「はやぶさ2」カプセルの大気圏突入は12月6日 

 日本の探査機「はやぶさ2」が帰ってくる。小惑星「リュウグウ」の砂が入ったとみられるカプセルを地球の大気圏に突入させる時間が日本時間の12月6日の午前2時28分から29分になると、JAXA(宇宙航空研究開発機構)が公表した。

 「はやぶさ2」は6年前に打ち上げられ、小惑星「リュウグウ」で採取した砂が入ったとみられるカプセルを12月6日に地球に帰還させる計画。分離されたカプセルがオーストラリア南部の砂漠に着地するのは午前2時50分ごろになる見込みだ。

 「はやぶさ2」のプロジェクトチームは30日会見を開き、本体からのカプセルの分離を日本時間の12月5日の午後2時30分に行い、カプセルの大気圏突入は12月6日の午前2時28分から29分になると公表した。「はやぶさ2」は、カプセルを分離したあと、すぐに軌道を変更して別の小惑星へと向かうという。

 会見には現地で待機している回収チームも参加し、アンテナやレーダーの設置など準備が順調に進んでいる状況を説明した。カプセルの帰還が成功すれば、初号機に続いて小惑星の砂を持ち帰ることになるとみられ、難しいミッションが成功するのか世界から注目されている。

 JAXAの津田雄一プロジェクトマネージャは「ここまでの軌道変更は完璧で安心できるものであったが、これから行う分離の前後は大切な作業が続くので、もう一度気をひきしめていきたい」と話した。

 失敗の積み重ねが成功につながる宇宙開発

 思い出されるのは「はやぶさ1」だ。「はやぶさ1」が奇跡の帰還を果たして10年も経つ。あの時は日本中が盛り上がった。あきらめないことの大切さを学んだ。映画もできた。

 通常の宇宙開発は失敗ばかりだ。何度も失敗してからようやく成功する。アポロ計画でも1号で3名が死亡、スペースシャトル、チャレンジャーとコロンビアでは7名ずつ14名が死亡。そうした失敗の上にアポロ11号の月面着陸の成功や現在野口さんが滞在している、ISS国際宇宙ステーションの成功がある。

 日本でも失敗は多い。まず、1999年11月15日には、H-IIロケット8号機が第1段エンジンの突然の停止によって飛行すべき軌道をはずれ、失敗した。年が明けて2000年2月10日には、M-Vロケット4号機が第1段ノズル破壊による速度不足によって失敗した。

 その後、さまざまな原因究明や対策を行い、H-IIロケットについては後継機のH-IIAロケット試験機1号機を2001年8月29日、M-Vロケットについては2003年5月9日に5号機を打ち上げ、共に成功した。

 ところが、2003年10月25日には環境観測技術衛星「みどり2」が打ち上げ後約10カ月で運用異常となり機能全損によって失敗、2003年11月29日にはH-IIAロケット6号機が固体ロケット分離の不具合によって予想速度が得られずに失敗、2003年12月9日には火星探査機「のぞみ」が火星軌道投入に失敗した。

 しかし、2005年2月26日に打ち上げられたH-IIAロケット7号機以降、日本の宇宙ミッションは連続成功に転じ、現在に至るまで10機以上のロケットの打ち上げが成功し、それらのロケットやスペースシャトルで打ち上げられた人工衛星やISSなどもほぼ完璧に成功している。

 はやぶさ1奇跡の帰還

 はやぶさ1の帰還は、どこで諦めてもしょうがないと思われるほどの数々の試練を乗り越えての成功であった。

 まず、小惑星「イトカワ」に無事到着したが、何度も機体を小惑星の表面にぶつける着陸ミス。そのため機体の一部を損傷し通信が途切れてしまう...。当時を振り返ってみよう。

「あれっ、切れた…」平成17年12月8日、小惑星探査機「はやぶさ」の管制業務を行っていた大島武は思わず声を上げた。電波の受信レベルが急に低下し、10秒ほどで途絶えてしまったのだ。

 2005年11月26日に小惑星「イトカワ」へ2回目の着陸をした後、姿勢制御用の化学エンジンから燃料が漏れ、姿勢が乱れていたのだ。

 2005年12月8日 再度の燃料漏れが発生。機体は回転運動を始めた。キセノンガスを使っても姿勢を制御することは出来ず、9日以降通信が途絶した。姿勢が変わってアンテナがずれたためである。ここまでひどい状況になってもミッションを継続した例は世界でもあまりなかった。
 
 2006年 1月23日途絶えていた、はやぶさからの信号が受信される。「はやぶさに違いない」管制室は明るさを取り戻した。次にするべきことは、7週間にわたる通信途絶の原因となった姿勢の乱れを立て直すことだ。

 そのために、イオンエンジンで航行するはやぶさの燃料に相当するキセノンガスを噴射した。自動車に例えると、ガソリンを捨てて車体の傾きを修正するようなものだ。非常手段は功を奏したが、19年夏に予定していた帰還は、大幅に延期しなければならなかった。

 機械に込められた「諦めない心」

 さらにイオンエンジンが次々に故障していく...。予備を含めて4台あったイオンエンジンのうち、1台は打ち上げ直後に故障。姿勢制御用のリアクション・ホイール(はずみ車)も3台中2台が往路で壊れ、交信復旧後の19年4月にも、新たなトラブルでイオンエンジン1台がダウンした。

 2009年11月4日、残されたイオンエンジン2台のうち1台が異常停止した。残り1台では推進力が足りず、地球への帰還は絶望的になった。「ついに来たか。何とかして復活させないと」

 イオンエンジンの開発を担当したJAXA教授、国中均が思いついたのは、故障したエンジン2台の生き残った部分を組み合わせ、1台のエンジンとして活用する方法だった。

 この方法は、設計段階で想定済みだった。イオンエンジンを製造したNECのマネージャー、堀内康男は「限られた重量でトラブルをしのぐために可能性を模索した」と話す。

 つなぎ合わせたエンジンの起動は、ぶっつけ本番。東大で堀内の先輩だった国中は「想定通りに動いたときは、これで正月が送れると思った」と笑う。

 絶望的な状況をその都度乗り越えて、はやぶさは不死鳥のように飛び続けた。「運用継続をあきらめたことは一度もない」と、チームを率いる川口は力を込めた。

 到着する頃には日本国民の多くが応援していた。もはや単なる精密機械とは言えない、何か国民に最も愛された象徴になっていた。今回のはやぶさ2でも、サンプルリターンに成功し、コロナ禍で元気のない日本に誇りと元気を取り戻すきっかけになってほしいと願う。

 はやぶさ2の目的と経歴

 はやぶさ2は、小惑星探査機「はやぶさ」(第20号科学衛星MUSES-C)の後継機として宇宙航空研究開発機構 (JAXA) で開発された小惑星探査機である。地球近傍小惑星 「リュウグウ」への着陸およびサンプルリターンが計画されている。「はやぶさ2」という名称は探査機を用いる小惑星探査プロジェクト名にも使われている。

 はやぶさ2は、2014年12月3日に種子島宇宙センター大型ロケット発射場からH-IIAロケット26号機で打ち上げられた。
世界で初めて小惑星の物質を持ち帰ることに成功した探査機「はやぶさ」の後継機で、初号機が小惑星往復に初めて挑んだ「実験機」だったのに対し、有機物や水のある小惑星を探査して生命誕生の謎を解明するという科学的成果を上げるための初の「実用機」として開発された。

 基本設計は初代「はやぶさ」と同一だが、「はやぶさ」の運用を通じて明らかになった問題点を解決した改良機となっている。サンプル採取方式は「はやぶさ」と同じく「タッチダウン」方式であるが、事前に爆発によって衝突体を突入させて直径数メートルのクレーターを作ることにより、深部の試料を採取できるようにした。

 採取した物質は耐熱カプセルに収納して、地球に持ち帰る予定である。着陸用小型ローバーの「ミネルバ2」(2-1A, 2-1B, 2-2の計3基)、およびドイツとフランスが開発した小型着陸機「マスコット」も搭載した。

 「はやぶさ」がS型小惑星である (25143) イトカワを探査したのに続いて「はやぶさ2」ではC型小惑星であるアポロ群の (162173) リュウグウを探査対象とした。

 リュウグウは、現在軌道が判明している46万個の小惑星のうちスペクトル型が判明している3000個の物の中から、はやぶさクラスの推進力で探査可能でスペクトルがC型であり、タッチダウン運用が可能な自転6時間以上の対象としてほぼ唯一の候補に挙げられたためである。

 なお、2014年はリュウグウへ到達するために極めて望ましい打上げウィンドウ(打上げ期間)であった。次回のリュウグウへの打上げウインドウは10年後まで訪れない。

 はやぶさ2計画には新たな生命の起源についての新たな知見をもたらす可能性がある。アミノ酸は探査機スターダストで以前にも彗星の尾から採取されているが、はやぶさ2が目指すリュウグウはC型小惑星と呼ばれる炭素を多く含む炭素質コンドライト隕石と似た物質で出来ていると考えられる小惑星で、一部の炭素質コンドライトと同様に有機物を含有する可能性がある。

 地球近傍に存在する小惑星が有機物を含むことが実証されれば、これらが隕石として地球に落ち生命の起源に寄与したという仮説が成立することとなる。

参考 NHK: はやぶさ2のニュース

  

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