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 第1次世界大戦
 第1次世界大戦は、1914年から1918年にかけて戦われた人類史上最初の世界大戦である。ヨーロッパが主戦場となったが、戦闘はアフリカ、中東、東アジア、太平洋、大西洋、インド洋にもおよび世界の大多数の国が参戦した。

 各国はドイツ・オーストリア・オスマントルコ・ブルガリアからなる中央同盟国(同盟国とも称する)と、三国協商を形成していたイギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国(協商国とも称する)の2つの陣営に分かれ、日本、イタリア、アメリカ合衆国も後に連合国側に立ち参戦した。

 戦闘員の戦死者は900万人、非戦闘員の死者は1,000万人、負傷者は2,200万人と推定されている。この戦いは、当初すぐに終結すると考えられていたが、第1次マルヌ会戦の後、両軍はフランス北東部に塹壕を構築し持久戦へと移行した。両軍が築き始めた塹壕線は、やがてスイス国境からベルギーのフラマン海岸まで続く線として繋がった。

 西部戦線での戦闘は、1914年のクリスマスを過ぎても終わらなかった。陰鬱な塹壕戦はその後4年間続けられた。数百万の兵士が塹壕に貼りつき、いずれの側も敵軍に決定的な打撃を与えることはできない戦いが続いた。(Wikipedia「第1次世界大戦」)

 第1次世界大戦中のノーベル賞
 1901年から始まった「ノーベル賞」は、この第1次世界大戦中どうなったのだろうか?

 1914年、1915年と受賞者を出していた、ノーベル賞の科学部門であるが、1916年ついに途切れることになる(この年はノーベル文学賞のみ表彰)。ノーベル賞の科学賞が表彰されるのは、翌年1917年の物理学賞である。

 1917年、ノーベル物理学賞を受賞したのはイギリスの物理学者「チャールズ・バークラ」である。受賞理由は「元素の特性X線の発見」であった。

特性X線の発見
 彼はチェシャー州ウィドゥネスに生まれ、リヴァプール大学、ケンブリッジ大学で学んだ後、1913年にエディンバラ大学の自然科学の教授になり、終生そこの教授であった。

 1909年に C.A. Sadlerと元素に電子線をあてると、元素に固有な波長を持つ特性X線が発生することを発見した。

 発見当時は特性X線の物理的意義は必ずしも明確でなかったが、1913年ヘンリー・モーズリーによって、特性X線の波長と原子の原子番号の関係が明らかにされた(モーズリーの式)。モーズリーは第一次世界大戦で戦死したため、ノーベル賞の受賞を逃したが、バークラは1917年ノーベル賞を受賞した。スコットランド、エディンバラで没した。

 特性X線とは?
 高エネルギーで内殻電子が励起される(左)と、その緩和過程で準位間に相当するエネルギーを持った特性X線が発生する(右)。特性X線(とくせいえっくすせん)とは、ある原子の電子軌道や原子核において、高い電子準位から低い電子準位に遷移する過程で放射されるX線である。単一エネルギー、線スペクトルが特徴。

 機器分析で使用される単一波長のX線はふつう特性X線を利用しており、発生源となる元素と電子殻によって表記する。X線光電子分光ではMgKα線 (1253.6eV) やAlKα線 (1486.6eV)、X線回折ではCuKα線 (8.048keV) やMoKα線 (17.5keV) などを用いる。

参考HP Wikipedia「第一次世界大戦」「特殊X線」「チャールズ・バークラ」・ノーベル賞 

放射線受光系の特性曲線

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