ゲイ=リュサックの気体反応の法則

 「 2H2 + O2  → 2H2O 」この化学反応式は何を表したものか?

 そう正解は水素が燃えて、水が生成する反応であり、よく知られている。しかし、この化学反応式が成立するまで、大変なドラマがあったことはあまり知られていない。

 1808年、フランスの化学者ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサックは「2種以上の気体物質が関与する化学反応において、反応に関係する気体の体積の間には、同じ圧力、同じ温度のもとで簡単な整数比が成り立つ」という「気体反応の法則」を発表した。

 例えば、水素と酸素が反応して水蒸気ができる場合、反応する水素:反応する酸素:生成する水蒸気= 2:1:2 という比が成立するのはよく知られている。 同様に、水素と窒素が反応してアンモニアができる場合、反応する水素:反応する窒素:生成するアンモニア = 3:1:2 という比が成立する。

 ドルトンの原子説
 この法則は「原子説」で有名な、ジョン・ドルトンを支持するものと考えられたが、当のドルトンは残念なことに、この法則を認めなかった。 これはドルトンが化合物に含まれる原子の数は基本的に1つずつであると考えていたたからであった。

 つまり、ドルトンは「水素 + 酸素 → 水」を今日知られている「 2H2 + O2 → 2H2O 」ではなくて「 H + O → HO 」と信じていたからであった。固定観念というのは実に恐ろしい。「原子説」という素晴らしい業績を残したドルトンでさえも、悪魔に変えてしまう。

 たしかに、これでは水素と酸素は 1:1 で反応し、水は1しかできないことになる。実際の 2:1:2 と矛盾する。

 アヴォガドロの分子説
 この矛盾を解消したのは、イタリアの物理学者・化学者アメデオ・アヴォガドロが提案した水素や酸素が2つの原子が結合した分子からなるという分子説(アヴォガドロの法則)であった。少し遅れて1813年にフランスの物理学者アンドレ=マリ・アンペールも独立に同様の仮説を提案した。しかし、これらが受け入れられるのは発表から50年も経ってからであった。

 1811年にアヴォガドロはドルトンの矛盾を説明するために「同温同圧のもとでは、すべての気体は同じ体積中に同数の分子を含む」という分子説(アヴォガドロの法則)を発表した。今では有名なこの基本的な法則も、当時、弁護士から科学者に転身したばかりの、アヴォガドロの難解な論文は注目されなかった。

 アヴォガドロの法則が注目されるのは、彼の死後に著わされた1858年のスタニズラオ・カニッツァーロの論文「ジェノバ大学における化学理論講義概要」、さらに1860年に開催された原子量と分子量の基準がテーマとなっていたカールスルーエ国際化学者会議でのカニッツァーロの発表を受けてからのことになる。

 有名な「ドルトン」が否定したために、50年も科学の進歩が遅れてしまったのは残念なことだ。しかし、私たちも同じ間違いをしてはいないだろうか?「オレは、これ以外は認めない」そうやって他人を型にはめる、頭の固い大人達の何と多いことか。

 アヴォガドロの法則から、次の問を考えてみよう。

問 分子説・アヴォガドロの法則


 0℃ 1atm 2.24lのアンモニア分子(NH3)の物質量を求めよ。

 「同温同圧のもとでは、すべての気体は同じ体積中に同数の分子を含む」のが分子説。気体 0℃ 1atm では、1mol (6.0221×1023個)の気体分子を集めると、その種類によらず22.4 l(リットル)となる。

 従ってアンモニア分子の物質量は 2.24/22.4 = 0.1 mol である。

参考HP Wikipedia「アヴォガドロの法則」「気体反応の法則」「原子説」
 

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米沢 富美子
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