ロゼッタストーンとは何か?

 有名なロゼッタストーンとは何だろうか?

 ナポレオンがエジプトに遠征したときに発見した、文字の書いてある石片?...とまでは知っているけれど、その意味は?...思い出せなかった。

 ロゼッタストーンは大きな石碑の破片にすぎないが、その表面に刻まれた文字や記号は、学者が古代エジプトの文字体系を解読し、ひいては古代エジプト文明の多くの謎を解き明かすのに役立った重要な働きをした。

 それまでは有名なエジプトのピラミッドや王家の墓、世界の四大文明の一つとされながら、そこに刻まれたエジプト文字を誰も読むことができなかった。

 発見されたのは、1799年7月19日、エジプトのラシード(ロゼッタ)と呼ばれる町で、フランス軍の士官ピエール=フランソワ・ブシャールが、のちに世界を変えることになる古代の石板を発見した。

 その後、ロゼッタストーンは英国に渡り、23年後の1822年、解読したのはエジプト学の創始者として知られるフランス人のジャン=フランソワ・シャンポリオンだった。

 それでは、ロゼッタストーンは何故、エジプトの古代文字を解読するためのきっかけとなったのか?謎を解く旅に出かけることにしよう。

 古代エジプトの象形文字「ヒエログリフ」

 ロゼッタストーンに刻まれていたのは、エジプトの古代文字「ヒエログリフ」であった。

 「ヒエログリフ」とは、ヒエラティック、デモティックと並んで古代エジプトで使われた3種のエジプト文字のうちの1つ。エジプトの遺跡に多く記されており、紀元4世紀頃までは読み手がいたと考えられているが、その後読み方は忘れ去られてしまった。

 ヒエログリフと聞いても、ピントこないかもしれないが、古代エジプトの象形文字(絵文字)で、エジプトの遺跡に刻まれた、ワシとかフクロウとか、王冠、穂...などの絵を模った文字、というと誰もが見たことがあるに違いない。

 これはギリシャ語のヒエロス(聖なる)とグリフォ(彫る)という二つの言葉から来ている。実際には、エジプト語の書体を示す言葉であり、漢字でいえば楷書に相当するだろう。

 現代の学者たちは、単純にエジプト語(Egyptian)と呼んでいる。時代によって書き方や文法などが変わるため、中エジプト語(Middle Egyptian)、末期エジプト語(Late Egyptian)などに区分されている。

 映画「天空の城ラピュタ」に出てきたムスカ大佐を覚えているだろうか? 悪役ではあったが、手帳を片手に、ラピュタ語を「読める! 読めるぞ!」と興奮していた文字だ。

 ヒエログリフの歴史

 ヒエログリフがいつ頃使われ始めたかについてはまだ解明されていない。エジプト原始王朝時代以前の紀元前4000年のGerzeh cultureの壷に描かれたシンボルがヒエログリフに似ていることが知られている。

 紀元前3200年頃、上エジプトにあったen:Nekhenの遺構から1890年に出土したナルメルのパレット(英語版)の文字を最古のヒエログリフとする見解が長い間一般的であった。

 中世を通じてもヒエログリフは多くの人々の関心を惹き付けていた。近代に入ると多くの学者達がヒエログリフの解読に挑んだ。特に有名なのは16世紀のヨハンネス・ゴロピウス・ベカヌス(英語版)と17世紀のアタナシウス・キルヒャーであるが、解読に失敗したり、全く根拠のない独自の解釈に終わった。

 初めて解読に成功したのは19世紀のフランス人学者ジャン=フランソワ・シャンポリオンであり、彼はキルヒャーの収集した資料を研究し、ロゼッタ・ストーンの解読を行うことで読み方を解明した。これが突破口になり、その後も研究が進んだため、現代ではヒエログリフは比較的簡単に読むことができる。 

 ロゼッタストーンの発見はフランス

 1799年7月19日、エジプトのラシード(欧州ではロゼッタと呼ばれる)という町で、フランス軍の士官ピエール=フランソワ・ブシャールが、のちに世界を変えることになる古代の石板を発見した。彼の部隊は考古学の発掘調査をしていたわけではない。荒廃した砦を占領していた彼らは、オスマン帝国軍との戦いに備え、守りを固めようとしていたのだ。

  砦の近くにある古代エジプト遺跡の瓦礫を利用した壁を壊していたブシャールたちは、偶然、古代ギリシャ語を含む3種類の文字が書かれた大きな石板を発見。3つの言語で同じことが書かれているのではないかと考えたブシャールは、エジプトの遺跡の調査に来ていたフランス人の学者にこの発見を伝えた。

 この発見はブシャールたちが考えていた以上のものだった。高さ110cm、幅75cmの石板は「ロゼッタストーン」と呼ばれるようになり、黒い表面に丁寧に刻まれた文字や記号は、古代エジプト文明の栄光を現代に蘇らせることになった。

 ファラオを称えよ忠誠を誓え

 まずは、文字を解読しなければならなかった。ロゼッタストーンは、大きな石碑の一部であるため、石に刻まれた文章は不完全だ。それでも、はかりしれない価値がある。

 後に、石には、紀元前204年に即位したエジプト王プトレマイオス5世エピファネスを崇拝せよという布告が刻まれていることが判明した。当時のプトレマイオス朝エジプトは戦争と内乱に明け暮れていた。

 ロゼッタストーンに刻まれた法令は神官たちが制定したもので、ファラオを称え、忠誠を誓うように命じている。同じ内容がヒエログリフ(聖刻文字とも言われる象形文字)、デモティック(民衆文字と言われる表語文字)、古代ギリシャ文字の3種類の文字で刻まれていて、エジプトのすべての神殿に同じ石碑が置かれた。

 ロゼッタストーンはイギリスへ

 1798年、ナポレオンはフランス軍を率いて、当時オスマン帝国の一部であったエジプトを占領した。遠征軍には科学者や歴史家も同行していて、現地で発見したものを記録していった。

 エジプト学者たちはフランスに持ち帰りたい古代の遺物を大量に集めていて、その中にロゼッタストーンがあったのだ。

 当時の英国はエジプトを虎視眈々と狙っており、1801年にフランス軍は英国軍に降伏する。フランス軍は帰国こそ許されたが、古代遺物のコレクションは英国に引き渡すことになった。こうして、1802年、ロゼッタストーンはロンドンに運ばれると、大英博物館に展示された。

 暗号解読レースの勝者はフランス

 ロゼッタストーンは美しいだけのものではなかった。学者たちは以前から、古代エジプトの石板に記された「ヒエログリフ」と呼ばれる象形文字の意味について頭を悩ませていた。ロゼッタストーンには同じ内容が3つの言語で書かれているため、歴史的な謎を解くカギになると期待された。

 こうしてロゼッタストーンの解読レースが始まった。ヨーロッパ中のさまざまな学者が解読に挑んだが、特に重要な貢献をしたのが英国人とフランス人の二人だった。

 英国のトーマス・ヤングは有名な科学者で、この謎を数学的な問題として捉えた。彼は古代ギリシャ語を翻訳した後、ヒエログリフを写しとり、ヒエログリフと翻訳を体系的に照合しようとした。また、ほかの彫像に刻まれた文字との比較も行った。ヤングは、いくつかのヒエログリフが表す音を特定し、いくつかの文字を解読し、単語の複数形の作り方を解明した。

 だが、1822年、ヒエログリフの解読に成功したのは、エジプト学の創始者として知られるフランス人のジャン=フランソワ・シャンポリオンだった。ヤングがエジプトの言語をまったく知らなかったのに対し、シャンポリオンはエジプト語から派生したコプト語に堪能で、エジプトに関する豊富な知識を持っていた。シャンポリオンは、石碑の3番目の文字であるデモティックが音節を表していて、ヒエログリフがコプト語の音を表していることを突き止めた。

 ロゼッタストーンの暗号を解読したシャンポリオンは、その後、太陽神ラー(この写真)とその娘である女神サテなど、古代エジプトのヒエログリフに登場する神々をまとめた文献を発表した。

 解読に恍惚となったシャンポリオンは「やった!」と叫びながら兄のオフィスに駆け込んで気絶し、5日間眠り続けたという逸話が残っている。

 ロゼッタストーンの遺産

 シャンポリオンは、ロゼッタストーンを利用して象形文字のアルファベットを作って公開した。ほかの学者たちも、シャンポリオンの研究をよりどころにして完全な翻訳を試みた。シャンポリオンの研究の正しさは、その後、ヒエログリフとデモティックと古代ギリシャ語で書かれた別の石碑「カノプス勅令」の発見、そして翻訳による照合で証明されている。

 ロゼッタストーンの翻訳はエジプト学の支柱となり、この象徴的な石碑は歴史上最も重要なものの1つとして評価されている。しかし、ロゼッタストーン自体は、戦争や植民地主義による戦利品の所有権について物議をかもし、今なお議論が続いている。

 これが正しい手続きを経て英国に持ち込まれたものなのか、英国によって盗まれたものなのかという問いへの答えは、質問する相手で違ってくる。ロゼッタストーンのエジプトへの返還を求める声は以前からあるものの、現在も大英博物館に保管されており、年間600万人以上の来館者が見学している。

 一見するとありふれた遺物のようなロゼッタストーンが、解読から2世紀が経った現在でも輝きを失わない理由は何だろう? エジプト学者のジョン・レイ氏は、2007年にスミソニアン・マガジンのベス・パイ=リーバーマン氏に、次のように語った。

 「ロゼッタストーンは、古代エジプトを理解するカギというだけでなく、古代文字の解読のカギでもあります。私たちはエジプトのような巨大文明があったことは知っていても、具体的にはあまり知りませんでした。ロゼッタストーンが解読されたことで、文明が自らの言葉で話せるようになり、突然、古代の歴史の全貌が明らかになったのです」 

 ロゼッタストーンの暗号を解読したシャンポリオンは、その後、太陽神ラーとその娘である女神サテ(この写真)など、古代エジプトのヒエログリフに登場する神々をまとめた文献を発表した。