高分子化合物とは何か?

 「高分子化合物」とは、 分子量が10,000を超えるような化合物のこと。高分子化合物には、 自然界で作られる「天然高分子化合物」と、 人工的に生成する「合成高分子化合物」に分けられる。

 「天然高分子化合物」は、 自然界で作られる高分子化合物で、 主に生命活動に関わる物質である。私たち生物の体や食物はこのような天然高分子化合物でできている。いわゆる三大栄養素、①炭水化物(糖類)②たんぱく質(アミノ酸)③脂質(油脂)などがその例である。

 一方、人の手で人工的に加工してつくられたものが「合成高分子化合物」である。その原料は主に石油でプラスチックやゴム、合成繊維など、 身近によく使われている物質である。

 現在はプラゴミによる環境汚染などの問題もあるが、プラスチックや合成繊維などは軽くて加工しやすい日常生活になくてはならないものである。このような合成高分子化合物はどのように誕生したのだろうか?

 合成高分子化合物の開発

 世界で初めて合成高分子化合物「ナイロン」を発明したのが、アメリカの化学者ウォーレス・カロザースであった。彼はデラウェア州ウィルミントン近郊にあるデュポンの研究所の有機化学部門のリーダーとして活躍、1935年、世界で初めて高分子から成る化学繊維を発明した。

 ポール・フローリーは1934年、オハイオ州立大学で学位取得後、デュポン社(化学工業会社)に入社。ナイロンの発明者、ウオーレス・カロザースのもとで高分子反応の速度論に関する研究を行った。

 カロザース没後はエクソン研究所、グッドイヤータイヤ社等で基礎研究を続けシンシナティー大学を皮切りにコーネル大学、スタンフォード大学の教授を歴任し、一貫して高分子化合物の分野では当時のトップランナーだった。

 フローリーは高分子科学の全般にわたって高分子の物性を統計熱力学的手法を駆使して解明した。特に高分子溶液の特異な浸透圧、相分離などの物性を格子模型に基づき解析した難解なフローリハギンスの式は高分子物性化学の基礎となり、合成繊維やプラスチックの開発の礎として利用されている。

 この成果により、1974年、ノーベル化学賞を受賞している。授賞理由は「高分子物理化学分野における理論および実験の基礎的な業績」である。彼の成果は高分子化学の全般にわたり、その著書は現在の教科書にも名前を冠して数多く採用されている。

 ところで、ナイロンの開発者カロザースはノーベル賞を受賞しなかったのだろうか?パラダイムシフトともいえるナイロンの発明はデュポン社の企業秘密であったので、一般的に名前が知られるようになったのは、没後のこと。惜しいことに1937年、41歳の時に自殺してしまった。長い間うつ病を患っていたという。

 ポール・フローリー

 ポール・ジョン・フローリー(Paul John Flory, 1910年6月19日 - 1985年9月9日)は1974年のノーベル化学賞受賞者。受賞し理由は「高分子化学の理論、実験両面にわたる基礎研究 」である。

 アメリカ人の化学者でポリマーや高分子化合物に関する膨大な研究によって知られている。溶液中の高分子の挙動の研究に関する草分けである。1974年に高分子化学の理論、実験両面にわたる基礎研究によってノーベル化学賞を受賞した。 

1927年にイリノイ州エルジンのエルジン高校を卒業した後、フローリーは1931年にマンチェスター大学から学士号を、1934年にオハイオ州立大学から博士号を得た。その後デュポンのウォーレス・カロザースのもとで初めての仕事を得た。ウォーレスはナイロンの開発者である。

 高分子化学のキネティクス(速度論)

 高分子化学に関する彼の初期の研究は重合反応のキネティクス(速度論)に関するもので、デュポンの研究所で行われた。

 彼は、縮合重合において末端の反応性が減少することを見積もり、反応性は分子のサイズに関係ないことを見つけ、鎖の数はサイズとともに指数関数的に減少することを発見した。

 付加重合においては、彼はキネティックの方程式の改善とポリマーのサイズの分布の説の矛盾を解消するためにラジカル反応の概念を導入した。

 1938年、ウォーレスが亡くなると彼はシンシナティ大学の基礎科学研究所に移籍した。ここでは彼は二つ以上の官能基を持つ化合物の重合に関する数学的な理論と、ポリマーがゲルを作る理論を完成させた。

 1940年に彼はニュージャージー州リンデンにあるスタンダード・オイルの研究所に移り、ポリマー混合物の統計的理論を作った。

 1943年にはポリマー研究グループのリーダーとしてグッドイヤーに移った。1948年の春、コーネル大学の化学研究科長だったピーター・デバイは一年間の講義のためにフローリーを招聘した。

 同年秋には、彼はここで働くことを要請された。彼はここでの授業を大著「Principles of Polymer Chemistry」にまとめ、1953年にコーネル大学出版局より出版した。

 この本はすぐにこの分野で働く人全ての標準的なテキストとなり、今日でも広く使われている。 

 排除体積の概念の導入

 フローリーは1934年にワーナー・クーンが考えた排除体積の概念をポリマーに導入した。排除体積の概念によって、ある分子鎖の一部分は、既に同じ分子の別の部分が占めている空間には存在することができないという考えが生まれる。

 またこの概念によって、ポリマー鎖の末端は、排除体積がないとした時よりもポリマーの中心から遠くへ追いやられるということが言える。

 溶液中の長鎖分子の解析に排除体積の概念が重要な役割を果たすことがわかったのは、この分野の研究のブレイクスルーとなり、当時は解決困難と考えられていた多くの問題に説明を与えた。

 また排除体積の影響が中和される実験条件であるゼータポイントの概念も考えられた。ゼータポイントでは分子鎖は理想的な鎖の振る舞いを示さず、排除体積による長距離の相互作用が働かず、構造や結合、隣接分子間の静的な相互作用といった特性を容易に測定することができる。

 フローリーは、排除体積の影響がゼータポイントでなくなれば、理想溶液中でのポリマーのサイズが測定できると期待した。 

 フローリー・ハギンズの溶液理論

 彼の業績には、理想溶液の中でポリマーのサイズを推定する独自の方法や、溶液中でのポリマーの動きを把握するためのフローリー指数を拡張した、フローリー-ハギンズの溶液理論(フローリー・ハギンズ理論)がある。

 1953年には、国際理論物理学会 東京&京都で来日した。

 高分子中の原子の配置をベクトルで表すには、直交座標系を角座標系に変換してやらなければならないことがよくある。このような時にフローリー変換が用いられる。

 例えばペプチド結合中の全原子の位置は直交座標系またはフローリー変換で表される。ここでは結合距離 l i、結合角θ i、二面角ϕ iの3つの値が必要である。直交座標系とフローリー変換で得られた角座標系は同じ三次元構造を表す。

 彼は1961年にスタンフォード大学の教授になり、1975年に退官した。彼は退官した後も活躍を続け、近年はIBMのコンサルタントをしている。彼と妻のエミリー・キャサリン・タボールは3人の子供に恵まれ、3人とも物理学の道に進んでいる。

 彼は1985年にカリフォルニア州ビッグ・サー (Big Sur) で、心臓発作のため死亡した。 

 ウォーレス・ヒューム・カロザース

 ウォーレス・ヒューム・カロザース(Wallace Hume Carothers, 1896年4月27日 - 1937年4月29日)はアメリカの化学者。デュポンの有機化学部門のリーダーとして、世界で初めて高分子から成る化学繊維を発明した。

  デラウェア州ウィルミントン近郊にあるデュポンの研究所でグループリーダーを務め、そこで重合体の研究の大部分を行った。そこでカロザースはネオプレンの基礎となる研究を行い、ナイロン開発を行った。博士号取得後デュポンで基礎研究をする前は、いくつかの大学で教職についていた。

 1936年2月21日、ヘレン・スイートマンと結婚。若い頃からうつ病を患っていた。ナイロンで成功したが「達成できているモノは何もなく才能が枯渇した」と考えるようになる。

 妹が死去するという不幸も重なり、1937年4月28日、チェックインしたフィラデルフィアのホテルの一室で青酸カリを混ぜたレモンジュースを飲んで死亡。

 自殺およそ7カ月後(1937年11月27日)に彼の娘は誕生した。カロザースの発明したナイロンは、綿から合成繊維への転換をもたらし、世界を変える偉大な発明である。

 しかしながら死亡した当時は、ナイロンはデュポン社の企業秘密だったため、功績の大きさにもかかわらず、カロザースは無名のままこの世を去った。

 2000年11月にアメリカ科学振興協会はカロザースを表彰した。

 ネオプレン

 1928年2月6日、デュポンの研究施設に着任。ドイツの化学者ヘルマン・シュタウディンガー(1953年ノーベル化学賞受賞者)による重合体の高分子説を実証するため、重合体合成を研究班の研究テーマとし、エミール・フィッシャー(1902年ノーベル賞受賞者)が達成していた分子量4,200以上の合成を目指した。

 1928年夏、博士課程を指導したロジャー・アダムズと修士課程を指導したカール・マーベルをコンサルタントとして招聘。

 しかし、1929年中ごろになっても分子量4,000以上の重合体を合成できないでいた。 
1930年1月、エルマー・K・ボルトン(英語版)がカロザースの直属の上司に就任。

 ボルトンは具体的成果を求め、同年中にそれは達成された。ボルトンはカロザースにアセチレン重合体の研究を依頼し、合成ゴムを生み出した。

 1930年4月、カロザースのスタッフの1人アーノルド・M・コリンズがクロロプレンの単離に成功。その液体を重合させることでゴム状の固形物質ができた。これを製品化したのが世界初の合成ゴムネオプレンである。

 ポリエステル

 同年、カロザースのチームの1人ジュリアン・ヒルが分子量4,000以上のポリエステルの合成に再度挑戦しはじめた。間もなく彼は分子量約12,000の重合体合成に成功。分子量が高くなったため、液状だった重合体を繊維化することが可能になった。これは絹の代替となる合成繊維として実用化された。

 ポリエステルとポリアミドは段階成長重合で形成される縮合重合の例である。カロザースは段階成長重合の理論を考案し、平均的重合度と単量体から重合体への重合率(収率)を関係付けるカロザースの方程式(英語版)を導き出した。

 この方程式は段階成長重合でのみ成り立ち、高分子量を得るには高重合率が必要であることを示している。

 ヒルはまた、グリコールと2価酸を減圧下で加熱し分子蒸留器で水分を除去して縮合反応を発生させ、伸縮性のある強靭な繊維を合成した。

 しかしこの繊維はお湯につけるとどろどろの状態に戻ってしまうため、製品化には結びつかなかった。これに落胆したカロザースは数年間、重合体の研究をやめている。

  ポリアミド

 1934年、カロザースは再び合成繊維に集中するようになる。今回チームはグリコールの代わりにジアミンを使い、ポリアミドと呼ばれる重合体を作ろうとした。

 ポリアミド (polyamide) は、アミド結合によって多数のモノマーが結合してできたポリマーである。一般に脂肪族骨格を含むポリアミドをナイロンと総称し、これは初めて合成されたポリアミドであるナイロン-66のデュポン社の商標に由来する。また、芳香族骨格のみで構成されるポリアミドはアラミドと総称される。

 ポリアミドはグリコールから形成されるポリエステルよりもずっと安定している。水素結合によって結晶質の領域を形成できるポリアミドの能力から、機械的特性も増す。従って日常的に使える合成繊維を生産できる可能性があった。研究の結果、新たなポリアミドを発明。そのプロジェクトを主導したのはW・R・ピーターソンとドナルド・コフマンだった。1935年、ジェラード・ベルシェがこのポリアミド研究を任された。

 1934年夏、カロザースはこの研究がうまくいっている最中、ナイロンを発明する前に姿を消した。仕事場に姿を見せなくなり行方不明になった。カロザースはボルチモアの精神科の小さな診療所で見つかった。うつ症状がひどくなったのでボルチモアの精神科医に相談し、その精神科医が入院させたのだった。

 ナイロン

 診療所から退院して間もなく、カロザースはデュポンに復帰。ボルトンはポリアミドの研究を命じた。 カロザースは特に用途など考えず、未知への挑戦として線型の超重合体を研究しはじめた。その研究は化学の新たな領域であり、デュポン社はどんな形でも化学における新たなブレークスルーは会社にとって価値があるだろうと考えていた。

 その研究の中でカロザースは、高温でねばねばした固体になる超重合体をいくつか得た。そして、その溶融重合体に棒を浸して引き上げると単繊維が形成されることが観測できた。この発見でプロジェクトの中心はそれら単繊維に移り、結果としてナイロンが生まれた。

 1935年2月28日、ジェラード・ベルシェはカロザースの指導でヘキサメチレンジアミンとアジピン酸から半オンスの重合体、ポリアミド 6-6 を作り、これがナイロンと名付けられた。融点が高いため扱いにくかったが、ボルトンはこのポリアミドを製品化すると決定。製品化のためボルトンはカロザースにジョージ・グレーブスをつけた。結局、グレーブスがポリアミドプロジェクトのリーダーとなり、カロザースは解任された。

カロザースは生涯中に高分子に関する52の論文、69の米国特許を取得した。 
アメリカ合衆国特許第1,995,291号 "Alkylene Carbonate and Process of Making It" - 1929年11月出願、1935年3月発効
アメリカ合衆国特許第2,012,267号 "Alkylene Ester of Polybasic Acids" - 1929年8月出願、1935年8月発効
アメリカ合衆国特許第2,071,250号 "Linear Condensation Polymers" - 1931年7月出願、1937年2月発効

参考 Wikipedia: ポール・フローリー

  

ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ   ←One Click please