「低温物理学」とは何か?

 1978年のノーベル物理学賞の受賞理由は「低温物理学の分野における基礎的発明と諸発見」である。

 文字通り低温の世界の現象を研究する学問が低温物理学である。ペンジアスとウイルソンは極低温状態である宇宙空間に関する研究で、カピッツァは極低温下における液体ヘリウムのふるまいについての研究でノーベル賞を受賞している。

 日常生活では氷点下になると氷ができる。そのため雪が降ったり積もったり、水道管が凍ったりして生活に支障が出ることがある。

 水は低温下の状態変化により様々な現象が起きるが、これは水だけに限ったことではない。低温にすると、様々な物質で様々な現象が起きる。我々はその現象を解明している段階にある。

 低温物理学における低温とは、絶対零度(摂氏マイナス273.15度)あるいはこれに近い温度環境下における物理学の研究をいう。これは氷ができる温度よりもはるかに低い。

 絶対零度は絶対温度における基準温度かつ最低温度であり、0K°と記される。かつては絶対零度の状態は原子の振動が停止し、エネルギーが最低となった状態とされた。しかし、量子力学では原子の振動が完全停止する事はないとしている。

 さらに熱力学第3法則により、絶対零度は実現されないとされてきたが、2013年にマックスプランク研究所とルードヴィヒマクシミリアン大学ミュンヘンの研究チームが絶対零度を下まわる温度の原子ガス作製したと報告した。

 つまり絶対零度はエネルギーの最低状態を意味するものではなかった。これを利用することで、熱効率が100%を越す夢のような内燃機関の可能性がある。大きなパラダイムシフトである。

 ヘリウム4の超流動

 このような、極低温下では通常観察されない物理現象が見られる。

 ヘリウムの同位体であるヘリウム4は絶対温度でも固体にならず、液体として存在する。そして2.17K° で超流動の状態となる。超流動になると、ヘリウム4は容器の壁を登ったり、原子1個分の小さな穴さえも通ることが可能になる。

 1937年にカピッツァはこの現象、ヘリウム4の超流動を発見したことで1978年のノーベル賞を受賞した。ちなみにヘリウム4の超流動を理論的に説明したのがランダウである。ランダウはこの業績により、1962年ノーベル賞を受賞している。

 ヘリウムの超流動の状態を作り出し、これを制御できるようになることで、多くの応用研究が期待されている。超伝導磁石の可能性化、宇宙機器の性能や信頼性の向上、コストダウン、地球の回転速度を測るジャイロスコープの製造などがその一例である。

 宇宙の温度は絶対温度 3K°

 宇宙の温度は何度だろうか?驚いたことに宇宙空間は真空で物質はほとんど存在しないにも関わらず、温度が存在する。宇宙の温度は絶対温度で 3K°(ケルビン)、摂氏マイナス270℃といわれている。

 これを宇宙背景放射または、宇宙マイクロ波背景放射(cosmic microwave background ; CMB)ともいう。これは、天球上の全方向からほぼ等方的に観測されるマイクロ波であり、そのスペクトルは2.725K°の黒体放射に極めてよく一致している。

 宇宙の温度...この由来は宇宙の始まりである爆発(ビッグバン)だとされる。ビッグバンは宇宙の始まりの時に生じた爆発で大量の熱を放出した。その名残がCMBだという。広大な宇宙でも僅かに温度が存在するということは、宇宙空間は閉じていて有限である証拠ではないだろうか?もし宇宙が無限であるのならば、熱は無限の彼方に逃げていき、温度は存在しないだろう。

 コスミックマイクロウエーブの発見

 ベル電話研究所(現在のベル研究所)の研究員だったペンジアスとウィルソンは、超高感度マイクロ波アンテナを使い、アンテナの雑音を減らす研究に取り組んでいた。

 1964年、2人はこの高性能アンテナの設置作業を行っていたときのことである。2人は説明のつかない通信ノイズを受診する。研究所はニュージャージー州にあり、そのため大都市ニューヨークから発生したノイズを拾っていると彼らは考えたが、調査の結果、地上のノイズ説は誤りであることが判明した。

 さらに超高感度低温マイクロ波アンテナに付着していた鳩のフンを始め、ノイズの発信源となりそうなものを全て除去したにもかかわらず、状況は変わらなかった。

 この現象は1940年代に予言されていた「宇宙マイクロ波背景放射(CMB)」であることが後に判明する。CMBは天球上のすべての方向から地上に降り注ぐマイクロ波のことで、宇宙が誕生して膨張を始めたビックバンの証拠であり、もともとは宇宙の誕生から380,000年後に放たれた光であったと考えられている。

 彼らのCMB発見によって、ビックバンを否定する説は影をひそめ、宇宙についての多くの仮説の指定されたり、事実として認識されるようになった。

 また今日では「ビックバン理論」の有力性はますます強固になっている。2013年には欧州宇宙機関(ESA)の人工衛星「プランク」が測定した全天マップが発表され、宇宙の年齢が138億歳に訂正されている。

 ピョートル・カピッツァ

 ロシア帝国のクロンシュタットに生まれた。サンクトペテルブルクで、アブラム・ヨッフェに学び、1921年から1934年までイギリスのキャベンディッシュ研究所などで、アーネスト・ラザフォードのもとで研究した。

 1923年に学位を得、実験物理学者として高い評価を得るようになった。1934年に休暇でソビエトに帰ったカピッツァをスターリンは出国を許さず、彼のための研究所を設立させた。

 ラザフォードは、仕方なくカピッツァが使うことになっていた実験設備をケンブリッジからモスクワまで送った。カピッツアは1937年にヘリウム4を液化し、超流動性を示すことを発見した。

 1939年膨張タービンを 使う気体液化装置を発明し、ソビエト重工業の発展に貢献し、そのためソビエト首脳に対して自由な発言の立場を得る。そして、強制収容所にいれられ、のちに1962年ノーベル物理学賞を受賞したレフ・ランダウを釈放させるよう嘆願することになる。

 やはり「ヘリウム4」の研究をしていたレフ・ランダウは、1938年4月28日、同僚のYuli B.Rumer、Moisey A Koretsと共に逮捕された。その罪状はスターリニズムとナチズムを比較し、スターリンを批判するビラを作成したことであった。ランダウは内務人民委員部(NVKD)のルビャンカ刑務所で服役し、上司である同研究所長のピョートル・カピッツァによる懸命な嘆願活動により1939年4月29日に釈放されている。

 カピッツァはスターリンに書簡を送り、個人としてランダウの行動を保証し、ランダウが釈放されなかった場合は研究所を辞任すると脅迫したのだ。この時代にロシアの政治指導者を脅迫できる人がいたとは驚きだ。

 1941年、ランダウはカピツァが発見した「ヘリウム4」の超流動現象を理論的に説明する論文を発表した。この論文は、その後の物性物理学の基礎的概念となる準粒子の概念を導入している。またこの論文では、ヘリウム4の波動伝播において「第二音波モード」の存在を予言しており、この「第二音波モード」は1944年に実験的に観測された。

 カピッツアはモスクワ物理工科大学で長く教鞭を執った。しかし、長い海外生活の影響からか、政府高官に数多くの手紙を送って何か要求するなど自由奔放に振舞った。カピッツァは、全般的にスターリンをはじめとするソ連指導部の覚えが悪かった。

 フルシチョフもその回想記の中でカピッツァについて特に触れて、「大科学者だが無礼な男だった」と回想している。カピッツァはベリヤとも喧嘩して、ソ連の原爆プロジェクトに参加することを拒否した。1929年王立協会外国人会員選出。1978年のノーベル物理学賞のほか、数度のソビエト連邦国家賞、レーニン賞を始め、多くの賞を受賞している。

 ノーベル賞と全体主義

 いつの時代も人権の侵害が問題になっている。現在も多くの人が、自由を奪われている。自由を制限するのが「全体主義」という考えである。第二次世界大戦前、カッピツァをはじめ、多くの科学者が自由に研究できる環境を求めて、ロシアやナチスドイツから米国など自由主義諸国へ逃げ出した。

 第二次世界大戦は終わり、ナチスドイツによる全体主義は崩壊した。しかし、全体主義の国はいくつか残った。問題は解決していない。全体主義国の主張は全体の平等を維持するために科学技術だけでなく、宗教、政治、経済あらゆる面で国が管理し、規則をつくり制限しようとする。

 そして国が決めた規則があれば、自由を奪い人権を侵害する。それは全体のために必要だから仕方がない「必要悪」である...という。他国は「内政干渉」しないでほしい...という論理は今も昔も変わっていない。

 日本の近隣ではこうした全体主義の国が複数存在しており、これが当面の問題になっている。そこでは、法規で日本のものと思われたものも奪うことができる。例えば竹島問題、尖閣諸島問題、日本人拉致問題などである。日本はこれに対して、どうしていけばいいのだろうか?

 日本は法治国家という名の全体主義の国であるが、かろうじて憲法9条により、戦争放棄がうたわれ、武力による解決ができないため、この問題に対し何もできないでいる。憲法9条のない全体主義で対抗しようとすれば、どこまで行っても平行線であり、また戦争をするかもしれない。全体主義は結局、多くの矛盾を抱えている。

 問題は全体主義が、なぜ他国にまで進出しようとしているか、その分析ができていないことにある。全体主義の国は国内に問題があり、それから指導者が外に目を向けさせるために行っているフェイクモーションに過ぎない。結局、全体主義自体が間違えだと気づくまで、人類はこの問題を抱え続けることになる。

 アーノ・ペンジアスとロバート・W・ウィルソン

 ペンジアスはドイツのミュンヘンに生まれた。6歳の時に、ナチスによる迫害から逃れるためにユダヤ人の子供達を外国へ避難させるKindertransport によってイギリスに逃れた。ペンジアスが脱出した6ヵ月後に両親もドイツを離れ、1940年に一家はアメリカニューヨーク市のガーメント地区に移住した。1946年にペンジアスはアメリカに帰化した。

 1954年にニューヨーク市立大学シティカレッジを卒業、1958年にコロンビア大学で修士号を取得し、1962年に博士号の学位を得た。ホルムデルのベル研究所にある15メートルホーンアンテナ。ペンジアスはニュージャージー州ホルムデルのベル研究所に就職し、そこでロバート・W・ウィルソンとともに、電波天文学の観測のための超高感度低温マイクロ波アンテナの研究を行なった。

 1964年、この高感度アンテナの設置中に二人は説明のつかない電波ノイズに出会った。そのノイズの強度は天の川銀河からの放射よりも強いものだったため、二人はアンテナ設備が地上の雑音源からの干渉を受けていると考えた。しかし調査の結果、電波ノイズがニューヨーク市からのものであるという仮説は否定された。

 マイクロ波ホーンアンテナを調べたところ、アンテナに鳩の糞(ペンジアスは論文の中で「白い誘電性の物質」と記している)がたくさん付いていた。糞を掃除すればノイズはなくなると考えた二人はホーンアンテナに溜まった糞を掃除したが、ノイズは消えなかった(二人は互いに、糞掃除を言い出したのは自分ではないと言っている)。

 考えられる干渉源は全て取り除いたがノイズは消えなかったため、二人はこの発見を論文に発表した。後に、この放射こそがビッグバンの名残の電波である宇宙マイクロ波背景放射であることが明らかとなった。

 この発見によって天文学者はビッグバン仮説の正しさを確信するようになり、初期宇宙についてのそれまでの多くの仮説が修正された。1978年、ペンジアスとウィルソンはピョートル・カピッツァとともにノーベル物理学賞を受賞した。カピッツァの業績は極低温の世界の研究であるが、ペンジアスとウィルソンの仕事とは別である。

 二人はその前年にはヘンリー・ドレイパー・メダルを受賞している。1998年には、IRIメダル受賞。

 ウイルソンは1964年に宇宙マイクロ波背景放射を偶然発見した業績によって、1978年にウィルソンはペンジアスとともにノーベル物理学賞を受賞した(この年の物理学賞はピョートル・カピッツァとの共同受賞である)。

 ニュージャージー州ホルムデルのベル研究所にあった新型アンテナを使った研究中に、彼らは空に説明できない電波ノイズ源があることを発見した。

 このアンテナに付いていた鳩の糞を取り除き、その他考えられる全ての雑音源を特定した後、最終的にこのノイズがCMBであることを突き止めた。この発見はビッグバン理論の重要な確証とされた。

 ウィルソンはライス大学で学部時代を過ごし、優等学生の友愛会であるファイ・ベータ・カッパに入っていた。卒業後はカリフォルニア工科大学で学位を取得している。

  

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