2020年、コロナ禍でのノーベル化学賞

 2020年10月コロナ禍の中で、ノーベル賞の発表があった。2020年のノーベル化学賞は「ゲノム編集技術」であった。受賞したのは、ドイツ、マックスプランク感染生物学研究所のエマニュエル・シャルパンティエ所長と米カリフォルニア大学バークレー校のジェニファー・ダウドナ教授であった。女性のノーベル賞受賞は全体のわずか 5%。その中で女性2人だけのノーベル賞同時受賞は珍しい。

 受賞研究「ゲノム編集技術」とは何だろうか?2人は細菌の免疫システム「CRISPER/Cas」(クリスパー・キャスナイン)をゲノム編集に応用する技術を開発し、生命科学に変革をもたらした。

 「CRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)」とは、遺伝子の「はさみ」であり、DNAを目標とする場所で切断することができる。これに使用されているのが、DNA分解酵素(ヌクレアーゼ)である。

 1978年のノーベル生理学医学賞との接点

 1978年のノーベル生理学医学賞の受賞は、このゲノム編集につながる研究に贈られた。受賞理由は「制限酵素の発見と分子遺伝学への応用」である。受賞したのはスイスの微生物学者アーバーと米国の微生物学者スミスとネイサンズである。

 分子遺伝学とは、DNAやRNAといった分子をベースに、遺伝や生物の根幹を解明する学問で、現代医学を理解するために必要不可欠な分野である。

 進化や種の文化を遺伝情報からアプローチしていく手法は、遺伝学の研究の大きな基礎となっている。制限酵素とは酵素の一種で、特定のDNAの2本の鎖を切断する。体内に入った外来のDNAを認識して切断する、一種の防護機構として働く。

 例えば、体内に侵入してきたウィルスに感染した大腸菌を切断して、ウィルスの増殖を抑える...といったようにである。

 バクテリオファージの増殖に制限をかける大腸菌の酵素が知られており、こうした大腸菌が体内に侵入してきたDNAを切断する、と言うことから制限酵素と言う名前が与えられた。

 Ⅰ型制限酵素

 制限酵素は、現在では4つの型(Ⅰ〜Ⅳ型)に区分され、このうちⅡP型が遺伝子操作に使われる(分類もⅠ〜Ⅲの3つとする考え方もある)。ⅡP型は回文構造のDNAを認識、そのDNAの2本の鎖のそれぞれを対照的な特定部位で切断する。

 アーバーはチューリヒ工科大学(スイス連邦工科大学チューリヒ校)で物理と化学、さらにジュネーブ大学大学院でバクテリオファージの研究を行い、博士号を取得した。

 バクテリオファージの研究を続ける中、ある種の大腸菌にはマクロファージのDNAを分解する拡散分解酵素が含有されていることを発見して、これに制限酵素と名付けた。

 アーバーが発見したのはⅠ型の制限酵素で、彼は制限現象の機構を解析した。また大腸菌のDNAは自分の制限酵素による分解を避けるため、他の酵素で修飾されていると考えた。この酵素はDNA修飾酵素と呼ばれている。

 Ⅱ型制限酵素

 ニューヨーク生まれのスミスは、イリノイ大学、カリフォルニア大学バークレー校を経て、ジョンズホプキンズ大学で医学を修めた。医師として働いた後にミシガン大学で研究助手となり、1967年からジョンズホプキンズ大学医学部で助教授となった。

 彼はインフルエンザ菌を用いて別の制限酵素を発見する。この酵素はⅡ型と言われるもので異種のDNAに置いて特異的な2本鎖を切断するDNA分解酵素だ。彼の発見により、制限酵素の研究が進むことになった。

 ネイサンズはデラウェア大学で科学、哲学、文学を学び、セントルイスのワシントン大学で医学の学位を取得した。その後ロックフェラー研究所を経て、ジョンズホプキンズ大学医学部で助教授となった。

 1969年にジョンズホプキンズ大学の同僚であったスミスがインフルエンザ菌の制限酵素を分離したことを踏まえ、この考え方を自らの研究テーマであるDNA腫瘍ウィルスに応用することを考えた。

 分子遺伝学の基礎研究

 ネイサンズはⅡ型制限酵素を使い、SV 40 (腫瘍ウィルスで発がん性があるとされる)のDNAを切断、その折の地図を作成して配列順序を決定することで、遺伝子構造を解明した。

 SV 40 は発がん性ウイルスの中では構造がもっとも単純なため、ネイサンズの手法は他の研究者にも採用され、その他の遺伝子構造のために利用されている。現在では外来遺伝子を特定するベクターとしても使用されている。

 彼らの研究によって制限酵素を利用できることになった事は、現在の分子遺伝学の基礎となっている事は言うまでもない。

 これにより遺伝子の解析だけなくでなく遺伝子治療や遺伝病の診断、さらに遺伝子の組み換えが可能になった。

 ヴェルナー・アーバー

 ヴェルナー・アーバー(Werner Arber, 1929年6月3日 - )は、スイスの微生物学者、遺伝学者。1978年、制限酵素の発見の業績により、アメリカ合衆国の微生物学者のハミルトン・スミス、ダニエル・ネイサンズと共に、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。制限酵素の発見は組み換えDNAの技術に発展を齎した。

 1949年から1953年まで、スイス連邦工科大学チューリッヒ校で化学と物理学を学ぶ。1953年末、ジュネーヴ大学で電子顕微鏡法の助手手当を受けるも、しばらくして電子顕微鏡法から離れ、バクテリオファージの研究に移り欠損ラムダプロファージ変種に関する論文を執筆する。

 1958年、ジュネーヴ大学で博士号を取得した。その後、1958年の夏に渡米し、南カリフォルニア大学でジョー・ベルターニとファージ遺伝学の研究に携わった。1959年末、ジュネーヴ大学からオファーを受け1960年初頭に帰国。カリフォルニア大学バークレー校でギュンター・ステント、スタンフォード大学でジョシュア・レダーバーグ、マサチューセッツ工科大学でサルバドル・ルリアにそれぞれ師事した「非常に実り多き数週間」を過ごした直後の出来事であった。

 ジュネーヴ大学に戻ると、アーバーは物理学研究所の地下の研究室で研究の傍ら、多くの優秀な大学院生やポスドク研究員を育てた。1965年、ジュネーブ大学の分子遺伝学員外教授に昇格。その後、1年間カリフォルニア大学バークレー校分子生物学科客員教授を務め、1971年にバーゼル大学に移った。バーゼル大学では新設されたばかりのバイオセンターに勤めた。

 バイオセンターは生物物理学科、生物化学科、微生物学科、構造生物学科、細胞生物学科、薬学科が拠点を置いており、学際的研究を促す目的で建設された。現在、アーバーは結婚し、2人の娘を持つ。

 ダニエル・ネイサンズ

 ダニエル・ネイサンズ(Daniel Nathans、1928年10月30日 - 1999年11月16日)はアメリカ合衆国の微生物学者。1978年に制限酵素の発見と分子遺伝学への応用により、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 デラウェア州ウィルミントンにて、ロシア系ユダヤ人の移民の両親からの九人の子供の末っ子として生まれた。世界恐慌にて父が小企業を失い、長い間失業していた。デラウェア大学に進学、化学、哲学、文学を学ぶ。1954年、ミズーリ州のセントルイス・ワシントン大学より、M.D.を受け取る。その後、1959年までコロンビア大学附属病院に医師として勤務した。1978年に制限酵素の発見と分子遺伝学への応用により、ノーベル生理学・医学賞を受賞する。

 ハミルトン・スミス

 ハミルトン・オサネル・スミス(Hamilton Othanel Smith、1931年8月23日 - )はアメリカ合衆国の微生物学者。

 ニューヨーク市生まれ。University Laboratory High School of Urbana, Illinoisを卒業後、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校に入学するが、1950年にカリフォルニア大学バークレー校に移り、1952年に数学でB.A.を取得。

 1956年にジョンズ・ホプキンズ大学にて医学の学位を取得。 1978年にダニエル・ネーサンズ及びヴェルナー・アーバーと共にタイプII制限酵素の発見により、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

  彼はその後ゲノミクスの初期の中心人物となり、1995年、ゲノム科学研究所(The Institute for Genomic Research:TIGR)の彼のチームは、初めて微生物(インフルエンザ菌,インフルエンザウイルスではないことに注意)のゲノムの配列を決定した。

  

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