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 プラスチックリサイクル率100%目標
 1972年の「国連人間環境会議」の開催地だったスウェーデンはその後、環境対策の先進国になった。首都ストックホルムと環境先進都市として知られるマルメを、各国記者の研修の一環として4月に訪ねた。太陽光発電などの先端技術、「自動車通行税」をはじめとした先進的な制度、徹底したごみの減量化や再資源化など、「環境大国・スウェーデン」の取り組みを実感した。

 南北に1600キロ。北極圏を含む国土はヨーロッパで4番目の広さだ。ストックホルムで訪問した環境保護庁(EPA)は、法律にのっとって環境政策を企画・実施する政府から独立した機関。国土の4%を占める国立公園の管理指針などを所管しており、国からの天下りもないという。

 温暖化防止対策では気候変動に関する国連の「政府間パネル(IPCC)」や欧州連合(EU)各国と情報交換している。10月に名古屋市で開かれるCOP10で注目されている生物多様性の保全にも取り組んでいる。広報担当のビリット・オスカションさんは「希少種の保護に加え、狩猟などによって絶滅したオオカミをロシアから移入させることも検討している」と説明した。

 また、脱化石燃料を図る政府が推進する風力発電所の建設が与える影響調査にも取り組む。オスカションさんは「マッシュルームのように次々と建設計画が出てくる。周辺環境との調和も大切だ」と話した。

 スウェーデンでペットボトル入り飲料を買って気が付くのが「デポジット」制度の存在だ。商店でもらうレシートには、商品の価格のほか、1本あたり1スウェーデンクローナ(約12円)の預かり金が課せられる。EPAアナリストのアンナ・ノディさんは「ごみ減量化のため、デポジットのほか、再利用、再資源化などを徹底している」と話す。同国では家庭ごみの13%にあたる食物残渣(ざんさ)からバイオガス(メタンガス)を取り出したり、焼却して熱として回収している。

 その結果、ごみの量は15年前の1.5倍ほどになったものの、環境への影響の大きい埋め立ては10分の1程度、全体の約3%にまで減らしたという。「さらに現在63%のプラスチックのリサイクル率を100%に高める目標も掲げている」と話した。

 2050年「化石燃料使用ゼロ目標 ストックホルム
 持続可能な都市を目指すストックホルムは、EUで最初の「グリーン都市」に認定された。2005年に1990年比で25%の二酸化炭素排出削減に成功した実績などが評価された。さらに、50年をめどに化石燃料の使用をゼロにする目標を掲げている。プロジェクトの責任者であるリンダ・パーションさんは「ストックホルムは、以前から環境に配慮した都市だったわけではない」と解説する。

 ストックホルムでも1960年代までは主燃料は石炭などの化石燃料だった。近隣の湖は取水できないほど汚染され、泳ぐこともできなかったという。「そこで高い数値目標を掲げ、それを実現する政策を速やかに実行した」という。

 ごみを燃やした熱を地域暖房に利用することを推進。都心部への自動車の流入を抑えるため、1台あたり1日最大60スウェーデンクローナ(約720円)の通行税を新設した。一方で、ハイブリッド車などのエコカーには通行税を免税とする普及促進策や自転車レーンの設置、市街地の周辺に駐車して市街地に行く時には電車やバスを利用する「パークアンドライド」の導入などを進めた。

 その結果、市街地への流入は最大で25%、有害物質の排出は14%減った。食物残渣から精製したバイオガスで走るバスは100台にもなる。「市全体のエネルギー消費量も11年までに5年前の10%減とする目標を設定。80万人が暮らす首都での『化石燃料ゼロ』を目指したい」とパーションさんは話した。

 「ソーラーシティー」マルメ
 ストックホルムから南に約600キロ。スウェーデン南西部に位置する港町・マルメは、かつて造船や重工業で栄えた人口約30万人の古都だが、今はスウェーデンの中でも環境対策が進んでいることで知られる。

 スウェーデンでは20世紀初頭から、ごみを燃やして地域暖房や発電に生かすシステムがあった。ごみ処理会社「シサイ」では、マルメとその周辺地域66万人が排出する約80万トンのごみを収集・処理している。その処理工場では、一度に5トンのごみをつかむクレーンを使って、焼却炉に投入していた。「最新の設備で効率よく燃焼させ、さらに余った熱でヒートポンプ装置を稼働させることで熱回収率を高めています」と担当者は話した。

 マルメの臨海部で「ウエスタンハーバー」と呼ばれる地域には、環境への取り組みが集約されている。

 隣国のデンマークとを結ぶオーレスン大橋を沖合に望むこの一帯は、かつて工場地帯だった。近隣の埋め立て地に国内最高層のマンションや大学などを建設。環境に配慮した新しい街が生まれた。「地域で必要なエネルギーのすべてを自然エネルギーでまかなうことを目指している」と、マルメ市環境政策課のダニエル・スコグさんは話す。

 ウエスタンハーバーにある多くの建物には、太陽光パネルや太陽熱システムなどが設置されている。「ソーラーシティー」を標ぼうするマルメらしい街並みだ。地下100メートルの熱を冷暖房などに活用するシステムも普及している。

 住宅街を歩いて目に付いたのは、昔のポストのような鋳鉄製の管だ。「ここに紙袋に入れた生ごみを入れると、自動的に回収される」とスコグさんは、ふたを開けながら説明した。ストックホルム同様、マルメでも食物残渣はバイオガスの製造に使われる。家庭やレストランなどで排出される食物残渣は、近くの処理工場に集約され、そこで生み出されたガスが路線バスなどに使われている。

 スコグさんは「エネルギーを化石燃料に頼らないのは、世界的な潮流だ。最新のテクノロジーと市民一人一人の協力があれば、再生可能エネルギーだけでまかなうのは夢物語ではない」と強調した。(毎日新聞 2010年6月5日)

 アルフレッド・ノーベル
 スウェーデンというと、科学の分野で名を残す、アルフレッド・ノーベルを思い出す。ここでは彼の生涯をふり返ってみよう。

 アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル(1833年〜1896年)は、ダイナマイトの発明で知られる化学者、実業家。ノーベル賞の提唱者。スウェーデンのストックホルム生まれ。ダイナトの開発で巨万の富を築いたことから、「ダイナマイト王」とも呼ばれた。

 知人の化学者アスカニオ・ソブレロが発明した爆薬、ニトログリセリンを、初めて実用化することに成功。さらにこれを改良し、安全に使えるようにしたダイナマイトを発明した。ダイナマイトは工事現場での岩盤の破壊など、作業の効率化を進めるものとして広く普及したが、同時に戦争にも爆薬として使用された。

 生まれたとき、父親のイマヌエル・ノーベル(職業は発明家・建築家)は破産したばかりだったが、家族と別れてロシアで興した事業が成功。1842年には父親の住むサンクトペテルブルグに向かい、科学者ニコライ・ジーニンに師事。のちに親の事業を手伝う。

 ここでの主な仕事はロシア軍を相手にした機雷の製造・設置だった。やがてクリミア戦争が起きると、軍から大量の注文があり、大儲けをするが、1853年、戦争終結と同時に注文が止まったばかりでなく、軍がそれまでの支払いも延期したため、事業はたちまち逼迫。父は1859年に再び破産する。

 1850年から二年間、欧米7カ国を旅行して科学について広い知識を得る。その際、パリでテオフィル=ジュール・ペルーズの科学講座を受講している(アスカニオ・ソブレロは彼の生徒の一人)。

 ニトログリセリン
 ノーベル本人は、1855年にニトログリセリンのことを知る。しかし、この爆薬は、狙って爆発させることが難しいという欠点があり、起爆装置を開発。1862年にサンクトペテルブルグで水中爆発実験に成功。1863年にはスウェーデンで特許を得る。

 ストックホルムの鉄道工事で認められる。 その後、軍に売り込んだが危険すぎるという理由で拒まれる。

 1864年には爆発事故で弟エミール・ノーベルと5人の助手が死亡。ノーベル本人も怪我を負う。この事故に関してはノーベル本人は一切語っていないが、父イマニュエルによれば、ニトログリセリン製造ではなく、グリセリン精製中に起きたものだという。

 この事故で当局からストックホルムでの研究開発が禁止され、ハンブルグに工場を建設。また合成者のアスカニオ・ソブレロ (Ascanio Sobrero)に対し、充分な対価を支払う。

 1865年、ニトログリセリンの製造業を開始する。衝撃に対する危険性を減らす方法を模索中、ニトロの運搬中に使用していたクッション用としての珪藻土とニトロを混同させ粘土状にしたものが、爆発威力を損なうことなく有効であることがわかり1866年、ダイナマイトを発明する。彼の莫大な利益を狙うシャフナーと名乗る軍人が特許権を奪おうと裁判を起こしたがこれに勝訴。

 1867年、ダイナマイトに関する特許を取得する。その後もシャフナーによる執拗な追求は続き、アメリカ連邦議会にニトロの使用で事故が起きた場合、責任はノーベルにあるとする法案まで用意したため軍事における使用権をシャフナーに譲渡。

 1871年、珪藻土を活用しより安全となった爆薬をダイナマイト(ギリシア語で「力」)と名づけ生産を開始し50カ国で特許を得て100近い工場を持ち一躍、世界の富豪の仲間入りをする。

 婚活
 1876年には結婚相手を見つけようと考え、女性秘書を募集する広告を5ヶ国語で出し、5ヶ国語で応募してきたベルタ・キンスキーという女性を候補とする。しかし、ベルタは既にアートゥル・フォン・ズットナーという婚約者がおり、ノーベルの元を去ってフォン・ズットナーと結婚した。

 この2人の関係はノーベルの一方的なものに終わったが、キンスキーが「武器をすてよ」などを著し平和主義者だったことが、のちのノーベル平和賞創設に関連していると考えられている。そして1905年に女性初のノーベル平和賞を受賞。またアーサー・フォン・ズットナーは著名な数学者であり、このためノーベルは数学賞を設置しなかったという俗説がある。

 同年、当時20歳のゾフィー・ヘスと出会い、交流が始まる。ゾフィーには218通の手紙を残した。しかし、1891年、ゾフィーが他の男の子供を宿していることが分かると、2人の関係は急速に冷えた。ノーベルの死後、ゾフィーはこれらの手紙をノーベル財団に高額で買い取らせることに成功したためすべてが残っており、また、ノーベル財団により公開もされている。

 武器製造
 1878年、兄ルードヴィとロベルトと共に現在のアゼルバイジャンのバクーでノーベル兄弟石油会社を設立。この会社は1920年にボリシェヴィキのバクー制圧に伴い国有化されるまで存続した。

 1884年、フランス政府からレジオン・ド・ヌール勲章を授与される。

 1890年、知人がノーベルの特許にほんのわずか変更を加えただけの特許をイギリスで取得。ノーベルは話し合いでの解決を希望したが、会社や弁護士の強い意向で裁判を起こす。しかし、1895年、最終的に敗訴が確定する。

 1894年、武器製造工場を買い取り、武器製造業に進出する。

 1895年、持病の心臓病が悪化しノーベル賞設立に関する記述のある有名な遺言状を書く。病気治療に医師はニトロを勧めたが、彼はそれを拒んだ。

 1896年12月7日、サンレモにて脳溢血で倒れる。倒れる1時間前までは普通に生活し、知人に手紙を書いていた。倒れた直後に意味不明の言葉を叫び、かろうじて「電報」という単語だけが聞き取れたという。これが最後の言葉となった。急ぎ親類が呼び寄せられるが、3日後に死亡した。生涯独身であり、子供はいなかった。死の床にも召使がいただけで、駆けつけた親類は間に合わず、誰もいなかった。

 現在、ノーベルはストックホルムのNorra begravningsplatsen(北の墓地)に埋葬されている。

 遺産
 莫大な遺産があったため、遺産相続をめぐっては、兄弟やその子らと当然のようにトラブルになり、指名された相続執行人は苦労した。また、ノーベル本人は、1890年に起こした訴訟の経験から弁護士を信用しておらず、直筆で自分だけで遺言状を書いたため、その内容には多くの矛盾をはらんでおり、このことも相続執行人を悩ませた。

 最後に書かれて、最終的に有効とされた遺言状には、遺産を使って賞を作り、科学技術、文学、平和など合計5部門に貢献した人物に賞を贈るように記載されていた。ノーベル本人はこの賞に名はつけていないが、現在この賞は「ノーベル賞」と呼ばれている。

 最終的にノーベル財団が設立され、ノーベルの意思は次の次の世紀まで伝えられることになった。賞についての詳細は、ノーベル賞の項目を参照のこと。

 なお現在もノーベルの名を冠する会社は欧州各地にあり、爆薬製造や化学工業を行っている。特にドイツのダイナマイト・ノーベル社は、対戦車兵器パンツァーファウスト3やケースレスライフルG11用弾薬など、現在も兵器の開発・製造を行っている。(出典:Wikipedia)

 清濁併呑
 平和的なノーベル賞で名を残すノーベルは、けっして善意だけの人ではなかった。ダイナマイトを開発し巨万の富を得る。彼自身は平和的利用を望んだというが、その破壊力は戦争に利用するのにもってこいの物質であった。現在でも彼のつくった会社は存続し破壊兵器をつくっている。

 もし、自分のつくった物が人を大量に殺戮する...同じ立場であったら耐えられるだろうか?しかし、兵器会社であろうと、はたらく人達がいて生計を立てている。利益を得なければ生きていけない人の悲しい宿命を感じる。一方で彼のつくったノーベル賞は、世界的に有名な賞となり、夢と希望の象徴になった。ノーベルは人の矛盾を体現したという意味ではすごい人であったと思う。

 私には科学の闇の部分を見続けるのは耐えられない。科学の光の部分を見続けていきたいと思う。また、そうできる平和な時代が長く続くよう、この国の発展繁栄に貢献したいと思う。

 

スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」 (朝日選書792)
小澤 徳太郎
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アルフレッド・ノーベル伝―ゾフィーへの218通の手紙から
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