スポーツにアイシング

 プロ野球のピッチャーが試合の後に、肩や腕に何かをつけている場面をよく目にする。あれは筋肉を冷やしている「アイシング」というそうだが、どんな目的で行っているのだろうか?

 アイシングとは、氷や水などを用いて身体を局所的に冷却すること。身体を負傷した場合、炎症を抑え痛みを軽減させるための応急処置として行われる。スポーツ後のアイシングも、運動後の筋肉の炎症を抑える目的で行われる。スポーツ後の炎症は、発熱による疲労蓄積・筋肉痛を起こし、二次的低酸素障害を起こす。

 一般に運動を行うと筋肉の温度は上昇し、筋繊維や関節の組織などが少しだけ傷ついた状態になる。実際に筋力トレーニングを行っている時に、動かした筋肉に触れてみると、熱を持っていることが良く分かる。



 その後一定の時間が経つと傷ついた組織は炎症やむくみを起こし始める。この炎症は周囲の毛細血管を圧迫して血液の流れを阻害し、周辺の細胞組織への栄養・酸素の供給を断つ。周辺の細胞組織への栄養・酸素の供給が断たれる状態が続くとそれら細胞は死滅してしまう。これを二次的低酸素障害という。

 スポーツの後も筋肉は、ミクロのレベルで考えると怪我をした時と似たような状態にあるといえる。炎症やむくみなどの反応は傷ついた組織を回復させるために必要なものだが、必要以上に熱を持ったりむくんだりすると回りの細胞まで傷つけることになるので、かえって回復が遅れる。


 アイシングの方法

 アイシングを行う時は氷や保冷剤を使う。肌が凍傷を起こさないようにタオルなどを巻いて使用する。専用のアイシングバッグなどを使うと理想的。

 これを冷やしたい部分に押し当てておくか、ゆっくりマッサージするように動かす事で筋肉を冷やして行く。

 時間としては20分くらいを目安として、皮膚の感覚が鈍くなってきたら一度アイシングを中止し、しばらくして感覚が戻ってきたらまた冷やす、という作業を2〜3回行う。

 これを1セットとして、運動直後から24時間後くらいまでの間に2〜3セット行う。ちなみに、トレーニング後1日以上が経って筋肉の状態が落ち着いてきてからは、冷やすよりも温めて血行を良くした方が疲労回復が早くなると言われている。


 アーチボルド・ヴィヴィアン・ヒル

 このような筋肉のはたらきや発熱について研究をした人に「アーチボルド・ヴィヴィアン・ヒル(1886年〜1977年)」がいる。アーチボルド・ヒルはイギリス生まれの生理学者で生物物理学である。「筋肉中の熱発生に関する研究」により、1922年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 彼はブリストルの街に生まれ、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学した。生理学に転向する前は、3年間数学を学んでいた。彼の初期の研究にはミカエリス・メンテン式やヒル係数がある。彼は、生物物理学の創始者の一人であるヘルマン・フォン・ヘルムホルツとともに神経や筋肉の物理的性質に関する様々な測定を行った。


 スポーツと乳酸

 よくスポーツをすると乳酸がたまる。乳酸がたまると筋肉が固くなり、疲れるなどというが、あの筋肉と乳酸の関係は誰がいつ発見したのだろう?

 スポーツ選手は呼吸による酸素の供給は間に合わないのに、長い時間走ることができる。「酸素なしでどうやって、筋肉はどうやってエネルギーを得ているんだろう?」そう考えた人がいた。ドイツ生まれの物理学者で生化学者のオットー・マイヤーホフ(1884年〜1951年)である。

 それまでにも、筋肉の収縮は研究されてきた。それによると、筋肉の収縮によって乳酸という物質が生じることがわかっていた。1918年マイヤーホフは、カエルの筋肉を酸素のない場所で収縮させてみた。すると、グルコースがなくなり、乳酸が生じた。

 「グルコース(C6H12O6)は、炭素原子6個でできている。筋肉は、これを、2個の乳酸(炭素原子3個)に分解して、エネルギーを得ているんだ!」マイヤーホフは、この糖を分解する過程を「解糖」と名づけた。 これを「乳酸学説」という。

 1922年マイヤーホフは、エネルギー源は、乳酸が生じることによって生じるという学説でノーベル生理・医学賞を受賞する。 しかし、この「乳酸学説」は後にマイヤーホフ自身の手で撤回されることになる。なぜか?


 解糖系の発見 

 1930年には、ルンズゴールによって、グルコースを乳酸に変化させる酵素を阻害する「モノヨード酢酸」中でも筋肉の収縮が起こる事が発見された。

 「乳酸が生じなくても、筋収縮のエネルギーは生じる。とすれば、その前段階で、すでにエネルギーは生じていることになる」マイヤーホフは、やがて発酵現象と好気呼吸の共通性に気づいていく。

 「つまり、呼吸と乳酸発酵やアルコール発酵は途中まで同じ過程(解糖)なんだ」 彼は、グルコース(C6)は、まず2つのピルビン酸(C3)に分解すると考えた。「この物質は、すぐに乳酸に変化するし、アルコールと二酸化炭素にも分解する。また、酸素があれば、好気呼吸によって、水と二酸化炭素にもなる」マイヤーホフは、呼吸にも発酵にも共通しているこの過程を「解糖系」と名づけた。

 こうしてノーベル賞を受賞した学説が訂正されるのは大変珍しいことだが、マイヤーホフの立派なところは、過ちをすぐに認めたところ、そして解答系やATPを発見するなど、いつも新たな研究を怠らなかったところである。


 乳酸が疲労物質というのは誤解

 「乳酸=疲労物質」と言われるようになったのは、「疲労すると血中に乳酸が増える」というマイヤーホフの実験の結果がもとになっている。わかっているのは「疲労した身体の血液中には乳酸が増えている」という事実だけであった。

 ふだん中性である筋肉が酸性に傾くことによって悪影響を及ぼす場合がある。それは、急に、激しい運動をすることによって、増える乳酸の蓄積が原因のひとつと考えられていた。しかし、現在では、逆に疲労を軽減する物質といえる。もともと乳酸は脳神経系では重要なエネルギー源であり、乳酸と疲労には、因果関係がないということが証明されている。

 もし、乳酸が疲労物質であるならば、乳酸菌飲料や乳酸飲料はわざわざ疲労物質を飲んでいることになる。乳酸や乳酸菌飲料を飲むことは、身体にも健康にもいいことが証明されている。筋肉運動で乳酸が増えるといっても一時的なものであり、この乳酸は、エネルギーを生み出す重要な物質である。結果的に、乳酸は、疲労を引き起こす物質ではなく、疲労を軽減させる物質である。

 オットー・マイヤーホフ


 マイヤーホフはユダヤ人の裕福な両親の息子として、ハノーバーに生まれた。子供時代はベルリンで過ごし、医学の勉強を始めた。ストスブール、ハイデルベルクでも学習を続け、1909年、精神疾患における心理学的理論の適応の研究を行って大学を卒業した。

 1912年、彼はキール大学に移籍し、1918年に教授となった。1922年、彼は「筋肉における乳酸生成と代謝の研究」でアーチボルド・ヒルとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。1929年から1938年まで、彼はマックス・プランク医学研究所に勤めた。1938年にはナチスから逃れるためにパリに渡り、1940年に米国に移住してフィラデルフィアのペンシルベニア大学客員教授となった。


参考HP Wikipedia「アーチボルド・ヴィヴィアン・ヒル」「オットー・マイヤーホフ」・はるひぃのホームページ「呼吸の謎に挑んだ人々」・猫又号のブログ「オットー・マイヤー

スポーツ・アイシング―基礎から、コンディショニング、応急処置、リハビリテーションまで
吉永 孝徳
ナツメ社

このアイテムの詳細を見る
ナショナル ジオグラフィック[DVD] 人体の不思議 驚異のメカニズム
ナショナル ジオグラフィック
日経ナショナルジオグラフィック社

このアイテムの詳細を見る

ブログランキング・にほんブログ村へ ランキング ←One Click please