小説「ひかりごけ」で思い出すのは

 「ひかりごけ」というと太平洋戦争中の1944年5月に、現在の北海道目梨郡羅臼町で発覚した死体損壊事件を題材にした、武田泰淳氏の小説を思い出す。

 死体損壊事件というと何のことかわからないが、太平洋戦争中、小樽へ向かう徴用船がシケに遇い遭難。船員たちは船から脱出。知床半島ペキンノ鼻に降り立ったが、そこは真冬の北海道で極寒のうえ雪と氷と吹雪に覆われた地域だった。



 次々に船員が死ぬ中、徴用船の船長だけが生き残り、近くの集落にたどり着いた。食べ物もない極寒の知床をどうやって生き残ったのだろうか?

 実は船長はなかまの船員の肉を食べていたのだった...。しかし、生存者はただ1名で、その証拠はどこにも無い。見ていたのは近くであやしく光る「ヒカリゴケ」だけであった。


 「鬼押し出し」のヒカリゴケ

 ...といったストーリーを聞くと、不気味な印象であるが、初めて見た「ヒカリゴケ」は美しく輝いていた。場所は群馬県嬬恋村の「鬼押し出し」。一帯は1783年8月5日(天明3年7月8日)におきた浅間山の噴火の際に流れ出た溶岩がゴロゴロとしており奇怪な姿を見せている。

 その溶岩の岩と岩のすき間に、ひっそりと美しく輝く「ヒカリゴケ」はあった。まさか、こんな高い山の上に、しかも、夏でも20℃以下の涼しい所で出会えるとは思わなかった。


 ヒカリゴケの発見地
 ヒカリゴケは、明治43年、この嬬恋村のとなりの佐久市岩村田で当時の中学生が「光る土」として学校へ届けたことがきっかけで、日本で初めてのヒカリゴケ発見の地となった。その後北海道知床、埼玉県比企郡吉見町などで発見されている。昭和38年12月24日北海道で「天然記念物」に指定される。

 生育環境の変化に敏感で、僅かな環境変化でも枯死してしまうほどに脆い存在である。そのため生育地である洞窟の開発や大気汚染、乾燥化などの影響を大きく受けて、その個体数は減少し続けていると言われており、絶滅が危ぶまれているそうだ。

 私は8月19日、軽井沢を家族旅行したその足で「鬼押し出し」に立ち寄り、偶然にそこに保護されている「ヒカリゴケ」を見ることができた。「鬼押し出し」は公園になっており、「裏参道コース」の途中に表示板があるので、見つけることができる。もし機会があったら、立ち寄ってみてはいかがだろうか。(入場料 大人600円こども400円)


 ヒカリゴケとは?

 ヒカリゴケ(Schistostega pennata)はヒカリゴケ科ヒカリゴケ属のコケで、1科1属1種の原始的かつ貴重なコケ植物である。その名が示すように、洞窟のような暗所においては金緑色(エメラルド色)に光る。

分布・生育環境: 北半球に分布し、日本では北海道と本州の中部地方以北に、日本国外ではロシア極東部やヨーロッパ北部、北アメリカなどの冷涼な地域に広く分布する。洞窟や岩陰、倒木の陰などの暗く湿った環境を好む。日本の自生地には長野県佐久市や吉見百穴(埼玉県)、北の丸公園(東京都)などがある。

形態 : 小型のコケ植物で配偶体(茎葉体)は1cm程度。葉は披針形で、朔柄は5mm程度で直立し、先端につく朔は球形。原糸体(胞子から発芽した後の糸状の状態)は、一般的な蘚類が持つ糸状細胞の他に、直径15μm程度の球状であるレンズ状細胞を多く持つ。

光反射の仕組み: ヒカリゴケは自発光しているのではなく、原糸体にレンズ状細胞が暗所に入ってくる僅かな光を反射することによる。またレンズ状細胞には葉緑体が多量にあるため反射光は金緑色(エメラルド色)になる。(出典:Wikipedia)


 倉庫内に神秘の光/ヒカリゴケ生える

 環境省の準絶滅危惧(きぐ)種に指定されるヒカリゴケが、中標津町俣落新生の酪農家、田代敬治さん(51)の倉庫内で生え出した。倉庫を建ててから26年目にして初めてのことで、光が差すと神秘的な光を放っている。関係者は「すごい。こんなのところになぜ生えたのか」と驚きを隠せない。(釧路新聞 2008年08月14日)


参考HP 鬼押出し園 → http://www.princehotels.co.jp/amuse/onioshidashi/


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