第1回ノーベル物理学賞の研究

 近年の科学技術の発展には目を見張るものがある。世界的には戦争、貧困、宗教・主義主張の違い、地球温暖化など、問題はたくさんあるが、科学技術の発展がそれらの一部を解決してきたのは間違いない。

 例えば戦後の日本は優秀な技術を工夫発明し、勤勉にはたらき、優れた製品をたくさん生み出してきた。それを世界の先進国に買ってもらい貧困から抜け出した。また、宇宙開発では世界の国々が主義主張を越え、協力し合い「国際宇宙ステーション」をつくりあげようとしている。

 近年の科学技術の全部を調べあげることはできないが、ノーベル賞の受賞研究を調べることでその一部を知り、学ぶことができると思う。このシリーズでは世界のノーベル賞に焦点をあて述べていくことにする。(参考HP Wikipedia)

 時代背景

 アメリカでエジソンが1870年代 白熱電球を研究していたころ。1875年イギリスのクルックスはクルックス管を発明した。クルックス管のガラスの中には羽根車が入っており、羽根車は、陰極線をあてると回転した。この実験により、陰極線は帯電した微粒子からなることを明らかにした。  

 1980年クルックスはクルックス管で実験を行うと、周囲の写真乾板を露光させる現象があることに気づいたが、その正体は何であるか深く追求はしなかった。陰極線がクルックス管の中で蛍光を発したとき、X線という目に見えない電磁波が発生していた。

 電磁波が発見されたのは、ドイツのヘルツによって1885年のことであった。陰極線の研究が主流であった当時は、目に見えない電磁波の正体は認識の外にあったのだ。こうしてクルックスはX線発見の機会を逸してしまった。

 それから15年後、同様の現象をレントゲンは見ていた。こんどは電磁波の存在は、レントゲンの頭の中にあった。

 1895年11月5日、ドイツのレントゲンはクルックス管から、目には見えないが光のようなものがでていることを発見した。別の実験で、この光のようなものが手を突きぬけ手の写真をとることができた。

 光のようなものは陰極線のように磁気を受けても曲がらないことから、電磁波であることを確信した。数学の未知の数をあらわす「x」の文字を使い仮の名前としてX線と名付けた。

 X線の正体は?
 
X線の正体、それは放射線である「γ線」の一部である。正体がわかるのは1912年のことであった。放射線は遺伝子に損傷を与えるため「発がん性」を持つので注意が必要である。 

 レントゲンは7週間の昼夜を分かたぬ実験の末、1895年12月28日には早くも論文(Über eine neue Art von Strahlen:新種の光線について)を発表する。後年この発見の時何を考えたか質問されたレントゲンは、「考えはしなかった。ただ実験をした」と答えたという。

 X線の正体は1912年まで謎のままであったが、透過性の高いX線の発見はただちに医学に応用されたため(X線写真)、この功績に対し1901年最初のノーベル賞が贈られる。

 X線の発見は偶然ではなく、またレントゲン一人でなしえたものではない。各国から集っていた研究者たちが研究の努力を重ねた末の発見だった。しかし現在その発見の功績はレントゲンに対して与えられている。X線は、世に出てレントゲン自身の名前がつけられレントゲン(Röntgen Rays)と呼ばれるようになったが、レントゲン本人はレントゲンと呼ばれることを好まず、自らが仮の名とした「X線」と常に呼んでいた。

 もとよりレントゲン一人による発見ではなく、また、科学の発展は万人に寄与すべきであると考え、レントゲンは、X線に関し特許等によって個人的に経済的利益を得ようとは一切せず、1923年ドイツの破滅的インフレの中、無一文でこの世を去る。
 

正常画像と並べてわかる腹部・骨盤部CT

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X線結晶構造解析

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