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1Lのガソリンの価格が170円になった。石油や穀物の値上げが続いている。このような状況を見て、ようやく「第3次石油危機(オイルショック)である」といわれるようになってきた。

先日、国際エネルギー機関(IEA)が国内総生産(GDP)に対する原油購入費の割合が、2008年は第2次石油危機時の水準に迫る見通しであることがわかった。IEAの田中伸男事務局長は「世界は第3次石油危機と言える」と懸念を表明、産油国の生産力増強などが必要との考えを示した。

過去2回の石油危機のときにも、石油価格が高騰しているが、その理由ははっきりしていて、戦争などによる供給不安であった。今回の石油危機が今までと違うのは原因をはっきり特定していないことである。

危機の原因がはっきりしない。いや、世界が原因をはっきりさせようとしていないのかもしれない。日本や産油国は、先物相場への投機マネーの流入が原因だと主張する。米国はあくまで市場原理だという。将来の世界的な需要増加に生産能力が対応できていないと譲らない。巨大な金融産業を抱える米国が、投機原因説を否定するのは無理もない。

原油への影響力を持ち続けたいとの思惑も見える。一時は影響力を失ったかに見えた、国際石油資本(オイルメジャー)は潤沢なもうけを生み続ける。過去に影響力を持っていた石油輸出国機構(OPEC)には、もはや価格を制御する力はない。

過去の危機とは明らかに異なる現象が見受けられる。何よりも心配なのは、先進国の利益最優先で動く企業原理で犠牲にされる、発展途上国の罪のない国民への影響である。

初めから持てる豊かな国民と、日々生きるために精一杯でそれ以外の余裕を持てぬ国民では立場の差は歴然としており、フェアではない。こんな不公平が世界では横行している。そろそろ人類は、人類全体への福祉を第一目標にした企業原理を構築できないものだろうか?

それはインターネット環境を見ても感じる。儲けりゃ何やってもいいの?執拗に送られてくる迷惑メールや悪徳商法など野放し状態で、秩序がない。

また、世の中に不平不満を持つ人たちが掲示板に不平不満を書き込んだり、犯罪に利用したりする。これらがインターネット環境を悪くする原因である。もっと法的規制を設けて、厳しく取り締まるべきだと思う。

一方で国は、不平不満に対する精神的なケアを、どうしていくかも重要な問題である。自殺者の数も10年連続3万人を超すという。単に国民の努力が足りないといえなくなってきている現状がある。国民は癒しを求めているのだ。

具体的な方法が見つからなければ、宗教的教育を導入していく国策も必要であると思う。現に過去、日本では食うに食えない一般庶民を救うために、仏教は死後の極楽浄土を説き、貧しくても清く正しく、信仰心を持って生きることを勧めていた。一般庶民は信仰のもとに、貧しいながらも助け合って生きてきたのである。

先日、静岡県沼津市の「千本松原」に行って、初めて見た松林に驚いた、静岡県の太平洋側に延々と美しい松林が続いていたからである。聞くところによると、戦国時代に、当時の偉いお坊さんと信仰の篤い地元の人たちが協力して植えた松の苗木を大切に育てた結果だという。それが今では、美しい景観と憩いの場、防砂林としての役割を果たしている。

おそらく、日本の各地を見渡すと、そうした過去の「信仰のあかし」を見つけることができるのではないだろうか。京都・奈良の世界遺産もその一つである。横道にそれたが、ここでは、過去のオイルショックについて調べ、私たちは何を学んだかをふり返りたい。(参考HP:Wikipedia)

石油危機(オイルショック)とは何か?


1970年代に2度あった、原油価格高騰による経済混乱のこと。石油危機、石油ショックとも称される。

第1次オイルショック
1970年代石油依存型経済の発展から石油需要は拡大し、原油価格は上昇圧力を受けていた。また産油国は外資による石油資源の「収奪」に不満をつのらせていた。

1973年10月、第4次中東戦争が勃発するとOAPECが戦争中の原油の生産削減を宣言、同時にOPECは原油価格の70%引き上げを通告。

さらにアラブ産油国は次々とイスラエル支援国であるアメリカ、オランダに対する石油禁輸措置を発表した。これら一連の措置は石油を武器として中東戦争を支援する「石油戦略」とよばれる。停戦後生産削減・禁輸措置は緩和されるが価格はさらに引き上げられ、それまでほとんど変動のなかった原油価格はわずか3ヶ月ほどで3ドルから11.65ドルに急騰した。

安い石油に依存していた先進諸国の経済は混乱し、特に日本経済は大きな衝撃を受け戦後高度経済成長が終焉した。

第2次オイルショック
1979年2月イラン革命によりホメイニ政権が誕生、それによる混乱からイランの石油輸出が停滞し、国債需給が逼迫した機に乗じてOPECは原油価格を3ヶ月ごとに引き上げることを決定。同年11月にはテヘランの米大使館占拠事件、翌年9月にはイラン・イラク戦争開戦と中東情勢は緊迫が続き、原油価格は18ドルから39ドルまで高騰した。

欧米では第1次を上回るパニックとなり、原油供給途絶への恐怖が巨大な備蓄需要を生み出してインフレ期待を煽った。一方第1次オイルショック後の構造転換が奏効した日本では目だった混乱もなく、そのため80年代以降日本経済が注目されることになった。

管理価格の終焉
二度のオイルショックは石油消費国に不況と省エネルギー化の流れをもたらし、石油需要を減退させた。一方石油価格の高騰は生産コストの高いアラスカや北海油田の開発を促し、供給余力は拡大した。

主権国家で構成されるOPECは加盟国に生産調整を強制できず、カルテルとして経済史上最も強大な影響力を行使しながらも需給バランスが余剰に傾くとたちまち脆弱さを露呈した。85年末にサウジアラビアがスウィングプロデューサーの役割を放棄して増産を宣言すると原油価格は一気に暴落、OPECの価格管理は崩壊した。

石油危機(オイルショック)対策


リストラクチャリング
競争力を失った「構造不況業種」を縮小させ、成長分野に資源を振り向ける「積極的調整政策」。素材産業の不振、加工組立産業の成長。 雇用調整(新規採用の停止、残業時間の短縮など)。優良企業の銀行離れ。間接金融から直接金融(株式発行など)、内部資金依存へ。

省エネルギー対策
テレビの深夜放送の休止。また、省エネルギー対策の一環として深夜の電力消費を抑制しようと、前述の深夜放送休止のほか、ネオンサインの早期消灯やガソリンスタンドの日曜休業などの処置が取られた。

新エネルギー開発
先進国の経済が中東の石油に極端に依存していることが明白となった。中東以外での新しい油田開発、調査が積極的に行われるようになった。原子力や風力、太陽光など非石油エネルギーの活用の模索、また省エネルギー技術の研究開発への促進の契機ともなった。

公共交通機関の見直し
石油の備蓄体制を強化することも行われた。また、モータリゼーションの進展により自動車の燃料消費が石油消費に高比率を占めていたことから、鉄道をはじめとする公共交通機関を再評価する動きが出た。
 

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