1973年ノーベル化学賞の受賞理由

 ノーベル科学賞の受賞理由は、一般の人にはわかりにくいものが多い。科学に関心がある専門家でもわからないものがあるのではないか。1973年のノーベル化学賞もそうだ。

 1973年のノーベル化学賞の受賞理由は「サンドイッチ構造を持つ有機金属化学(遷移金属化合物)の先駆的研究」である。この受賞理由にはどんな意図が隠されているのだろうか?

 有機金属化学とは金属原子を含んだ有機化合物(ヘモグロビン・葉緑素もその一つ)のはたらきを調べたり利用したりする科学分野。遷移金属とは鉄、マンガン、ニッケルなどのように複数の電子価を持つ金属元素。

 有機金属化合物や遷移元素には触媒の役割をするものが多い。有機金属触媒には金属カルボニルやパラジウム触媒がある。パラジウム触媒の研究では、2010年のノーベル化学賞の北海道大学鈴木章教授、パデュー大学根岸栄一教授らがいる。

 そして、1973年注目された有機金属化合物が「フェロセン」。その構造は、遷移金属元素である「鉄」原子を、有機化合物である「フェノール」分子2つが挟んだサンドイッチ構造を持っている。オレンジ色の特徴のある新しい有機金属化合物を発明した業績についてノーベル化学賞が贈られた。少しづつ解説していきたい。

 遷移金属元素とは何か?

 最初に遷移金属という言葉が使われるようになったのは19世紀お後半であり、当時は8族から10族に属する金属を指していた。これらの元素は同じ周期であれば互いに性質が似通っている。

 元素は大きく分類すると典型元素と遷移元素に分けられる。周期表は、1族から18族まである。1、2族と12〜18族の元素を典型元素といい、間の3族〜11族までの第4周期以降の元素を遷移元素という。

 典型元素の電子配置は原子番号が増加すると最外殻へ電子が配置されるので、価電子が1つずつ増える。そのため周期表の縦列同族では性質が似ている。例えば、周期表で縦に並んだF,Cl,Br,I などはハロゲンは性質が似ているのはご存じの通りである。

 遷移元素では原子番号が増加しても、最外殻に電子が配置されるのではなく、まだ空いている内側の電子殻に電子が配置され、価電子は1個2個のままでいる方が安定する。そのため周期表で横にならんんだ元素どうし、同周期元素の性質が似ている。

 典型元素は、同族どうしで性質が似ている。典型元素は同周期どうしで性質が似ている…という特徴がある。

 遷移元素の特徴としては、すべて金属であるということ、同じ元素でも複数の酸化数をとるものが多い。例えばMn(マンガン)は、+2,+7,+4の酸化数を取る。

 また、安定な錯イオンをつくりやすく、有色のイオンや化合物を持つものが多い。単体、化合物ともに触媒として働くものが多い。これは電子殻の起動が満たされていないものが多く、いろいろな物質と共有結合をつくりやすく、これが触媒として働くからである。

 フェロセンとは何か?

 フェロセン (ferrocene) は、化学式が Fe(C5H5)2 で表される鉄のシクロペンタジエニル錯体である。水には不溶である。可燃性であり、人体への刺激性が強いので取り扱いには注意を要する。鉄(II)イオンにシクロペンタジエニルアニオンが上下2個配位結合している。このように上下から中央の原子を挟んだ形状の化合物は、サンドイッチ化合物と呼ばれている。

 フェロセンは極めて安定な酸化還元特性を示すため、Fe(III)/Fe(II) の酸化還元電位はサイクリック・ボルタンメトリー測定の際に基準として用いられる。

 フェロセンは偶然の中から発見された化合物である。1951年に、デュケイン大学の Pauson と Kealy が酸化的カップリングによるフルバレンの合成を目的として臭化シクロペンタジエニルマグネシウムと酸化鉄(III)を反応させたところ、「非常に安定な薄オレンジ色の粉末」が得られることを報告した。

 この安定性はシクロペンタジエニルの負電荷が主な原因であったが、発見当時は η5 のサンドイッチ構造を取っているとの認識はなされていなかった。

 1952年、ロバート・バーンズ・ウッドワードとジェフリー・ウィルキンソンはフェロセンの反応性を検証することで、構造を推定した。同じく1952年にはエルンスト・オットー・フィッシャーがこの2者とは独立に、フェロセンがサンドイッチ構造であると推定すると共に他のメタロセンの合成に着手した。最終的にはNMRスペクトル解析とX線結晶構造解析によりフェロセンの構造が決定された。

 この独特なサンドイッチ構造はdブロック元素と炭化水素とが形成する錯体として非常に面白い研究対象であり、フェロセンの発見は有機金属化学のさきがけとなった。

 ミュンヘン大学のエルンスト・オットー・フィッシャーと、インペリアル・カレッジ・ロンドンのジェフリー・ウィルキンソンは有機金属化学に対する貢献が認められ、1973年にノーベル化学賞を共同受賞した。

 シクロペンタジエニルナトリウムと無水塩化鉄(II)をエーテル系の溶媒中で反応させることで、より効率的にフェロセンが得られることが判明している。

 エルンスト・オットー・フィッシャー

 エルンスト・オットー・フィッシャー(1918年11月10日 - 2007年7月23日)はドイツの化学者。1973年のノーベル化学賞受賞者である。受賞理由は「サンドイッチ構造を持つ有機金属化合物の研究」

 ミュンヘンに近いバイエルン州ゾルン (Solln) に生まれる。父はミュンヘン工科大学の物理学教授カール・フィッシャー (Karl T. Fischer)、母はヴァレンティーネ (Valentine) である。

 1937年にアビトゥーアに合格した。2年間の徴兵期間を終える前に第二次世界大戦が起こり、ポーランド、フランス、ロシアに出征した。

 1941年の終わりごろ受けた学業休暇の間、ミュンヘン工科大学で学び始めた。戦争が終わると1945年の秋にアメリカ軍に釈放され、大学に復帰し1949年に卒業した。

 無機化学科の教授ヴァルター・ヒーバー (Walter Hieber) の助手となり、学位論文「亜ジチオン酸塩およびスルホキシル酸塩存在下での一酸化炭素とニッケル(II) 塩の反応機構」を作成した。

 1952年に博士号を取得し、遷移金属と有機金属化学の研究を続け、教授資格審査論文「シクロペンタジエンとインデンの金属錯体」を書いた。

 1955年にミュンヘン工科大学の講師に着任し、1957年にミュンヘン大学の准教授に昇進、1959年には教授となった。

 1964年にミュンヘン工科大学無機化学科の学科長に就任し、同年バイエルン科学アカデミー数学・自然科学部門の一員に選ばれた。

 1969年にドイツ自然科学アカデミー・レオポルディーナ (Leopoldina) のメンバーに任じられ、1972年にはミュンヘン大学の化学・薬学部から名誉博士号を与えられた。

 クロペンタジエンとインデンの金属錯体、6員環芳香族の金属 π 錯体、および今日ではフィッシャーカルベンと呼ばれるモノ、ジ、オリゴオレフィンと金属カルボニルのカルベン錯体、カルビン錯体についての講演をアメリカなど多くの国々で行った。

 1969年にウィスコンシン大学のファイアストーンレクチャラー、1971年にフロリダ大学の客員教授、1973年にマサチューセッツ工科大学のアーサー・D・リトル客員教授となった。

 多くの賞を受け、1973年にジェフリー・ウィルキンソンと共に有機金属の研究における功績でノーベル化学賞を受賞した。2007年、ミュンヘンで死去。

 ジェフリー・ウィルキンソン

 ジェフリー・ウィルキンソン(1921年7月14日 – 1996年9月26日)は、イギリスの化学者。1973年、有機金属錯体に関する研究の功績で、エルンスト・オットー・フィッシャーと共にノーベル化学賞を受賞した。

 ヨークシャー州トッドモーデンに近いスプリングサイドの村に生まれた。父親(彼の名もまたジェフリーであった)は家屋を塗装・装飾する職人の棟梁で、母親は綿織工場で働いていた。ジェフリーのおじの1人はオルガン奏者・聖歌隊指揮者だったが、彼の家族は製薬工業用のエプソム塩やグラウバー塩(Epsom's salt, Glauber's salt, それぞれ硫酸マグネシウムと硫酸ナトリウムのこと)を作る化学会社を所有していた。

 ジェフリーにとって、これが初めて化学に興味を持つきっかけになった。公立の小学校で教育を受け、1932年に州の奨学金を獲得してトッドモーデンの中学校に進学した。このとき彼に物理学を教えたのは、「原子の分割」で後にノーベル賞を受賞したジョン・コッククロフト卿が教えを受けたのと同じ教師であった。

 1939年に国からの奨学金を受けてインペリアル・カレッジ・ロンドンに入学し、1941年に卒業した。1942年、核エネルギーを研究する若い化学者を募集していたフレデリック・ペイナス (Friedriech A. Paneth) 教授のグループに加わり、カナダのモントリオールに渡った。

 後にチョーク・リバー研究所に移り、1946年にそこを去った。次の4年間、カリフォルニア州バークレーのグレン・シーボーグ教授の下で原子核の分類について研究を行った。

 それからマサチューセッツ工科大学で研究員となり、彼が学生の頃に初めて興味を持った対象、すなわちカルボニル錯体やオレフィン錯体などの遷移金属錯体に再び興味を持ち始めた。その後、1951年の9月から1955年の12月までハーバード大学に籍を置き、その間9か月の研究休暇をコペンハーゲンで過ごした。

 ハーバード大学ではコバルト上のプロトンの励起関数という核化学の分野での研究を続けていたが、既にオレフィン錯体の研究も始めていた。

 1952年、ロバート・バーンズ・ウッドワードと共にフェロセンの正確な構造を提案し、メタロセンの研究に先鞭を付けた。

 1955年6月、ロンドン大学インペリアル・カレッジの無機化学講座の教授に任命され、遷移金属錯体の研究を本格的に始めた。ウィルキンソンはウィルキンソン触媒の発明者としてよく知られる。これは化学工業においてアルケンを水素化してアルカンを合成する際に用いられる。

 1965年王立協会フェロー選出。1981年ロイヤル・メダル、1996年デービーメダル受賞。ウィルキンソンは結婚しており、2人の娘がいた。1996年の9月26日に死去した。

参考 Wikipedia: ジェフリー・ウィルキンソンソ エルンスト・オットー・フィッシャー

  

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