世界に主張しない日本という不思議な国

 日本の若い人が日本という国を見たらどう思うだろうか?諸外国について、何も自分の意見を持たない、主義主張のない国であると思ってしまうのではないだろうか?

 中国発の新型コロナウイルスの問題もそうだ。そして、香港の民主化運動。先日、中国の全国人民代表大会が開催され、香港での反体制的な言動を取り締まる「国家安全法制」の導入に関する決定が採択された。決議は賛成2878票、反対1票、棄権6票。圧倒的な差だ。

 これは、中国政府が一党独裁の国だと知っていなければ理解できない数値だ。連日香港ではこの法案に対する反対運動が繰り広げられているにも関わらず、反対がわずかに「1」。政府や議員の全員が共産主義という考えでのみ一致して行動しているのがこの国の正体。

 この決定に対し、日本政府を代表して菅義偉官房長官は5月28日の記者会見で「議決が国際社会や香港市民が強く懸念する中でなされたことや、香港の情勢を深く憂慮している」と表明するにとどめた。「憂慮する」とは、何が正しいか明言することを避けたと思われる。

 国内のニュースを見ると人権人権と煩いくらい主張するのと対照的である。大人としてちょっと恥ずかしい。

 香港の歴史 英国領から中国返還まで

 そこで歴史をひも解いてみると、歴史に香港の名前が登場するのは明朝の時代。1563年(嘉靖42年)、明朝は香港地区南端に水軍(南頭寨)を設置、1565年(嘉靖44年)には参将を置いて南頭寨を統括させている。当時の新安県の人口は約34,000人と記録されている。

 1517年(正徳12年)にはポルトガル人が来航、屯門島を占拠する事件が発生、明朝は1522年(嘉靖元年)に広東海道副使・汪鋐を派遣しポルトガル人を駆逐している。その後、ポルトガル人は寧波沖のリャンポー(双嶼)に移り、やがてマカオに拠点を移している。

 清朝時代 1644年 - 1842年になり広州が開港されると、1699年(康熙38年)以降はイギリス東インド会社などが来航するようになる。1711年(康熙50年)には広州にイギリス商館が開設されている。 イギリスは茶葉の大量輸入に起因する貿易赤字に対応すべく、インドからアヘンを輸出し販売を開始した。

 アヘン輸入規制を推進する清朝とイギリスの間に紛争が発生。当時アヘンを取り扱った商会の一つであるジャーディン・マセソン商会の清朝への政治的圧力を行いアヘンの販路拡大を目指すロビー活動により、イギリス国会は1票という僅差で軍の派遣を決定、1839年(道光19年)にアヘン戦争が勃発した。

 1841年(同21年)1月20日にチャールズ・エリオット大佐率いるイギリス軍は香港島を占領。そして翌年締結された南京条約により、香港島はイギリスに永久割譲された。更に1856年(咸豊6年)に勃発したアロー戦争の結果、1860年(咸豊10年)に北京条約が締結されて九龍半島もイギリスに割譲される。

 そして、イギリスをはじめとした西欧列強による中国進出の圧力が強まる中、イギリスは清朝に迫り1898年(光緒24年)7月1日には九龍以北、深圳河以南の新界地域の租借に成功した。この地域の租借期限は99年間とされ、1997年6月30日午後12時をもって切れることになっていた。

 1941年(民国30年)12月8日に、イギリスの植民地下にあったマレー半島のイギリス軍に対する日本陸軍の攻撃(マレー作戦)により太平洋戦争が勃発すると、 日本軍は九龍半島にあるイギリス連邦軍の要塞地帯の「ジン・ドリンカーズ・ライン」を突破、12月13日には九龍半島を制圧した。12月25日に香港島唯一の貯水池を奪われたマーク・ヤング総督は、九龍にあるイギリス資本のペニンシュラ・ホテル(香港半島酒店)に出向き、日本軍に降伏した。香港ではこの日を「黒いクリスマス(Black Christmas)」と呼んでいる。

 1970年代に入ると、租借地新界の租借期限が次第に近付いてくるため、イギリス政府は新界租借の延長を中華人民共和国に求めたが、中華人民共和国は応じなかった。しかし、この頃には租借期限問題にどのような結末を付けるかまだ誰にも予測できなかった。

 その後1980年代に入ると中華人民共和国の改革開放政策が進展し、香港の製造業は国境を越えて中華人民共和国側に進出、香港は金融、商業、観光都市となっていった。 マーガレット・サッチャー首相はイギリスが引き続き香港を植民地支配下におけるよう求めていたが、中華人民共和国は「港人治港」を要求してこれに応じず、鄧小平はサッチャー首相に対し「イギリスがどうしても応じない場合は、武力行使や給水の停止などの実力行使もありうる」と示唆した。

 サッチャーは予想外の鄧小平の強硬姿勢にショックを受け、会談を終えて人民大会堂を出る時、足元がふらついたという。 香港が中国に返還されたのは1997年7月1日。これは1984年12月19日、中英双方が署名した中英共同声明によるもの。その中でイギリスは1997年7月1日に香港の主権を中華人民共和国に移譲し、香港は中華人民共和国の一特別行政区となることが明らかにされた。

 中華人民共和国政府はこの時、鄧小平が提示した「一国両制」政策をもとに社会主義政策を将来50年(2047年まで)にわたって香港で実施しないことを約束した。...以下は今日に至る。

 「国家安全法」はこの約束に違反する。香港立法会の審議を経ずに中国政府が内容を決定できる。香港での言論の自由や政府に対する抗議行動などが押さえつけることができ、香港の「高度な自治」を保障した「一国二制度」に反するものになる。

 香港の主張「自由のはく奪」移民熱再び

 中国の全人代で5月28日、香港市民の基本的人権に制限を加える「国家安全法」を香港に導入する方針が決まったことを受け、香港社会では中国への怒りや生活への不安とともに、手詰まり感が広がっている。台湾などへの移民希望者も急増中だ。

 2014年の香港民主化運動「雨傘運動」の元リーダーで、政治団体「香港衆志」幹部の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏は同日、記者会見し、「米国の対中制裁として、香港への優遇関税措置が凍結される可能性が高い」と述べ、国際社会による中国への圧力強化に期待を示した。

 香港からの輸入品に適用されている優遇措置がなくなれば、香港は経済的ダメージを受けることになる。とはいえ、中国側が香港の立法会(議会)を無視して国家安全法を導入しようとする中、香港側にそれを阻止する手立ては他にない。

 「今まで享受していた自由や権利が剥奪される感じがする。中国共産党のこうした強引なやり方は香港には合わない」と香港人女性(54)は国家安全法の香港導入に強く反対する。

 最近、若者を中心に市民の間では、VPN(仮想私設網)を利用する動きが広がっている。

 香港は中国本土と異なり、VPNを使わなくても自由にネットにアクセスできる。しかし中国が国家安全法を香港に導入する方針を明らかにした5月21日以降、VPNのソフトをダウンロードする件数が一気に増えている。香港メディアによると、5月21日の件数だけで前日の6倍に増加したという。

 「香港でも中国本土並みにアクセスが制限されるかもしれないうえ、VPNを使えばプライバシーの保護に有利だからだ」と香港市民の利用者は解説する。

 フェイスブックなど会員制交流サイト(SNS)上の政治的発言を削除する動きも広がっているという。移民の問い合わせも急増中だ。移民斡旋(あっせん)業者の「環球海外物業・投資移民」では5月22日以降、電話だけで毎日30件以上の問い合わせがある。普段の7、8割増で「半分以上が台湾を希望している。カナダやオーストラリアも多い」という。

 中国政府の主張「国家安全法制」とは 

 香港での「国家安全法制」は、香港における中国政府への敵対的な行為や外国勢力による内政干渉を取り締まるため、中国政府主導で導入しようとしている法制度。

 これについて李克強首相は、今月22日の政府活動報告で、香港で「国家の安全を守るための法制度と執行メカニズムを確立しなければならない」と述べ、法律の制定と執行メカニズムの確立を目指すとしている。

 1997年の香港返還に合わせて制定された香港の憲法にあたる基本法の23条には、香港政府は国家の分裂や中国政府を転覆するなどのいかなる行為や、外国の政治的組織や団体が香港で政治活動を行うことを禁止するための法律をみずから制定しなければならないと定められている。

 これに従って、香港政府は2003年に条例の制定を目指したが、50万人規模の抗議デモが起きて撤回に追い込まれ、それ以来、制定に向けた動きは止まったままだった。

 香港では去年、容疑者の身柄を中国本土にも引き渡せるようにする条例の改正案をめぐって大規模な抗議活動に発展したことを受けて、習近平指導部は去年10月の党の重要会議で、香港に対する新たな法制度の整備を進める方針を打ち出した。

 中国政府は「香港政府が国家安全を守るうえで厳しい情勢に直面し、みずから立法できない状況のなかで、全人代が関連の決定を下すのは必然的な選択だ」としていて、香港政府がみずから法律を制定するのは困難だとして、中国政府主導で法整備を行うことを判断したとみられる。

 「国家安全法制」では、今後、中国政府が主導して香港の治安維持のための法律を制定するとともに、必要に応じて、中国の治安部門が香港に出先機関を設けて活動を行うとしている。

 また、導入によって、香港での国家の分裂や政権の転覆、テロ活動など、国家の安全に重大な危害を与える行為や、外国勢力の香港への干渉を防止し、処罰するとしている。法律の具体的な条文については、今後、全人代の常設機関である全人代常務委員会が制定するとしている。

 「一国二制度」のもと、高度な自治が認められている香港では、原則として中国の法律は適用されませんが、基本法の18条では例外的に中国の法律を基本法の付属文書として追加することができるとされる。

 中国政府は「国の安全に関する立法は、国の立法権に属する」として法整備を正当化しているが、香港の人々の間では、高度な自治を認めた「一国二制度」が崩壊しかねないとして、懸念の声が広がっている。

 台湾当局「中国共産党は民意を顧みず横暴」

 中国の全人代=全国人民代表大会が香港で反政府的な動きを取り締まる「国家安全法制」を導入することを決めたことをうけて、台湾当局で対中国政策を担当する大陸委員会はコメントを発表し、「中国共産党は民意を顧みず、横暴なやり方で香港の民主主義と自由、そして法治を深く傷つけた」と強く非難した。

 そのうえで、「香港での情勢の変化に台湾は聞こえないふりをすることはできない。人道支援策をとりまとめるとともに、世界の民主主義の陣営と香港の自由のために声をあげ、普遍的な価値を守っていく」としている。

 台湾当局は、中国の全人代で「国家安全法制」を導入する方針が示されたあと、蔡英文総統の指示で香港の人々への人道支援策の検討を始めている。

 主には香港を離れ、台湾に移りたいという人の滞在資格の取得や滞在先の手配などについて支援を強化することを検討していて、近く、具体策を取りまとめて発表することにしている。

参考 The Liberty Web:https://the-liberty.com/article.php?pageId=1&item_id=16288

  

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