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栄えある「第1回ノーベル生理学・医学賞」の候補者に日本人の名前があがっていたというと驚く人が多いのではないだろうか?しかし、受賞したのはその人と共同研究をしたドイツ人フォン・ベーリングだけであった。 

その人は誰でしょう?

正解は北里柴三郎博士である。

1890年、北里柴三郎とフォン・ベーリングは世界で始めて血清療法を発見し、ジフテリア毒素と破傷風毒素に対する抗血清を開発した。フォン・ベーリングはジフテリア菌、北里は破傷風菌を発見し、共同で血清療法を発見・研究した。



しかし、受賞したのはフォン・ベーリングだけで、共同受賞とならなかったのは当時は人種差別意識が強かったため受賞候補から外されたともされている。

このときの日本人の悔しさが伝わってくるようであるが、結果よりも北里の残した言葉に学ぶべきことがあるように思う。

開拓 : 「事を処してパイオニアたれ」
科学の世界ではパイオニアとなり独創性に富んだアイディアを持つ。 
報恩 : 「人に交わって恩を思え」
自分を育ててくれた人と社会に感謝し社会に貢献することで、恩に報いる。
叡智と実践 : 「そして叡智をもって実学の人として」
学んで得た知識と技術を実践の場に活かし社会に還元する。
不撓不屈 : 「不撓不屈の精神を貫け」
そのためには、いかなる困難にも屈することなく、果敢にチャレンジする。 (出典: 北里大学HP)

今日は「ジフテリア」と「血清療法」について調べたい。(参考HP Wikipedia・北里大学) 

ジフテリアとは何か? ジフテリア(diphtheria)は、ジフテリア菌(Corynebacterium diphtheriae)を病原体とする急性の感染症。ジフテリア菌が放出するジフテリア毒素によって起こる。感染部位によって咽頭ジフテリア、喉頭ジフテリア、鼻ジフテリアなどに分類できる。

症状
潜伏期間は2〜4日。高熱、喉の痛み、犬がほえるような咳、激しい嘔吐などが起こる。喉頭部の腫脹のため、しばしば気道がつまって息ができなくなることがあり、窒息死することもある。また、心筋炎や神経麻痺を起こすこともある。

発症するのは10%程度で、他の90%には症状の出ない不顕性感染である。そのため、ジフテリア菌が保菌者の咳などによって伝染病飛沫感染することもある。

「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」の2類感染症に指定されており、感染が確認されたら医師は速やかに保健所に届出する義務があり、拡散を防止するため状況に応じて隔離入院させる必要がある。無症状者の場合は入院の対象とならない。

予防法と治療
予防法は、ジフテリア毒素をホルマリン処理して無毒化したトキソイド(ワクチン)の接種。

日本では三種混合ワクチン(DPTワクチン)、二種混合ワクチン(DTワクチン)に含まれている。定期接種の普及している国では症例は稀だがそうでない国では流行がある。

また近年症例の報告されていない日本においても不顕性感染の経歴を示唆する血清検査結果もある。また治療には、ジフテリア毒素に対する中和抗体および、ジフテリア菌に対する抗生物質が用いられる。

血清療法とは何か?


血清療法とは、抗体のある血清を患者に注射し、体内に入った毒素を中和して無力化する治療法である。  

動物(馬など)に、毒素を無毒化・弱毒化した上で注射し、毒素に対する[[抗体]]を作らせる。'''血清療法'''は、この抗体を含む血清を、病気の治療や予防に用いる方法だ。

例えば、マムシやハブ (動物)の毒素に対する抗体を、馬に作らせる。マムシ等による咬傷の際、この血清を患者に投与して治療する。

ただし、馬血清はヒトにとって異物であるので、投与の際にはアナフィラキシー・ショックと遅延型アレルギーに対する十分な注意が必要である。

フォン・ベーリングとは? エミール・アドルフ・フォン・ベーリング(Emil Adolf von Behring, 1854年3月15日 - 1917年3月31日)はドイツの医学者・実業家

西プロシアのハンスドルフ Hansdorf(現ポーランド・ヤントカヴェ Jantkawe)に生まれ、生家が大変貧しかったため学費の要らない陸軍医科専門学校に進学し、軍医として陸軍医務局所属。

創傷に対し有効な殺菌薬はないか検討の上実地で試し、ヨードホルムの殺菌性を発見。 これにより医務局は評価を高め研究者として、薬理学者ピングの元に送られた。

その後、軍を辞めベルリン衛生試験所に移り、ローベルト・コッホの助手として衛生学を学ぶ。

1884年に、フリードリッヒ・レフレル (Friedrich August Johann Loeffler, 1852-1915) がジフテリア菌の純粋培養に成功。当時ジフテリアは、感染すると死亡率40%にもなり、一刻も早い治療方法の確立が望まれていた。

当初、薬物で殺菌を試みたが思うような効果をあげられなかった。 感染しても死に至らないものもいる為、血液中には殺菌を行う化学物質があり、 それらをコッホの4
原則に基づき、純粋培養し感受性宿主へ接種できないかと転換した。

1890年12月4日、ドイツ医学週報第49号に「動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について」を北里柴三郎との共著として発表。第50号において北里との共著ではなく、自身の名前のみでジフテリアについてデータを発表した。

1892年 ベーリング株式会社を設立する
1896年 24歳年下のエルス・スピノラ(Else Spinola) と結婚
1901年 「ジフテリアに対する血清療法の研究」で第一回ノーベル生理学・医学賞を受賞。受賞に際し、自分だけの功績ではなく、北里あっての結果であることを述べたとされる。

死後、免疫学に功績のあった人間に対し賞する、エミール・アドルフ・フォン・ベーリング賞が制定された。また、日本でも名を冠した免疫学賞、ベーリング・北里賞がある。 

北里柴三郎とは? 明治19年からドイツのローベルト・コッホに師事して多くの貴重な研究業績を挙げ、とりわけ破傷風菌純粋培養法と破傷風菌抗毒素の発見は前人未踏のもので、世界の医学界を驚嘆させた。

明治25年帰国、福沢諭吉の援助により芝公園にわが国最初の私立伝染病研究所を創設し、同所が明治32年内務省に移管後も所長として活躍した。この間、香港に流行したペストの調査に出張して短時日でペスト菌を発見した。
 
北里博士は、かねがね伝染病の研究は、衛生行政と表裏一体でなければならず、国立伝染病研究所は内務省所管であるべきであるとの信念をもって伝染病の研究所の運営にあたった。

しかし、大正3年、国立伝染病研究所は突如文部省に移管され、北里博士は素志に反する政府のやり方を承服できず、所長を辞して直ちに私立北里研究所を設立した。

大正6年、福沢諭吉の恩義に報いるため慶應義塾大学医学部を創設し、医学部長として、また顧問として終生その発展に尽力した。また、日本医師会長を始め多くの医学団体の要職に就き、わが国の公衆衛生特に結核の予防のほか、医学、医学教育の発展に大きな足跡をのこした。 

 

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