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 米国で2人目のノーベル物理学賞
 ロバート・ミリカン(Robert Andrews Millikan、1868年〜1953年)はアメリカ合衆国の物理学者である。1923年「電気素量」の計測と「光電効果」の研究によりノーベル物理学賞を受賞した。受賞理由は「電気素量、光電効果に関する研究」である。アメリカ人としては2人目のノーベル物理学賞の受賞者だった。

 アメリカ合衆国において大衆的な人気を得た物理学者で、当時のアメリカの物理学界での権威となった実験物理学者である。はじめ古典文学を学ぶが、物理学に転向し1895年コロンビア大学で物理学の学位をえた。物理学の入門的な教科書を書き大衆的な人気を得た。また、カリフォルニア工科大学の創立に加わり、同校が合衆国において有数の名門校となる基礎を築いた。

 電気素量とは何か?
 ミリカンの計測した「電気素量」とは何だろう?

 電気素量(elementary electric charge) は、陽子や陽電子1個が持つ電気の大きさ、つまり電子の電荷の量のこと。電気量の最小単位のことをいう。 素電荷(そでんか)、電荷素量ということもある。

 その値は、約1.60217733×10-19 クーロンである。現在ではクォ−クの発見により、従来の1/3の値が電気量の最小単位とされている。1909年、ロバート・ミリカンが電気素量を精度よく測定した。その時の計測値は、1.592×10-19 クーロンだったとされる。彼はどうやって電気素量を測定したのだろう?

 彼の実験は「ミリカンの油滴実験」といわれる。ロバート・ミリカンはハーヴェイ・フレッチャーと1909年に行った電子の電荷(素電荷・電気素量)を測定するための実験を行った。彼らは、二枚の金属電極間で帯電させた油滴が静止するように、重力とクーロン力を釣り合わせて、これを測定した。

 電極間の電場の強さを知ることによって、油滴の電荷を決定することができる。たくさんの油滴に関して実験を繰り返すことによって、測定値がいつもある特定値の整数倍にあたることが見出された。この実験により、電子一個のもつ電荷が1.602 × 10−19Cであることがわかった。

 当時J.J.トムソンによって、電子の質量と素電荷の比率(比電荷)は測定されており、ミリカンのこの実験により素電荷の値が確定したため、電子の質量も確定することが出来た。

 光電効果とは何か?
 ミリカンの行った光電効果の研究とは何だろう?

 光電効果(Photoelectric effect)は、物質が光を吸収した際に物質内部の電子が励起されること、もしくはそれに伴って電子が飛び出したり、光伝導や光起電力が現れることを指す。励起された電子は光電子と呼ばれる。

 光電効果の原因については、アインシュタインが説いた光量子仮説が有名で、光のエネルギーと振動数の関係を

  E = hν で表した。 (Eは光エネルギー、νは振動数、hプランク定数)

 この式は、1秒あたりの振動数の少ない赤外線より、振動数の多い紫外線の方がエネルギーが大きいことを表していて、実験の結果と一致した。アインシュタインはこの業績によって、1921年にノーベル物理学賞を受賞した。

 ミリカンはアインシュタインの理論を信じず、理論の間違いを見つけるべく、光電効果の精密な実験を繰り返していた。ナトリウム板の光電効果を詳しく調べると、光子の振動数が約460テラヘルツ以下だと電子が出てこない。この振動数に相当するぎりぎりのエネルギーをWとする。

 アインシュタインの式が正しければ、飛び出してくる電子の運動エネルギー(T)は、入射する光子のエネルギーからこのWを引いたものだから、式にすると、

  T = hν−W になる。(νはもちろん入射光の振動数、hはプランク定数)

 1916年ミリカンは、ナトリウム板を使っていろいろな振動数の光を当てて実験した。その結果が図である。結果はみごと直線になり、アインシュタインが正しいことが証明された。横軸は光の振動数、縦軸は飛び出してくる電子の(最大)運動エネルギーを表す。振動数の単位は100テラヘルツ(10の14乗ヘルツ)。運動エネルギーの単位は電子ボルト。

  h は直線の傾きだから、 h = 4.1 ×10−15 電子ボルト・秒

が導かれ、プランク定数を求めることができた。この値は、るつぼ内部の光(黒体放射)の観測から求めた値とぴったり一致。

 つまり、まったく違った現象にもかかわらず同じ意味を持つ値が、両方の観測で一致するというのは、その根拠となる理論が正しいことを示している。

 1916年、ミリカンは実験結果を発表した。彼の結果は、アインシュタインの理論を破るものでは決してなく、理論を見事に証明するものであった。ミリカンはそれでもアインシュタインの理論を信じなかったといわれている。

 ノーベル賞を巡る問題
 こうした素晴らしい業績を残したミリカンであるが、アインシュタインの理論を最後まで受け入れないなど、独善的な面があった。それはミリカンの油滴実験についても見受けられた。あの油滴のアイデアは、当時大学院生だったハーヴェイ・フレッチャーによるものだったのだ。

 当時電気素量は、水滴でさかんに計測されていた。しかし、水は蒸発するので、正確なデータが得られない問題があった。そこでフレッチャーは、蒸発しにくい油を使うことを提案したのだ。その結果、実験は成功。フレッチャーは、自分の行なった研究に関してフレッチャーとミリカンの共著とすることをミリカンに要求したが、ミリカンは単独研究として論文を発表した。この研究成果を一つの理由として、ミリカンは1923年にノーベル物理学賞を受賞した。

 フレッチャーは、死ぬまでこの事に関して黙っていたが、フレッチャーの死後にフレッチャーの原稿がPhysics Today誌に公開され、油滴実験がフレッチャーの研究だということが明らかになった。

 ノーベル賞受賞者には、時に貪欲さも必要だと思う、しかし、人格的にも尊敬されることは大切なことだ。このころは、ノーベル賞受賞者の人格までは選考基準になかったのだ。このような問題は今後も起こりうることなので、厳しく批判されるべきであろう。

 

参考HP Wikipedia「光電効果」「ロバート・ミリカン」「ハーヴェイ・フレッチャー」 
戸塚洋二「
科学入門」・Physics「ミリカンの方法

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技術評論社

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