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尾瀬に訪れる人は年間50万人。今回尾瀬に行ってみて、驚いたのは多くの訪問者と美しい自然である。

人里から遠く、交通の便も悪い所なのに、多くの人が訪れる。にもかかわらず、ほとんど汚されない、昔ながらの美しい湿地帯が存在しているのは不思議な感じがした。

整備された木道の上を多くの人と一緒に歩いたり、多くの人とすれ違った。本当に歩きやすい木道である。ゴミだってほとんど落ちていない。多くの訪問者がいるにもかかわらず、みんなで大切にされている事がわかる。観光地での「ゴミ持ち帰り運動」はここから始まって広がっていったという。
鳩待峠から尾瀬ヶ原に向かう、尾瀬への入り口には外から種が入らないように緑のじゅうたんが敷かれている。尾瀬への入山者はここで足についた泥と種を落としていく。「子供たちに伝えたい、この美しい自然。尾瀬ゴミ持ち帰り運動」とかかれた横断幕がかかげられている。

尾瀬に入って気づくのは、東京電力の表示。疑問に思い後で調べたら、何と尾瀬の70%は東京電力の所有地だという。実は尾瀬の水源は過去何度もダムに利用される計画が持ち上がった。ダム建設のため水没する危機が何度もあった。

明治から大正にかけて、計画が持ち上がったときはとにかく国の国力を高める時期。そのためのエネルギーである電力の確保は第一優先の国策であった。誰もが貧しさから抜け出そうと必死に働いた時代に、尾瀬を守ろうと立ち上がった人物がただ一人いた。

平野長蔵その人である。今日は奇跡ともいうべき、尾瀬の自然保護運動の歴史について調べる。(参考HP Wikipedia・JTB「尾瀬をあるく」)

一人から始まった尾瀬保護活動


尾瀬では自然保護運動がさかんであり、これらの運動の一部は尾瀬の後に他地域で実践されるようになったものも多い。このため、これらの活動について列挙する。

1889年平野長蔵は尾瀬を臨む燧ヶ岳にはじめて登った。尾瀬原ダム計画が立ち上がると長蔵は、一人でこれに反対。1922年より発電所の建設に反対するために、尾瀬への定住を始めたという。

1930年長蔵が亡くなると子の長英が遺志を継ぐ。

1934年に尾瀬が日光国立公園の一部に指定されたがダム計画は実行された。このときマスコミと長英が結成した反対同盟が「日本自然保護協会」の母体となった。

ダム計画は、発電用施設が尾瀬沼南岸に取水口が1つ建設されたのみで、それ以外は建設されなかった。ただし、東京電力は1966年まではこの地に発電所を立てる計画を持っていた。東京電力が発電所建設を正式に断念するのは1996年である。

その後尾瀬が有名な観光地になると、自動車で乗り入れができる、より簡便な観光ルートの建設が開始された。

道路建設の中止


1960年代当時、自動車で入山できる場所は富士見峠しかなかったが、この後、鳩待峠、沼山峠が整備され、峠の頂上付近まで自動車で乗り入れることができるようになった。

この後、三平峠と沼山峠を結ぶ自動車道の建設が始まるが、建設開始直後の

1971年7月25日、平野長英の子の平野長靖が当時の環境庁長官大石武一に建設中止を直訴。5日後、大石が平野とともに現地を視察すると、直後に建設は中止された。竣工した道路の一部は1998年までに廃道になった。

ゴミ持ち帰り運動の元祖


ごみ持ち帰り運動も、尾瀬が元祖であるとされる。1972年に開始され、翌年までにはすべてのゴミ箱が撤去された。ゴミ以外でも、廃棄物は原則として尾瀬には廃棄しないのも特徴である。

公衆トイレの有料化で河川を保護


公衆トイレの糞尿などは、現地で中間処理されたあと、ヘリコプターで回収されたり、パイプラインを通って尾瀬外の河川に流されたりしている。

石鹸など洗剤も使用できない。山小屋の風呂も汗を流すだけで石鹸は使用されない。これは、これらの生活廃水などが自然環境に影響を与えると考えられているためである。

木道の完全整備、湿地帯を完全に保護


木道が整備され、木道以外の場所を歩けないようにしてあるのも、尾瀬の特徴である。当初、木道の目的は、歩行者がぬかるみにはまらないようにするためのものであった。

しかし、1960年代、当時唯一、近くまで自動車で行きくことができた湿原、アヤメ平が登山者により踏み荒らされたことを契機に、尾瀬の全領域で木道が整備され、木道以外の場所は歩けないようになった(一部登山道を除く)。

なお、アヤメ平は1969年から復元事業が開始されている。採取した種子をまき、高山植物を現地で栽培するという方式がとられているが、2005年現在、復元は完了していない。

マイカー規制による大気環境の保全


1999年には自然保護を理由に、乗り合い自動車以外の自動車の乗り入れが一部禁止された。規制は数年かけて徐々に強くなっており、2004年現在、群馬県側入山口では5月から10月のほぼ全日、自家用車の乗り入れができなくなっている。

その他

このほか、1972年には群馬県尾瀬憲章が制定されている。また、1996年には尾瀬保護財団が設立された。

2003年に、長蔵小屋が周辺に廃材などの廃棄物を不法投棄していたことが判明。

2004年、従業員2名に執行猶予付きの有罪判決がおりた。また、山小屋には罰金120万円が命じられた。平野長蔵の精神に背く事件であり、長蔵が生きていたら嘆き悲しんだ事だろう。

 

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