光は波か粒か

 2010年5月21日、金星探査機「あかつき」とともに打ち上げられた、「IKAROS」は、超薄膜の帆「ソーラーセイル」を広げて進む宇宙船だ。驚いたことに「IKAROS」は、燃料を消費することなく宇宙空間を進むことができる。それはなぜだろう?

 正解は、「ソーラーセイル」に質量のある太陽の光があたるから。つまり、光は質量のある粒子としての性質があるのだ。

 光が粒子であることは、アインシュタインが「光量子仮説」で提唱した。だが、多くの人々は「光の粒子説」に疑いを持っていた。これを打ち破ったのが、アメリカの物理学者コンプトンが発見した「コンプトン効果」だ。

 「光は波なのか粒子なのか?」という問題は現在でも説明するのが難しい。先人達はこう説明した。

 17世紀、イギリスのニュートンは「影の輪郭がくっきりとしているのは、まっすぐに進む光の粒が、物体にきれいに、さえぎられるからだ。」と考え、光は粒子だと考えた。一方、フランスのホイヘンスは、「光は交差しても、飛び散らずに、互いに素通りしてしまう」だから、波だと考えた。

 19世紀、イギリスのヤングは、この「波の干渉」という現象が光にも現れるかどうかを実験した。その結果、光にも「波の干渉」の現象は現れた。つまり光は波であることを証明した。

 20世紀、アインシュタインは「光は波ではなく、プランク定数hと振動数νをかけたエネルギーを持つ粒だ」と主張した。彼は光を「光量子」と呼び、光を粒と考える「光量子仮説」を唱えた。

 現在、光は波と粒とを併せ持つ存在と考えられている。しかし、「波と粒を合わせ持つもの」とはどんな存在だろう?現代科学は、さらに深い謎である「量子」について探求を続けている。

 アーサー・コンプトン
  アーサー・コンプトンは1892年、アメリカのオハイオ州ウースターに、3人兄弟の末っ子として誕生。父エリアスはウースター大学の哲学教授。長兄のカールは物理学者。現在のマサチューセッツ工科大学の基礎を築いた学長でもある。

 さらに次兄のウィルソンは経済学者でワシントン州立大学の学長。アーサー自身もウースター大学やワシントン大学の学長を経験している。兄弟揃って有名大学の学長とは、なんとも見事な経歴の家系だ。そして驚いたことに3兄弟ともに、後の原子爆弾の開発に参加している。

 1923年にアメリカの物理学者アーサー・コンプトンは、以前から謎とされていたX線の散乱波について、光を粒と考える立場から説明した「コンプトン効果」を発見した。

 X線という言葉は、私たちにも馴染み深いが、その正体は、光よりはるかに振動数が大きい電磁波である。つまり、光もX線も、電磁波であることには変わりなく、ただ振動数が異なるだけだ。

 物質の原子にX線を当てると、当たった後のX線は周囲に散乱する。散乱後のX線の振動数を調べてみると、散乱前の振動数より少なくなっていることがある。この現象は、光を波だと考える電磁気学の立場からは、説明がつかなかった。電磁気学の理論によると、散乱前と散乱後のX線の振動数は、同じでなければならなかった。しかし、実験の結果はそうはならない。いったいどうしてだろう?

 この現象を、光は粒として説明しようとすれば、考え方は光電効果の時と同じようなものになる。つまり、X線の粒が原子中の電子にぶつかり、電子を飛ばしながら自分もいろいろな方向に散乱するのだ。

 ビリヤードで、テーブル中の的玉(まとだま)に、突き玉(手玉)をぶつけると、当たった後の突き玉のスピードは落ちる。これは衝突の際に、突き玉のエネルギーの一部が、的玉に奪われてしまうからだ。逆に的玉は、もらったエネルギーによって動き出す。これと同じようにX線の粒も、原子中の電子にエネルギーを奪われ、そのぶんだけ振動数が少なくなるのだ。(図解雑学 量子論 佐藤勝彦監修 ナツメ社より)

 コンプトン効果の式
 コンプトン効果(コンプトンこうか)は光(電磁波)の粒子性を示す現象のひとつである。1923年にアーサー・コンプトンによって確かめられた。

 短波長のX線を物質にあてたとき、散乱してでてくる2次X線の波長が入射X線より大きくなるという現象である。 入射X線の波長と2次X線の関係は次のようになる。

 λs−λi = h(1−cosθ)/ mc
 
λs:2次X線波長,λi:入射X線波長,h:プランク定数,m:電子の質量,c:光速,θ:散乱角

 すでにアインシュタインによる光量子仮説(1905年)から、光はhν(ν=c/λ)のエネルギーを持つ粒子(光子)としての性質を示すことが明らかになっていた。アインシュタインはさらに、光子はhν/cの運動量を持つと予想していたが、コンプトン効果の実験により、この予想を裏付ける結果が得られた。

 すなわち、コンプトン効果とはX線と電子との衝突により、X線のエネルギーの一部を電子に与えて、波長が変化する現象なのである。このようなターゲット(当たる対象)とのエネルギーのやり取りがある散乱のことをコンプトン散乱と呼ぶ。すなわち、非弾性散乱の一種である。(Wikipedia)

 以上のように, コンプトン散乱はX線の粒子性によって見事に説明されたが、コンプトンの実験では、はじき飛ばされた反跳電子の観測はできなかった。これを解決したのが、スコットランドの物理学者チャールズ・ウィルソンのつくった「霧箱」で、これを使って写真に撮ることができた。 

 チャールズ・ウィルソン
 物理学の父、実験の天才と呼ばれたラザフォード(Ernest Rutherford)をして「物理学の全歴史を通じて最も独創的な装置」と賞賛させた霧の箱の着想は、ブリテン島の最高峰ベン・ネービス山で生まれた。

 スコットランド中部の Glencorse の地で、農民の息子として生まれたチャールズ・ウィルソンは、1873年に父親が亡くなると家族とともにマンチェスターに移る。

 マンチェスター大学で学んだ後、さらにケンブリッジ大学で学び、気象学に興味を持った彼は1893年、雲の性質に関する研究を始めた。

 ベン・ネービス山の気象観測所で雲の発生の観察をし、次第にその美しさに魅せられた。その後ケンブリッジの実験室で、実験装置を使って雲を発生させる実験を始めたが、それは密封した箱に湿った空気をいれて減圧、断熱膨張をさせることで霧を発生させるものだった。

 やがてこの霧箱は、イオンや放射線が通過すると、飛行機雲のような飛跡が発生することを発見した。

 そして電子や放射線の通過を計測する Cloud Chamber を発明する。キャヴェンディッシュ研究所(Cavendish Laboratory)の所員だった彼は、同研究所のジョセフ・ジョン・トムソン(Joseph John Thomson)ら電子や放射線の研究者たちの重要な道具として提供することになった。

 この霧箱の発明によってウィルソンは、1927年、ノーベル物理学賞を与えられたのである。

 

参考HP Wikipedia「アーサー・コンプトン」「チャールズ・ウィルソン」・ミクロの世界「コンプトン効果」・アインシュタインの科学と生涯「量子力学 

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