反ナチ運動を行い、刑務所に入れられたが1944年11月に解放された。 1950年代の初めは、電荷移動化合物の研究を行い、それらの化合物の構造の解明を行った。

参考 Wikipedia: https://ja.wikipedia.org/wiki/デレック・バートン https://ja.wikipedia.org/wiki/オッド・ハッセル

  

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