宇宙へようこそ

 2021年9月16日午前9時頃、アメリカのスペースX社が民間人4人を乗せたクルードラゴン宇宙船を打ち上げた。民間人だけの宇宙旅行は人類史上初のことである。

 この時、すでに宇宙にいて「宇宙へようこそ」とツイートした日本人がいた。いったい、それは誰?

 ISS、国際宇宙ステーションに滞在中の星出宇宙飛行士がその人。星出彰彦宇宙飛行士は、2021年4月24日同じ民間の宇宙船スペースXに乗って、国際宇宙ステーションに到着、11月上旬までの予定で滞在中だ。

 民間人宇宙船クルードラゴンは、その後、約3日間の地球周回を終え、19日午前にフロリダ沖の大西洋に無事着水した。今後、たくさんの人たちが気軽に宇宙旅行できる時代がやってくるのかもしれない。

 日本人最長の船外活動

  国際宇宙ステーション(ISS)に船長として長期滞在中の宇宙飛行士、星出彰彦さん(52)は日本時間12日夜から13日未明にかけ、船外活動を行っている。フランス人飛行士とペアを組んでリーダー役となり、新型太陽電池パネルの取り付け準備作業などを完了した。

 日本人の船外活動は3月の野口聡一さん(56)に続き11回目。4回目となった星出さんは累計の船外活動が28時間を超え、野口さんを抜き日本人最長となった。

 星出さんとトマ・ペスケさん(43)は減圧症予防の準備を経て、12日午後9時15分に船外活動を開始した。米航空宇宙局(NASA)は経年劣化した太陽電池パネルの出力を補うため、新型パネルを追加する作業を進めている。今回はISSに8セットある既存パネルのうち1つの根元に、新パネルを加えるための架台を取り付けた。3月に野口さんも、同様の作業を別のパネルで行っている。

 2人は続いて、ISSの電位を測定する装置の交換を行った。宇宙での太陽電池パネルの帯電や放電対策の研究用にデータを取得するものだが、故障を受け新品に取り替えた。星出さんは時間に余裕がある場合に行う追加作業として候補に挙がっていた、船外への出口の扉にあるヒンジ部分のピンの交換も実施した。

 6時間54分に及ぶ作業の後、13日午前4時9分に活動を終了。星出さんの船外活動は累計28時間17分となり、4回で27時間1分の野口さんを上回って日本人最長となった。

 国際宇宙ステーションで対面

 日本人宇宙飛行士の星出彰彦さんが、宇宙ステーションに到着したのは今年4月24日。

 4人の飛行士を乗せた民間の宇宙船スペースXが、国際宇宙ステーションに到着し、日本時間の24日午後9時前に星出さんたちは宇宙ステーションに乗り込み、出迎えた野口聡一さんと笑顔で抱き合った。

 星出さんの宇宙飛行は3回目で、日本人2人が同時に宇宙ステーションに滞在するのは2010年の野口さんと山崎直子さん以来、11年ぶりのこと。

 その後、宇宙ステーションに滞在している7人の飛行士と到着した4人の、合わせて11人がそろって歓迎のセレモニーが行われ、星出さんはラグビーに例えて「4か国11人のメンバーでスクラムを組んで、一丸となってミッションを果たしたい」と意気込みを語りおよそ半年間の滞在がスタートした。

 宇宙ステーションでは日本時間の今月28日に船長の交代式が行われ、星出さんは若田光一さんに続いて日本人としては2人目となる船長に就任している。

 一方の野口さんら5か月余り滞在してきた4人の飛行士は、日本時間の4月28日に宇宙ステーションを離れ、翌日の29日に地球に帰還した。

 星出宇宙飛行士

 星出さんは2008年にスペースシャトル「ディスカバリー」で初飛行し、ISSに日本実験棟「きぼう」を設置する作業を実施。12年の長期滞在では、ISSの電源装置の交換などのため3回の船外活動を行った。今回が3回目の飛行で、ISSに4月から11月まで約半年間の予定で滞在中。14年の若田光一さん(58)に続く日本人2人目の船長を務めている。

 東京都世田谷区生まれ。3歳から7歳までアメリカに在住していた。母親によれば、4歳の時にスミソニアン博物館を訪れて以来、宇宙飛行士となる夢を抱き続けていたという。

 1981年、世田谷区立二子玉川小学校卒業、1984年、茗溪学園中学校(茨城県つくば市)卒業、同高等学校入学。中学・高校時代は水泳部に所属。高校2年在学中の1985年、UWC(ユナイテッド・ワールド・カレッジ)へ留学。

 1987年、シンガポールの東南アジア・カレッジ(United World College of South East Asia)卒業。茗溪学園ではUWC留学の時点で、高等学校を自主退学する形になるが、UWC卒業と同時に、在籍時の学年クラスの卒業生と同等に扱われる(6回生)。このため、大学受験資格は国際バカロレア資格の後期中等教育課程修了が適用される。

 1988年、慶應義塾大学理工学部機械工学科入学。大学の卒業研究は流体力学が主なテーマだった。前田昌信・菱田公一教授の研究室の出身。4年生時に宇宙飛行士の募集広告を見て、当時応募資格を満たさないにも関わらず、直接NASDA(現JAXA)へ相談。結局このときは応募を断念した。

 1992年宇宙開発事業団(NASDA、現JAXA)に就職。1996年宇宙飛行士に立候補するも、最終選考で落選。この時に選ばれたのは野口聡一だった。

 1997年UNIVERSITY OF HOUSTON CULLEN COLLEGE OF ENGINEERING航空宇宙工学修士課程修了。

 1999年日本人宇宙飛行士の応募者864名の中から候補者として採用される。実質3度目の挑戦での採用だった。

 2007年3月23日、JAXAが、「きぼう」日本実験棟打上げ2便目のスペースシャトル(STS-124/1J)に搭乗する日本人宇宙飛行士に採用される。

 ラグビーとの関わりが深い。茗溪学園時代は校技として毎年授業や突寒ラグビーを経験しており、大学時代にはラグビー部に所属していた。そのため、2008年に宇宙に行く際、ラグビーボールを持参して宇宙でパスをしたいと語っていた。

 宇宙での自由時間に持参したラグビーボールを投げてみた結果、地上だと放物線を描くが宇宙では同じようにはいかず「つい、狙ったところよりも上側に投げてしまった」と振り返った。

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)のホームページでは2007年7月から「星出宇宙飛行士ジャーナル」と題して頻繁にブログを更新している。訓練の様子やミッション関係者への感謝の気持ちが自由につづられており、『完璧な人間』という宇宙飛行士像から、『親しみやすく、かつ技術能力の高い』新たな宇宙飛行士像へと移行していく様子から星出宇宙飛行士の人間性がうかがえる。