麻痺性痴呆(進行麻痺)とは何か?

 麻痺性痴呆(進行麻痺)という病気をご存知だろうか。今ではほとんど忘れられているが、19世紀に爆発的に増加し、わずか数十年前までは全世界で猛威をふるっていた病気で、1910年代のドイツでは精神病院の入院患者の10〜20パーセントを占めていた。 

 主として中年の男性がかかる病気で、痴呆症状を示すとともに手足が痙攣、体が麻痺していき、ついには人格が完全に崩壊して死亡する。ほおっておけば発症後約3年で死に至る恐ろしい病気である。

 当初はまったく原因不明の謎の病気だったのだが、19世紀半ばになると、患者にはある共通点があることがわかってきた。患者はみな10〜20年前に梅毒にかかったことがあったのである。実はこの進行麻痺の正体は、長い年月、体内に潜伏していた梅毒スピロヘータが脳を侵して発症する慢性脳炎だった。

 1913年、「麻痺性痴呆=梅毒」を発見したのが、あの野口英世である。麻痺性痴呆の患者の髄液を培養して梅毒スピロヘータを確認した。これにより、麻痺性痴呆は梅毒の末期症状であることがわかった。

 歴史上、突然出現した?「梅毒」
 梅毒は、スピロヘータの一種である梅毒トレポネーマ (Treponema pallidum) によって発生する性感染症だが、試験管内の培養は不可能のため、病原性の機構はほとんど解明されていない。1998年には全ゲノムのDNA 配列が決定、公開されている。また、理由は不明だが、ウサギの睾丸内では培養することができる。

 梅毒が歴史上に突発的に現われたのは15世紀末であり、そのため本病の由来については諸説ある。

 梅毒は15世紀以前から旧世界(ヨーロッパ・アジア・アフリカなど)に存在していたとする説。古い法令に梅毒に関するものがあるなどとするが、本病による病変を示す人骨等の具体的資料は無く、支持者はほとんどいない。

 梅毒は、症状が非常に軽い状態で旧世界に古くからあったとする説。現在でも熱帯地方を中心に、皮膚に白斑が生じる程度の「ピンタ」、潰瘍を生じる「ヨーズ」など軽症のものがあるが、これらは梅毒トレポネーマにより起こることから、旧石器時代(1万2000年以前)にピンタかヨーズが発生し、人類の間に広がり、15世紀末にヨーロッパでトレポネーマに変異が起きて梅毒が生じたとする。

 クリストファー・コロンブスの率いた探検隊員がアメリカ上陸時に原住民女性と交わって感染し、ヨーロッパに持ち帰り、以後世界に蔓延したとする説。コロンブスの帰国から梅毒の初発までの期間が短いという難点があるが、アメリカでも古い原住民の骨に梅毒の症状がある例が発見されており、また例えば日本でも、コロンブス以前の人骨には梅毒による病変が全く見つかっていないなど証拠は多く、最も有力な説とされている。

 壮絶!「人類 vs 梅毒」の戦い
 梅毒治療のための涙ぐましい戦いが始まった。19世紀に麻痺性痴呆に対して行われていたのは、頭のてっぺんに吐酒石軟膏なるものを擦りこんだり、わざと灼熱した鉄を押しつけたりして化膿巣を作って膿を出す(人工打膿法)といった恐ろしい治療法だ。これを行うと頭皮はおろか頭蓋骨まで腐食して硬膜や脳回が露出するようになるという。

 精神病の原因である悪いリンパや血液が外に排出されるのがいい、という論理らしい。もちろん患者はものすごい痛みを感じるのだけど、その苦痛がまた患者を正気に戻してくれる、とも考えられていた。しかし、これはいくらなんでもあんまり残酷だし、脳膜炎を起こして死亡する犠牲者が絶えない、というので19世紀も後半になるとだんだん行われなくなってしまう。

 マラリア療法
 20世紀に入ってこの進行麻痺の画期的な治療法を発明したのがウィーン大学のユリウス・ワグナー・ヤウレッグ。この人が編み出したのはその名も「マラリア療法」。1917年6月、ワグナー・ヤウレッグはあるマラリア患者の血液を採取、これを進行麻痺の患者に注射したのである。

 梅毒の病原体である梅毒トレポネーマは高熱に弱いため、患者を意図的にマラリアに感染させて高熱を出させ、体内の梅毒トレポネーマの死滅を確認した後キニーネを投与してマラリア原虫を死滅させるというねらいがある。

 進行麻痺は死に至る病であるのに対し、当時すでにマラリアはキニーネ療法が確立していた。どっちをとるかといえばそりゃマラリアだ。ただ、副作用も強くて、最初にマラリア原虫を注射された患者のうち生存者は全員改善したものの、数名は死亡した。

 まさに、毒を持って毒を制すとでもいうべき壮絶な治療法である。この業績により、ワグナー・ヤウレッグは1927年、精神科医としては初めてノーベル賞を受賞している(ちなみに二人目はロボトミーを開発したエガス・モニス)。

 サルバルサン療法
 さて当時、マラリア療法のほかに進行麻痺の有望な治療法として知られていたのが、サルバルサン(砒素の有機化合物)や水銀といった重金属による治療である。そんなもん、毒物ではないか、と思うのだが、重金属は人間に毒である以上に梅毒スピロヘータに対しても毒物のようで、ある程度の効果はあったらしい。

 ただし、サルバルサンは残念ながら血液脳関門を通過せず脳に到達しないので、進行麻痺にはあまり効果がなかったようだ。そこで水銀やサルバルサンを直接脳に注入する、などという治療も行われていたという。

 キール大学のルンゲは、1925年にさらにものすごいことを考えた。血液脳関門を通らないのであれば、むりやり通るようにしてしまえばいい。まず、煮沸滅菌したミルクを筋肉注射して、41度の発熱を作る!ちょっと前に、看護婦が間違えて牛乳を点滴して患者が死んでしまうという事件があったが、あれを故意に行うわけだ。

 発熱すると血管透過性が亢進するから、このときにサルバルサンを静脈注射してやれば脳にまで到達する、というわけである。これが「ミルク・サルバルサン療法」である。ルンゲはこの治療法を56例に試みて45パーセントの好結果を得たというが、当時すでに盛んになっていたマラリア療法には及ばなかった。

 結局、サルバルサン療法はマラリア療法の前に敗れ去ってしまったのである。

 ペニシリンの登場
 どうやら体温を40度以上まで上げればスピロヘータは死滅するらしい、ということで、その後もいろいろと珍妙な治療法が現れた。熱風呂に入れてそのあとフランネルと木綿で体を厚く包む、高周波の低電圧電流を体に通して発汗、高体温を作る。

 マラリアと回帰熱を同時に接種する、マラリアと鼠咬症の同時感染、マラリア血液を患者の前頭葉に直接注入! それが本当に治療なのか、といいたくなるような実験的な治療がいろいろと行われたのである。

 しかし、なんでもありの時代は長くは続かない。最初の抗生物質であるペニシリンが工業的に生産されるようになり、1944年にはペニシリンにより進行麻痺が劇的に改善することがわかる。こうして進行麻痺は完全に過去の病気となってしまった。マラリア療法の栄光もわずか27年間で終わったのであった。

 こうして凄絶な治療法の時代は終わったが、何か身体に強い衝撃を与えれば精神病は治るというアイディアは、精神病に対するショック療法としていまだに命脈を保っている。精神科ショック療法の歴史もまた奇絶怪絶また壮絶なものがある。

 ユリウス・ワーグナー=ヤウレック
 ユリウス・ワーグナー=ヤウレック(1857年〜1940年)はオーストリア人の内科医。

 彼は1874年から1880年までウィーン大学でサロモン・ストリッカーらとともに医学を学び、1880年に博士号を取得した。元々の専門は神経病理学ではなかったが、1883年から87年まで、マクシミリアン・ライデスドルフとともに精神科の医院で働いた。1889年にグラーツ大学の有名なリヒャルト・フォン・クラフト=エビングの後を継ぎ、甲状腺腫、クレチン病、ヨウ素症などの研究を始めた。

 1893年、彼は精神医学、神経病理学の教授となり、テオドール・メイナードの後任としてウィーンの神経医学クリニックの責任者となった。10年後の1902年、ワーグナー=ヤウレックは中央病院の精神科に転任し、1911年に元の職場に戻った。

 ワーグナー=ヤウレックは発熱を伴う精神疾患の治療に生涯を捧げた。1887年から彼は、1890年にロベルト・コッホが発見した丹毒、ツベルクリンの発熱性精神疾患への効果について研究を始めた。これらの治療法はうまくいかなかったが、1917年にはマラリア寄生虫の接種に取り組み、神経梅毒による麻痺性認知症に効果があることが実証された。

  この発見により、彼は1927年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。受賞理由は「麻痺性痴呆に対するマラリア接種の治療効果の発見」である。
 1931年には主著Verhütung und Behandlung der progressiven Paralyse durch Impfmalariaを著している。ワーグナー=ヤウレックは1928年に退官したが、1940年9月27日に亡くなるまで精力的に働いた。

 

参考HP Wikipediia「梅毒」「麻痺性痴呆症」「マラリア」「ユリウス・ワーグナー=ヤウレック」・サイコドクターあばれ旅「進行麻痺

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