2020年ノーベル物理学賞は、ブラックホール研究

 2020年10月6日スウェーデンの王立科学アカデミーは、ノーベル物理学賞をブラックホールの研究で成果を上げた英国のロジャー・ペンローズ氏とドイツのラインハルト・ゲンツェル氏、米国のアンドレア・ゲズ氏に授与すると発表した。

 英オックスフォード大教授のペンローズ氏はブラックホールがアインシュタインの一般相対性理論に基づいて形成されることを数学的手法を用いて証明。マックス・プランク研究所と米カリフォルニア大バークリー校に務めるゲンツェル氏と、同大ロサンゼルス校のゲズ氏は銀河系の中心部の星周辺に目に見えない非常に重い物体が存在することを発見した。

 賞金1000万クローナ(110万ドル)の半分はペンローズ氏に、残りは他の2人に分配される。ゲズ氏は物理学賞を受賞する女性として4人目。1903年のマリー・キュリー氏、1963年のマリア・ゲッパート=メイヤー氏、2018年のドナ・ストリックランド氏に続く。ゲズ氏は他の人たちの励みになることを望むと話した。

 アインシュタインは1915年に説いた一般相対性理論で、重力の力で時空間が歪むと予測。ただアインシュタイン自身、ブラックホールを信じておらず、科学者はその後半世紀にわたりその存在を証明する方法を探究した。現在89歳のペンローズ氏は1965年に公表した研究論文でブラックホールが実際に形成されることを証明。詳細を説明したほか、ブラックホールの中心に時間と空間が存在しないという考えを示した。

 その後、ブラックホールを探す研究は「いて座Aスター」と呼ばれる天の川銀河の領域に存在するちりに焦点が当てられた。ゲンツェル氏とゲズ氏が率いる天文学者チームは星の動きを観察し、太陽の約400万倍の質量が太陽系ほどの規模の領域に詰まっているとの結論を導き出した。

 世にも不思議な天体ブラックホールはいつからどのように解明されたのか?

 ブラックホールの歴史

 ブラックホールの理論的可能性については、18世紀後半に先駆的な着想があった。ピエール=シモン・ラプラスは、アイザック・ニュートンの提唱した光の粒子説とニュートン力学から、光も万有引力の影響を受けると考え、理論を極限まで推し進めて「十分に質量と密度の大きな天体があれば、その重力は光の速度でも抜け出せないほどになるに違いない」と推測した。

 また、イギリスのジョン・ミッチェルも同様の論文を発表した。しかしその後、光の波動説が優勢になり、この着想は忘れられた。

 現代的なブラックホール理論は、アルベルト・アインシュタインの一般相対性理論が発表された直後の1915年に、理論の骨子であるアインシュタイン方程式をカール・シュヴァルツシルトが特殊解として導いたことから始まった。

 シュヴァルツシルト解は、時空が球対称で自転せず、さらに真空であるという最も単純な仮定で一般相対性理論の厳密解を導くことで得られた。アインシュタイン本人は一般相対論で特異点が有り得ることを渋々認めていたものの、それはあくまで数学的な話であって現実には有り得ないと考えていた。

 ロバート・オッペンハイマー

 1930年に、インド出身でイギリスに留学に来ていた当時19歳のスブラマニアン・チャンドラセカールが、白色矮星の質量には上限があることを理論的に導き出し、質量の大きな恒星は押しつぶされてブラックホールになると、ブラックホールの存在を初めて理論的に指摘したが、当時の科学界の重鎮アーサー・エディントンがまともに検討することもなく頭ごなしに否定した。

 1939年、ロバート・オッペンハイマーとその大学院生のハートランド・スナイダーが、アインシュタインが成功を収めることになった流儀を真似て一つの思考実験を行った。二人は、大質量の星が燃え尽き、突然自重で潰れる時に何が起きるのか自らに問いかけてみたのである。

 当時、太陽のような軽い星の場合は地球サイズで鉄の密度にまで収縮することが分かっており、より重い星はさらに収縮が進み直径10マイル(16km)程度のボールに収縮すると、フリッツ・ツビッキーとウォルター・バーデが仮説を立てていた。

 オッペンハイマーらは、当時の物理学界を賑わせていた中性子星存在の議論の中で、恒星の崩壊後にできる中性子星の質量には上限があり、超新星爆発の後に生成される中性子の核の質量がその上限よりも重い場合、中性子星の段階に留まることなくさらに崩壊する重力崩壊現象を予言した。

 しかし彼は、ここまで研究を進めたところで原子爆弾開発を目的とするマンハッタン計画の責任者としてロスアラモス研究所の所長に任命され、ブラックホール研究からは遠のくことになった。

 ジョン・ホイーラー

 ほとんどの物理学者はこうした説明を何一つとして真剣に受け止めていなかったが、フレッド・ホイルは別だった。突飛な説明をすることにかけては一流のホイルは、太陽の何百万倍もの超星(スーパースター)は熱核反応ではなく重力によって電波銀河にパワーを供給していると提唱した。そして、超星ほどの巨大な物質の集まりを自重で崩壊させてみれば、その質量の90%までがエネルギーに変換され、クエーサーの燃料となり得ると指摘した(これはシュミットがクエーサーの正体を暴く前のことだった)。

 物理学者ジョン・ホイーラーは特異点と重力崩壊の問題を考え続けていた。彼は計算の結果、物質とその本質をなす様々な属性(例えば、物質と反物質との違いというような、物理法則を支えている根本的な属性)は、特異点で単純に消えてしまうと確信した。

1963年、ロイ・カーが軸の周りに一定の角速度で回転するブラックホールについての厳密解(カー解)を導いた。

 ホイーラーが「最終状態の問題」とデリケートな言い回しで表現した問題を、ロジャー・ペンローズは強力な定理やエレガントな証明を用いて、まるで四次元における幾何学問題であるかのようにアプローチした。

 一般相対性理論に対しては多くの科学者が、特異点というのは架空のものであり数学的な理想化の産物と考えており「星は回転で物質は跳ね飛ばされ、中心の周りで渦を巻き、一体になって特異点を形成するようなことはない」信じられていたのである。ところが1965年に、ペンローズが星の崩壊は特異点に収束することを証明した。

 物質とエネルギーが充分に集まっている所ならどこでも時空に終わりが来ることがあると証明したのである。シアマはこれを「一般相対論にとって最も重要な貢献」と呼んだ。

 ラインハルト・ゲンツェル

 ラインハルト・ゲンツェル(Reinhard Genzel ForMemRS、1952年3月24日 - )は、ドイツの宇宙物理学者である。アンドレア・ゲズ、ロジャー・ペンローズとともに2020年のノーベル物理学賞を受賞した。授賞理由は「我々の銀河系の中心にある超大質量コンパクト天体の発見」である。

 ゲンツェルはドイツのバート・ホムブルク・フォア・デア・ヘーエで、固体物理学の教授ルートヴィヒ・ゲンツェル(1922-2003)の子として生まれた。フライブルク大学とボン大学で物理学を学び、1978年にPh.D.を取得した。同年、マックスプランク地球外物理学研究所で電波天文に関する博士論文を発表した。

 その後、マサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード・スミソニアン天体物理学センターに勤務した。1980年から1982年までミラーリサーチフェロー(英語版)に選出され、1981年にカリフォルニア大学バークレー校物理学科の准教授、後に正教授を務めた。

 1986年にマックス・プランク研究所の科学会員となり、ガルヒングのマックス・プランク地球外物理学研究所の所長を務め、1988年からはミュンヘン大学で講師、後に名誉教授を務めている。1999年からはカリフォルニア大学バークレー校の正教授も兼任している。その他、ショウ賞天文学部門選考委員会の委員も務めている。

 ゲンツェルは、赤外線天文学とサブミリ波天文学(英語版)を研究している。彼の研究グループは、地上と宇宙に装置を置く天文観測機器の開発に積極的に取り組んでいる。彼らは、銀河系の中心であるいて座A*付近の星の運動を追跡し、超大質量の天体を周回していることを示した。現在では、その天体がブラックホールであることが知られている。

 2018年7月、ゲンツェルらは、いて座A*を周回する恒星S2が、2018年5月の軌道極点アプローチに向かう際に、いて座A*から約120天文単位≒1400シュワルツシルト半径の距離で、7,650キロメートル毎時、すなわち光速の2.55%の速度が記録されていたことを報告した。これは、一般相対性理論によって予測された赤方偏移を相対論的な速度で確認することを可能にした。

 アンドレア・ミア・ゲズ

 アンドレア・ミア・ゲズ(Andrea Mia Ghez、1965年6月16日 - )は、アメリカ合衆国の天文学者であり、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の物理学・天文学の教授である。銀河系中心部の研究で知られる。銀河系中心部に超大質量コンパクト天体(現在では一般的にブラックホールであると認識されている)を発見したことで、 2020年にラインハルト・ゲンツェルらとともにノーベル物理学賞を受賞した。ノーベル物理学賞を受賞した女性は4人目である。

 ゲズは、ニューヨークで1965年6月16日に生まれた。父のギルバートはイタリア・ローマに生まれたユダヤ人の家系で、チュニジアとドイツ・フランクフルトに出自を持っていた。母のスザンヌ(旧姓ゲイトン(Gayton))は、マサチューセッツ州ノース・アトルボロ(英語版)出身のアイルランド系カトリックの家系であった。

 ゲズはシカゴで育ち、シカゴ大学ラボ・スクール(英語版)に通っていた。アポロ計画の月面着陸に触発され、ゲズは女性初の宇宙飛行士になりたいと思うようになり、母親も彼女の夢を支持した。ゲズはその夢を叶えるために、まず高校の化学教師になることを目指した。ゲズは大学で数学を専攻していたが、物理学に転向した。ゲズは1987年にマサチューセッツ工科大学で物理学の学士号を取得し、1992年にカリフォルニア工科大学でゲリー・ノイゲバウアーの指導の下でPh.D.を取得した。

 ゲズは、ケック望遠鏡の補償光学などの高空間分解能イメージング技術を用いて、星形成領域や、「いて座A*」として知られる天の川銀河の中心にある超大質量ブラックホールの研究を行っている。ゲズは、天の川銀河の中心付近の星の運動を観測することで、この領域を調査している。ケック望遠鏡の高解像度は、ラインハルト・ゲンツェルのグループによる銀河中心運動学の最初の大規模な研究を大幅に上回るものであった。

 ゲズは、2004年に全米科学アカデミー会員に、2019年にアメリカ物理学会(APS)フェローに選出された。

 ゲズはメディアにもたびたび登場している。BBC、ディスカバリーチャンネル、ヒストリーチャンネルなどがゲズを取り上げたドキュメンタリーを制作している。2006年には、PBSのテレビシリーズ『ノヴァ(英語版)』でのプレゼンテーションも行われた。2004年には、『ディスカバー(英語版)』誌がゲズを、各自の分野で高い理解度を示したアメリカの科学者トップ20人の一人に挙げている。

 ゲズらは、赤外線の波長で銀河核を撮影することで、可視光を遮る重い塵の中を覗き、天の川銀河の中心の画像を生成することができた。口径10メートルという大口径のケック望遠鏡と、大気の乱流を補正するための補償光学により、銀河核を非常に高い空間分解能で撮影することができ、「いて座A*」として知られるブラックホールの周りにある恒星の軌道をたどることが可能になった。

 これらの画像には、銀河核のブラックホールを周回する多くの星の部分的な軌道が観測されている。そのうちの1つであるS2は、1995年に詳細な観測が始まって以来、完全な楕円軌道を描いている。これらの恒星の軌道を完全に記録するには、さらに数十年の時間が必要であるが、これらの測定は一般相対性理論の検証になる可能性がある。

 2012年10月には、UCLAのゲスの研究チームによって、銀河核を周回する2つ目の恒星、S0-102(英語版)が発見された。ケプラーの第3法則を用いて、ゲズの研究チームは軌道運動を利用して、いて座A*の質量が410万±0.6万太陽質量であることを示した。

 銀河核(いて座A*がある場所)は、M31(次に近い超巨大ブラックホールM31*がある場所)よりも100倍近いため、超巨大ブラックホールが存在することを示す最良の事例の一つとなっている。

 2020年、ゲズは、ブラックホールに関する発見により、ロジャー・ペンローズ、ラインハルト・ゲンツェルとともにノーベル物理学賞を受賞した。ペンローズが半分を受賞し、残りの半分を、天の川銀河の中心にある星の軌道を超巨大ブラックホールが支配している可能性が高いことを発見したことで、ゲズとゲンツェルが受賞した。

 ロジャー・ペンローズ

 ロジャー・ペンローズ(Sir Roger Penrose OM FRS、1931年8月8日 - )は、イギリスの数理物理学者、数学者、科学哲学者である。2020年のノーベル物理学賞を受賞した。授賞理由は「ブラックホールの形成が一般相対性理論の強力な裏付けであることの発見」である。

 ペンローズは、一般相対性理論と宇宙論において数理物理学に貢献した。特異点定理によりスティーブン・ホーキングとともに1988年のウルフ賞物理学部門を受賞し、「ブラックホールの形成が一般相対性理論の強力な裏付けであることの発見」により、ラインハルト・ゲンツェル、アンドレア・ゲズともに2020年のノーベル物理学賞を受賞するなど、多くの賞を受賞している。

 ロジャー・ペンローズは、1931年8月8日にエセックス州コルチェスターで、精神科医で遺伝学者の父ライオネル・ペンローズとその妻のマーガレット・リーズスの間に生まれた。父方の祖父はアイルランド生まれの芸術家J・ドイル・ペンローズ(英語版)であり、母方の祖父は生理学者のジョン・ベレスフォード・リーズス(英語版)である。

 母方の祖母のソニア・マリー・ナタンソンは、1880年代後半にサンクトペテルブルクを離れたユダヤ系ロシア人である。叔父に芸術家のローランド・ペンローズ(英語版)がおり、その妻は写真家のリー・ミラー、息子が同じく写真家のアントニー・ペンローズ(英語版)である。兄に物理学者オリバー・ペンローズ、弟にチェスのグランドマスターのジョナサン・ペンローズ(英語版)、妹に遺伝学者シャーリー・ホジソンがいる。

 ペンローズはユニヴァーシティ・カレッジ・スクール(英語版)ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンに通い、1952年に数学の学位を取得した。その後、ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ(英語版)で修士号、1957年にPh.D.を取得した。

 ロンドン大学、ケンブリッジ大学、プリンストン大学、シラキュース大学、テキサス大学、コーネル大学、ライス大学などで教鞭をとる。

1964年、スティーヴン・ホーキングと共にブラックホールの特異点定理を証明。1972年、王立協会会員に選出される。1973年、オクスフォード大学ラウズ・ボール教授職に就任。1994年、ナイトを叙勲。

 科学上の業績「特異点の証明」

 回転するブラックホールから理論的にはエネルギーを取り出せる方法としてペンローズ過程を考案。量子的なスピンを組み合わせ論的につなぎ合わせると、時空が構成できるというスピンネットワークを提唱。このアイデアは後に量子重力理論の1候補であるループ量子重力理論に取り込まれた。

 時空全体を複素数で記述し、量子論と相対論を統一的に扱う枠組みであるツイスター理論を創始した。長らく物理理論というよりは数学的な研究対象とされていたが、近年、超弦理論やループ量子重力理論との関連性が見いだされつつある。

 2020年のノーベル物理学賞に選出されたイギリスのロジャー・ペンローズ(1931~)は、理論物理学者として、スティーヴン・ホーキング(1942~2018)と共にブラックホールの「特異点定理」を研究した。そして、一般相対性理論から重力が無限大になる「特異点」、つまりブラックホールが存在することを証明し、これが今回のノーベル賞の主な受賞理由になった。

 ペンローズの「不可能図形」

 ペンローズは、いわゆる「不可能図形」の研究でも知られている。「ペンローズの三角形」とか「ペンローズの階段」と呼ばれる図をご覧になったことがあるだろうか。

 それらの不可能図形は、一見ある立体の見取り図に見えるのだが、よく見るとそのような物体は現実にはあり得ないことがわかる(たとえば「ペンローズの階段」は、階段を登りきったところが階段の一番下につながっている)という不思議な図だ。

 人間の感覚やもののリアリティについて一石を投じる不可能図形は、今では数学者だけでなく、哲学者や心理学者、そして美術家などにも興味を持たれていて、広い分野に影響を及ぼしている。

 ペンローズタイルと2011年ノーベル化学賞「準結晶」

 さらにペンローズは、1972年に「ペンローズ・タイル」を考案し「平面充填問題」においても大きな足跡を残した。ペンローズ・タイルとは、2種類のひし形をある法則にしたがって並べて平面を埋めつくしたもののことを言う。特筆すべきはその並びが周期的ではないという点である。ペンローズ・タイルには、ある部分をどのように平行移動しても、ぴったりとは重ならない他の部分が存在する。

 ペンローズ・タイルに代表されるような周期的ではない平面充填法の多くは、主に20世紀に入ってから発見された。それまでは平面充填と言えば、長方形を使ったタイル張りのように、「模様全体を平行移動すると重なる」という特徴を持つものがほとんどだった。非周期的平面充填法を考案するためには、類まれなインスピレーションに加えて高度な近現代数学が必要なのだ。

 数学が導いた真実は、思いもよらない形で応用されることがある。ペンローズ・タイルもその例にもれない。

 1982年にイスラエルの化学者ダニエル・シュヒトマン(1941~)は周期的な構造を持たない合金を発見した。それまで結晶と言えば、周期的な構造を持つというのが「常識」だったので、発表当時シュヒトマンははげしい批判を受けてしまう。

 しかし彼は、ペンローズ・タイルを理論的裏付けにすることで、非周期的な構造を持つ結晶的なもの(準結晶という)も存在し得ると断固主張した。その後「準結晶」が次々と発見されたことで、シュヒトマンの功績は認められ、2011年にはノーベル化学賞が贈られている。

 ペンローズの幾何学における功績は、もののカタチについての鋭い洞察を与えるだけでなく、遊び心とともに数学のとてつもない可能性を教えてくれる。そんな氏のノーベル賞受賞を心からお祝いしたい。

参考 サイエンスポータル: https://scienceportal.jst.go.jp/news

   

ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ   ←One Click please